辿るべきもの
その日の午後、僕は持田家を訪ね、千代さんの様子を確認した。
チャイムを鳴らすとトヨさんが出迎えてくれた。
「あら、槇尾さんこんにちは。千代なら——あ……!」
家の奥から飛び出してきた千代さん。
「こんにちは。体調に変わりはないですか、千代さん?」
「今日も元気じゃぞ。何をそんなに心配しておる。遊んでいかんのか?」
いつも通りの元気な声に、僕はようやく胸を撫で下ろした。特に変わった様子もない。
――これなら大丈夫そうだ。
持田家を後にした僕は、そのまま喫茶店へ向かった。
これから、白澤さんから頼まれたことを初音さんに説明することになっている。
一人で考えていると、また余計なことまで考えてしまいそうだった。
だからこそ、今日は初音さんにも一緒に考えてもらいたかった。
喫茶店の扉を開けると、カランコロンとやわらかいドアベルの音が響いた。
店内を見回すと、日差しの差し込む窓際の席に初音さんの姿があった。
僕に気づいた初音さんが、パッと表情を明るくしてこちらへ顔を向ける。
「初音さん、お待たせしました」
僕が向かいの席に腰を下ろすと、初音さんはにこやかに微笑んだ。
「いえ、私も今来たところです」
「今日は、午前中のお仕事だったんですよね」
「はい。良治さんは、どこか寄ってきたんですか? 少し急いで歩いてこられたみたいで」
初音さんがそう言ったところで、店員さんが水の入ったグラスを僕の前に置いてくれた。
「ありがとうございます」
僕は一口飲んで、少しだけ呼吸を整える。
「あ、はい。今、千代さんのところへ様子を見に行ってきたんです。とても元気そうでした」
「そうですか。よかったです」
初音さんはホッとしたように、胸に手を当てて優しく表情を緩めた。
やってきた店員さんに二人でホットコーヒーを注文し、湯気の立つカップが運ばれてくるのを待つ。
運ばれてきたカップから香ばしい香りが立ち上るなか、初音さんが少し表情を引き締め、まっすぐに僕を見つめた。
「それで……白澤さんから、何を頼まれたんですか?」
初音さんの問いかけに、僕は温かいカップを両手で包み込み、ゆっくりと息を吐き出した。
「――実はね、白乃さんの旦那さんのことなんだ」
僕はこれまで白澤さんや局長と話したことを、初音さんへ伝えた。
「そう……だったんですね」
初音さんは少し考え込む。
「白乃さんから以前、旦那さんのことを少しお聞きしました。車いすを使用していたことは、良治さんも知っていますよね?」
「ええ。以前に、あのお店は車いすの旦那さんでも使いやすい作りにしていると言ってましたね」
「旦那さんは、十年くらい前に、三十八歳で亡くなったそうです」
その言葉を聞いて、僕は一瞬、言葉に詰まった。
「……三十八歳、ですか」
「はい」
初音さんは小さく頷いた。
「……若かったんですね」
僕はそう呟いて、カップへ視線を落とした。
「でも、白乃さんは旦那さんのこと、今でもよく話してくれますよ」
「そうなんですか?」
「はい。嬉しかったことも、喧嘩したことも。車椅子になってからのことも……結構、何でも」
「……何でも?」
「ええ。だから、旦那さんのことを聞いたら、きっと話してくれると思います」
僕は黙って手元のカップを見つめた。
僕たちが知りたいのは、旦那さんの行方だけじゃない。
白澤さんが調べているのは、何度も繰り返されてきた輪廻のことだ。
けれど――それを追うだけでは、きっと足りない。
そんなことを考えていると、向かいから小さな声がした。
「……でも、それなら」
初音さんが、カップの中を見つめながら呟いた。
「旦那さんのことだけを聞くのは、少し違うのかもしれませんね」
「え?」
僕は顔を上げた。
まるで、今自分が考えていたことを、そのまま言葉にされたようだった。
「白澤さんが知りたいのは、旦那さんが今どこにいるかだけじゃないんですよね?」
「……はい」
「だったら、旦那さんのことを直接聞くより――」
初音さんが顔を上げる。
「白乃さん自身のことを聞いてみたほうが、いろいろ分かるんじゃないでしょうか」
僕は、驚いて初音さんの顔を見る。
「……白乃さん自身のこと?」
「はい」
初音さんは静かに頷いた。
「最初に旦那さんと出会った頃から。どうして一緒になったのか。どんな時間を過ごして、どんなふうに別れたのか」
初音さんは、そこで一度言葉を切った。
何かを考えるように、そっとカップへ視線を落とす。
「……そういう話を聞いていけば、白乃さんが旦那さんとのことをどう受け止めてきたのかも、見えてくるかもしれません」
「なるほど……」
僕はゆっくり頷いた。
「それなら、白乃さんも話しやすいと思います」
「はい」
初音さんが微笑む。
少しだけ、話の道筋が見えた気がした。
「じゃあ、旦那さんを調べるんじゃなくて――」
僕は一度、言葉にしてみる。
「白乃さんの人生を聞いてみましょう」




