託された想い
それほど時間を置かず、初音さんが局へやってきた。
いつもはほとんど使われていない局長室に、僕たち三人が揃っているのを見て、初音さんは少しだけ目を見開いた。
「雪原さん、来てくれてありがとう」
局長が穏やかに告げる。
「……何かわかったんですか?」
「まあ、座りなさい」
白澤さんが向かいの椅子を指す。
初音さんは素直に腰を下ろしたものの、不安そうに僕たちの顔を見回した。
「君にも話しておきたいことがある」
「昨日の……白乃さんの旦那さんのことですか?」
「ああ」
白澤さんは頷いた。
「あの件にも関わることだが……」
白澤さんは初音さんに、旦那さんの魂に残された痕跡について説明した。
それを取り除かなければ、いずれ魂そのものが限界を迎え、消滅してしまうこと。
そして、痕跡を取り除くことができれば、今の生を終えたあと、その魂は本来なら帰るはずだった安らかな場所へ辿り着けること。
もう二度と、生まれ変わることはないこと――。
「……旦那さんは?」
初音さんが、ぽつりと尋ねた。
「……じゃあ、もう白乃さんは……旦那さんと一緒にはいられない?」
「……そういうことだ」
初音さんは、しばらく黙っていた。
白澤さんも、局長も何も言わなかった。
やがて、白澤さんが静かに口を開く。
「だから――」
その声が、ほんの少しだけ掠れた。
「その時は……白乃のそばにいてやってほしい」
「……私が?」
「ああ」
白澤さんは頷いた。
「白乃は、きっと笑ってみせるだろう。いつものようにな」
「……」
「だが、九百年だ。簡単に割り切れるものじゃない」
白澤さんは、そこで一度言葉を止めた。
「だから……その時は、そばにいてやってほしい」
初音さんはしばらく考え込み、やがて決心するように問いかけた。
「白澤さんは……それでいいんですか?」
初音さんが真っ直ぐに白澤さんを見ている。
局長も何も言わず、ただ静かに白澤さんへ視線を向けている。
「……君も、言うようになったね」
白澤さんは、少しだけ目を伏せた。
「私は、いつものとおりさ」
それだけ言って、静かに笑う。
けれど、その笑顔はいつもより少しだけ寂しそうに見えた。
初音さんはすぐには答えなかった。
九百年。
白乃さんが旦那さんと過ごしてきた時間を、僕たちは昨日、初めて聞いたばかりだ。
何度も出会って、何度も一緒に暮らして、何度も見送って――それでもまた探し続けてきた。
そんな時間を、簡単に「寂しい」の一言で片付けられるはずがない。
初音さんは、しばらく考えてから顔を上げた。
「……分かりました」
その言葉に、白澤さんが初音さんを見る。
「私が、白乃さんのそばにいます」
「……」
「旦那さんとお別れすることになったらきっと、すごく……すごく寂しいと思いますから」
初音さんは、少しだけ笑った。
「だから、私が支えます」
白澤さんは、何も言わなかった。
ただ、ほんの少しだけ目を細める。
「……ありがとう」
短い言葉だった。
けれど、その声には、いつもの軽さがなかった。
白澤さんはそう言って、初音さんに静かに頭を下げた。
「えっ……」
初音さんが慌てて身を乗り出す。
「そんな……」
「いや」
白澤さんは顔を上げた。
「私には、大事なことなんだ」
その言葉だけは、妙にまっすぐだった。
僕は昨日、白乃さんから聞いた。
旦那さんと二人で歩んできた、長い時間を。
けれど白澤さんは――それよりもさらに長い時間、白乃さんを見てきたのだ。
それなのに今、自分ではなく初音さんに「そばにいてやってほしい」と頼んでいる。
その言葉が白澤さんにとって、簡単に口にできるものではなかったことくらいは、僕にも分かった。
けれど次の瞬間には、いつもの食えない笑みを浮かべている。
「まあ、君なら白乃も退屈しないだろうしね」
「……それ、どういう意味ですか?」
「そのままの意味さ」
初音さんが少しむっとした顔をする。
白澤さんは、そんな初音さんを見て小さく笑った。
――やっぱり、この人はずるい。
大事なことほど、最後には冗談みたいにしてしまう。
でも、その笑顔の奥にあるものを、僕はもう少しだけ知っている気がした。
ふと局長と目が合い、僕たちはどちらからともなく、小さく微笑み合った。




