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人外適応管理局 ―ようこそ、人と妖が暮らす街へ―  作者: 日旅こつめ


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あの人が来る日

「最初に会った時は、まさかあの人と一緒になるなんて思ってなかったわ」

「そうなんですか?」

「ええ」

 白乃さんが小さく笑った。

「だって、あの頃のあの人ったら、本当に不器用でね」

 その声には、今まで聞いたことのない柔らかさがあった。

「何をするにも要領が悪くて。私がちょっと手を貸してあげると、すごく申し訳なさそうな顔をするのよ」

「ふふ……白乃さんらしいですね」

「そう?……まあ、そうかもしれないわね」

 白乃さんは笑った。

 そして、ふと視線を落とす。

「……あの頃は、まだ若かったから」

 その言葉に、僕は少しだけ息を止めた。

「あなたたちには、まだ話していなかったかしら」

「何をですか?」

「私とあの人が、どれくらい長く一緒にいたのか」

「……長く?」

「そう。ずーっと」

 白乃さんは、懐かしむように目を細めた。

 その言葉を聞いた瞬間、僕の頭に昨日聞いた白澤さんの言葉が蘇った。

 ――輪廻転生するたびに、白乃さんと出会い、添い遂げている。

 それは知っていた。

 けれど本人からは聞いていなかった。

 白澤さんからも、それ以上のことは聞いていない。

 どんな人だったのか。

 どんなふうに出会ったのか。

 そして、白乃さんがその人とどんな時間を過ごしてきたのか。

 僕たちは、何も知らない。

「最初に会ったのはね――」

 僕は急かさず、白乃さんの次の言葉を待った。

 白乃さんは、ゆっくりと目を細めた。

「今から、ずっと昔のことよ」

 そう言って、白乃さんは静かに語り始めた。

 僕と初音さんは、ただ黙って耳を傾ける。

 それは、僕たちがまだ知らなかった――白乃さんの人生の始まりだった。


「あの頃の私は、今とはずいぶん違う姿をしていたわ」

「……姿?」

 僕は、首を傾げた。

「ええ。今よりずっと若かったのよ」

 懐かしむように、白乃さんはカレンダーに目を向ける。

「どのくらい昔なんですか?」

「そうねぇ……九百年くらい前だったかしら」

「……九百年」

 僕は思わず聞き返した。

 局長と朧さんの一件から、百年ほど経った頃になる。

「ええ。今となっては、もう昔すぎて正確な年なんて覚えてないけど」

 白乃さんは、懐かしそうに笑った。

「あの頃の私は、白澤に頼まれて、人里離れた深山で薬草園を管理していたの」

「薬草園……ですか?」

「そう。あの人、その頃から診療所をやっていたの。必要な薬草を育てて、採って、白澤のところへ届けていたのよ」

 初音さんが興味深そうに身を乗り出した。

「そんな昔から、白澤さんと一緒にお仕事を?」

「ええ。あの人は昔から人使いが荒くてね」

 白乃さんが苦笑する。

「……なんとなく想像できます」

 僕が呟くと、白乃さんは楽しそうに笑った。

「でしょう?」

 けれど――。

 その笑みは、すぐに遠い記憶を思い出すようなものへ変わった。

 白乃さんはカップに手を添えながら、静かに続ける。

「あの頃は、白澤の診療所も今よりずっと忙しくてね。白澤が珍しく奉公人を雇って、薬草の運搬や手伝いで山へやってくることがあったの」

「奉公人の方……ですか?」

 初音さんが尋ねると、白乃さんは楽しそうに目を細めた。

「ええ。不思議な人だったわ」

 白乃さんは、カップを包む手にそっと力を込める。

「最初に会った時から、妙に真面目でね。白澤に言われた仕事だからって、薬草を運ぶだけじゃなくて、私がどういうふうに育てているのかまで聞いてきたの」

「薬草の育て方まで?」

「そう。どの時期に摘むのが一番いいのかとか、乾燥させる時はどうするのかとか。そんなこと聞いてどうするのって思ったわ」

 白乃さんが、くすりと笑う。

「でも、あの人は本当に覚えていたのよ」

「覚えていた?」

「ええ」

 白乃さんは頷いた。

「私が育てた薬草を、すごく愛おしそうに扱ってくれたの」

 その声には、今もその光景が残っているような響きがあった。

「『君が大事に育てたんだから、丁寧に運ばないとね』って」

「……優しい人だったんですね」

 初音さんが、ぽつりと言った。

「そうね」

 白乃さんは小さく笑った。

「でもね。私が惹かれたのは、優しかったからだけじゃないの」

「……?」

「私が大切にしているものを、大切にしてくれたのよ」

 白乃さんは窓の外へ視線を向ける。

「薬草そのものだけじゃない。私が毎日ここで過ごしている時間とか、手をかけて育ててきたこととか……そういうものまで、ちゃんと見てくれていた」

「……白乃さん自身を、見ていたんですね」

 僕がそう言うと、白乃さんは一瞬だけ僕を見る。

「そうね」

 それから、少し照れたように笑った。

「だからかな……最初は、ただの奉公人さんだったのに」

 白乃さんはそこで言葉を切った。

「気づけば、あの人が山を登ってくる足音が聞こえるだけで、胸が温かくなるようになっていたの」

「……足音だけで?」

 思わず僕が聞き返す。

「ええ」

 白乃さんは笑った。

「まだ姿も見えていないのにね。ああ、今日は来たんだって分かるの」

「すごいですね……」

「自分でも、どうかしてると思ったわ」

 白乃さんはそう言いながら、どこか嬉しそうだった。

「だって、それまでは一人でいることなんて何とも思わなかったのよ。山の中で薬草の世話をして、白澤に届けて。それで十分だった」

「それが、その人が来るようになってから変わった?」

「ええ」

 白乃さんは頷いた。

「山に誰かが来るのを、待つようになったの」

 初音さんが、ふっと微笑む。

「……楽しみだったんですね」

「そうね」

 白乃さんも微笑み返した。

「最初は、薬草を届けに来る日を楽しみにしていたのか、それともあの人が来るのを楽しみにしていたのか、自分でも分からなかったけど」

「今なら分かります?」

「もちろん」

 白乃さんは、少しだけ得意そうに笑った。

「薬草なんて、一人でも育てられるもの」

「……なるほど」

「でも、あの人が来る日は違ったのよ」

 白乃さんは遠い記憶を見つめるように、ゆっくりと目を細めた。

「朝から少しだけ身なりを気にしてみたり、いつもより薬草園を綺麗にしてみたりしてね」

「白乃さんでも、そんなことするんですね」

 初音さんが思わず笑う。

「あら、私だって女よ?」

「すみません」

「ふふっ」

 白乃さんは楽しそうに笑った。

 その笑顔は、いつもの白乃さんよりもずっと幼く見えた。

「そうして何度も山へ通ってくるうちに、少しずつ話すことも増えていったわ」

「どんな話を?」

「本当にくだらないことよ。診療所であったこととか、山を下りた町の様子とか。私が知らない人の話をしてくれたりね」

「……旦那さんは、白乃さんのことも聞いていたんですか?」

「ええ」

 白乃さんは頷いた。

「私がどこで生まれたのかとか、どうしてここで暮らしているのかとか。好きな薬草は何かとか……」

「それって……」

 初音さんが少しだけ笑う。

「かなり白乃さんのことが気になっていたんじゃないですか?」

「そうかもしれないわね」

 白乃さんは否定しなかった。

 むしろ、少し嬉しそうに笑った。

「でも、あの人は最後まで、自分からは何も言わなかったのよ」

「言わなかった?」

「ええ。だから私も、しばらくは気づかないふりをしていたわ」

「……白乃さんが?」

「そうよ」

 白乃さんはいたずらっぽく笑う。

「だって、あの人が困った顔をするのを見るの、ちょっと面白かったんだもの」

「……」

 なんとなく、今の白乃さんからも想像できる。

「でも――」

 白乃さんの声が、少し柔らかくなった。

「ある日、あの人が山へ来なくなったの」

「……え?」

 僕は思わず顔を上げた。

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