僕たちの居場所
僕はあの日の記憶を思い起こす。
「……僕に、ですか?」
「ああ」
局長は静かに僕を見つめた。
「僕は、こだま様に頼まれて君を訪ねた。そして君は自分が人間でも完全な妖怪でもないことに苦しんで、自分の居場所を探していただろう?」
「……はい」
「あの時、目の前で迷っていた君を見てね。ただ、少しでも寄り添えたらいいなと思って言葉をかけたんだ」
局長は少し目を伏せ、穏やかに笑った。
「けれど後から気づいたんだよ。君のためにかけたはずのその言葉に……僕自身も、少し救われていたんだなってね」
「局長が……ですか?」
『——無理にどちらかへ自分を合わせる必要なんてない。そのままの君で生きられる場所を、一緒に探そう。——そのために、僕は人外適応管理局を作ったんだから』
脳裏に、あの日の記憶が鮮やかによみがえる。
完全な人にも、妖怪にもなれず、宙ぶらりんな自分に怯えていたあの日。
局長がくれたその言葉に、僕がどれほど救われたことか。
局長は自分の胸元へそっと手を当て、遠くを見るように目を細めた。
「人間であることをやめて、神の依代になった。けれど、神になりきれたわけでもない。千年間ずっと、僕もどこかで……自分という曖昧な存在を持て余し、不安だったのかもしれない」
その言葉に、僕は息を呑んだ。
いつも穏やかで完璧に思えた局長。
その人が、僕と同じように自分の存在に怯え、居場所を探していたなんて思ってもみなかった。
「君に『一緒に探そう』と言いながら……本当は、僕自身が誰かと一緒に居場所を探したかったのかもしれないね」
「局長……」
「だからね、良治くん。管理局はみんなのためにつくった場所だ。けれど同時に……僕にとっても『このままの自分でいていいんだ』と思える、大切な場所なんだよ」
局長は社へ視線を向け、それから、もう一度僕を見て優しく微笑んだ。
「最初は、朧のために隠り世を作った。……けれど今は、僕も含めて、自分という存在に迷う誰もが、胸を張って自分の居場所を選べるようにしたかったんだ」
そう言って笑う局長の横顔を、僕は静かに見つめていた。
風のない夜の中、薪が小さく爆ぜる音だけが響く。
千年前の孤独と、この場所が生まれた理由。
そのすべてが、すっと僕の胸に落ちていた。
けれど、確認しなければならないことがあった。
今日、局長がこの話をしてくれたということは、関係がないはずがないのだ。
「……局長」
「ん?」
「診療所での妖気の滞り……あの異変も、やっぱり朧さんと関係があるんですか?」
「ああ」
局長は社をもう一度見上げ、静かに頷いた。
「千年前、朧を隠り世へ送った……その時、どうしてなのかは分からないけれど、彼女の思念がほんのわずかに現世へ零れ落ちてしまったようだ」
「思念……」
「当時は、ほんのわずかなものだったんだと思う。僕たちも、最近になるまで気づかなかったんだ。」
局長は言いにくそうに、けれど、と言葉を繋いだ。
「千年の歳月を経て、それが少しずつ、この街に影響を及ぼしているみたいだ」
「……」
「もちろん、朧自身に誰かを害する気なんてない。そこに彼女自身の人格や意思が残っているわけじゃないと思う。ただ……強く残った感情や、記憶の断片までは、別なのかもしれない」
局長はそこで一度言葉を止めた。
「それが長い年月の中で妖気に触れ、何かを歪めている可能性もある」
「……」
「ただ、残されたものというのは、必ずしも元の形のまま残るとは限らないからね。何かを引き寄せている可能性はある」
「それじゃあ……」
「放っておけば、街の人外たちへの影響はもっと大きくなるだろうね。けれど、思念が残っている場所までは、まだ特定できていないんだ。今は、その正確な場所を調べている」
局長はふっと表情を和らげ、ぽんと僕の肩を軽く叩いた。
「さて……昔話はここまでにして、そろそろ戻ろうか。サトリも、首を長くして待っているだろうからね」
「あ……はい!」
局長が歩き出す。
僕はその背中を追いかけながら、もう一度だけ、月明かりに浮かぶ小さな社を振り返った。
自分たちの帰る場所を守るために。
そして、この優しい人が作ってくれた『居場所』を守るために。
僕たちは、いつもの場所へと帰っていく。




