↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人外適応管理局 ―ようこそ、人と妖が暮らす街へ―  作者: 日旅こつめ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/109

現世で生きるために

「……あの、槇尾さん。次の『住所』の欄は、どうすればよいのでしょうか。私はまだ、現世での自分の家を持っていません」

 当然の疑問を口にする彼女に、僕は安心させるよう微笑みかけた。

「大丈夫ですよ。雪原さんのように現世へ来られたばかりの方には、まず身元保証人――つまり、後見人になってくださる方が必ず付くことになっています。今回は白蛇さんが後見人を引き受けてくださっていますから、ここには白蛇さんのご自宅の住所を書いてくださいね」

 またしても聞き慣れない制度に戸惑いながらも、理解しようとするように、彼女は小さく頷く。

「白蛇様の、住所……」

「ええ。人間の世界に慣れて、お仕事や住む場所が決まり、独り立ちできるようになったら、その時にご自身の新しい住所へ変更手続きをしましょう。まずは、ここからのスタートです」

 僕が手渡した、白蛇さんの住所が書かれたメモを見つめ、彼女はもう一度深く頷いた。

 そして先ほどと同じように、一字一字、丁寧に筆を滑らせていく。

「白蛇さんは、虻川白乃《あぶかわしろの》さんという仮名で長いこと現世に暮らしていらっしゃるんです。普段は小さな喫茶店や不動産業を営んでいて、時々臨時で、こちらの『人外適応管理局』の仕事も手伝ってくださっているんですよ」

 住所を書き写す彼女の手元を眺めながら、僕は後見人である先輩について、そう付け加えた。

「虻川、白乃様……。少し不思議で、とても綺麗なお名前ですね。白蛇様は人外の間では古来よりとても有名な方です。そんな方に、後ろ盾になっていただけるとは」

 呟きながら、最後のひとマスへ丁寧にペンを走らせる。

 カチリ、と小さな音を立てて、彼女はそっとペンを置いた。

「……書けました。これで、大丈夫でしょうか」

 差し出された書類を受け取り、僕は全体の記述に目を走らせる。

 せっかく一生懸命に書いてくれた書類に不備があれば、差し戻しになって手続きに余計な時間が掛かってしまう。それだけは避けたかった。

 蛍光ペンを手に取り、記入漏れや誤字脱字がないか、丁寧に小さくチェックを付けていく。

 最後まで問題がないことを確認し、僕はホッと胸を撫で下ろした。

「はい、バッチリです。書き損じもありませんし、とても綺麗な文字ですね」

 そう言って微笑み、僕は書類の一番下にある添付書類チェック欄を初音さんへと見せた。

「あとは、ここに記載されている添付書類の確認ですね」

 彼女は少し身を乗り出すようにして、僕の手元を覗き込んできた。

 つい先ほどまで“雪女”として山にいた存在が、今こうして、人の制度の中に名前を刻んでいる。

 その事実が、僕にはどこか不思議で、少しだけ神聖なことのように思えた。

「添付書類は、後見人の同意書と能力届出書の二点になります。後見人の同意書は、事前に虻川さんからこちらで預かっていますので問題ありません。」

 僕は『人外就籍届』と、預かっていた虻川さんの『同意書』を重ね、そっと脇へ退けた。

「次はもう一枚の、この『能力届出書』についてですね」

 代わりに、少し特殊な項目が並ぶ新しい用紙を彼女の前に滑らせた。

「雪原さん。人外の皆様が現世で暮らしていくためには、いくつか非常に重要なルールがあるんです。まずはそれを説明させてくださいね」

 僕の言葉に、彼女は背筋を正して居住まいを正した。

「一つ目は、『不特定多数の人間に正体を明かしてはならない』ということです。現世では妖怪や神様の伝承は幅広く知れ渡っていますが、本当に実在していると思っている人間はごく少数です。現世での無用な混乱を避けるため、ご自身の正体は人外の存在を知らない人には徹底して秘匿するようにしてください」

「はい、心得ております。元より、あまり人と関わるのは得意ではありませんから……」

「安心しました。外見が人間と変わらない雪原さんなら、普通に暮らしていればまず大丈夫です。そして二つ目は、『能力の使用は完全登録制である』ということです。この能力届出書に、ご自身が扱えるすべての能力を記入していただきます。後日、審査を経て『能力使用許可書』が発行されて初めて、お仕事などでその力を使うことが可能になるんです」

 彼女は手元の用紙に並ぶ『最大出力』や『影響範囲』といった物々しい項目を見つめ、静かに唾を呑んだ。

 その緊張を察しながら、僕は「ちなみに、届書に記入したすべての能力に許可が出るわけではありません」と付け加えた。人間の脅威になり得ると判断された力や、現代社会のバランスを崩しかねない強力な能力には、制限や使用不可の判断が下ることもある。

「最後に三つ目――これが最も大切な決まりです。万が一、人間に危害を加えたり、現世に大きな混乱を起こしたり、先ほどの二つのルールを著しく破った場合……。その方は、現世から追放され、『隠り世の牢獄』へと送られることになります。これだけは、どうか忘れないでくださいね。隠り世はご存じですか?」

 僕の問いかけに、彼女はどこか遠くを見るような目で、静かに語り始めた。

「はい。隠り世のことは、人外の間ではとても有名です。私たちの同胞が住まう、もう一つの世界、人外の為の世界……。遥か昔、人と人外が公然と暮らしていた時代に、ある大事件が起きて袂を分かった地だと聞いています。多くの人外があちらに渡りましたが、現世に残った者は人の世を捨てられなかった者、渡り方が分からなかった者、その存在すら知らなかった者……様々でした。」

 隠り世は、人外にとって圧倒的に生きやすい世界だ。隠り世へ移り住みたい人外のために、隠り世へ渡る手伝いをするのも、この『人外適応管理局』の大切な仕事の一つでもあった。

「ですから雪原さん。もし通常の隠り世への移住を希望される場合には、その手続きやご相談も、こちらでいつでもお受けしているんですよ」

 僕がそう言って微笑むと、彼女は少し驚いたように丸い目を瞬かせ、それから深く頭を下げた。

「ご親切に、ありがとうございます。……ですが、私はもう少し、この現世という場所で頑張ってみたいのです」

「ええ、もちろん応援します。……だからこそ、ルールを守ってここで安全に暮らすために、この『能力届出書』を完成させましょうね」

 張り詰めた空気を解きほぐすように明るいトーンで言うと、彼女の表情にも少しだけ柔らかい灯が戻った。

「では、まず最初の項目です。雪原さんの『種族固有能力』について教えてください」

 その言葉を聞いて、彼女は手のひらを上に向けると、そこへ息をふっと吹き付けた。

 すると、きらめく小さな氷の粒が吐息に混じり、微風をまとって彼女の手のひらの上で小さな吹雪を形作った。

「このように、雪や氷を作り出すことができます。あとは、触れたものや周囲の空間を冷やすことも……。基本的には自分で制御が可能なのですが、感情が高ぶってしまうと、無意識のうちに周囲の環境変化を起こしてしまうことがあります」

 ふっと息を引いて手のひらの吹雪を収めると、彼女は申し訳なさそうに伏し目がちになった。

「実演を交えた正確なご申告、ありがとうございます。では固有能力の欄には、『氷雪生成・温度変化(冷却)』と記載させていただきますね。感情による流出も、特記事項に添えておきます」

 僕は手元の書類にペンを走らせ、それから顔を上げて微笑みかけた。

「次の項目ですが、最大出力と最小出力についてはいかがでしょう? 分かる範囲で構いませんので、どれくらいの規模になるか教えていただけますか?」

 僕の問いかけに、彼女はこめかみに細い指先を当て、少し考え込むそぶりを見せた。

「現世で言う尺度はよく分かりませんが……本気を出せば、私の住んでいた山一帯を吹雪にすることが可能です。冷却については、そうですね。湖をすべて凍らせることもできると思います」

 お淑やかな口調から淡々と告げられたその規模に、僕は内心で小さく息を呑んだ。

 目の前にいる可憐な女性は、現代の現世においては、一歩間違えれば局所的な気象災害を引き起こしかねないほどの力を持った存在なのだ。管理局の規定で言えば、間違いなく『特級』あるいは『第一種指定』に該当する。

 僕は居住まいを正し、手元の書類へ『最大出力:山岳規模の降雪・広域水面の完全凍結』と、確かな筆致で書き込んだ。

「――なるほど、非常に強大な力ですね。ですが、詳細に教えていただき助かります。悪用さえしなければ現世で暮らすことに問題はありませんので、安心してくださいね」

 彼女の緊張を和らげるように言葉を添えてから、僕は次の項目へと視線を移した。

「では逆に、最小出力……つまり、一番小さく力をコントロールする場合はどうでしょうか。例えば、部屋の温度を少しだけ下げたり、手元にある飲み物を適温に冷やす、といった細かな調整はできそうですか?」

 僕が問いかけると、彼女は言葉で答える代わりに、テーブルの上に置かれた僕の湯呑みへとすっと手をかざした。それは先ほど、事務員のサトリさんが淹れてくれた、まだ湯気が立っている温かい緑茶だ。

 彼女が静かに視線を注ぐと、湯呑みから立ち上っていた湯気が一瞬で白い霧へと変わった。

 水面が結晶化していくしゃりしゃりという微かな音を立てて、温かかったお茶の表面がみるみるうちに薄い氷で覆われていく。驚いたことに、湯呑みの外側には一切の霜すら降りていない。熱い液体だけを狙い澄まし、一瞬で完全に凍らせてみせたのだ。

「――このように、狙った対象の熱だけを奪い、正確に氷結させることが可能です。出力を極限まで絞れば、凍らせずに『飲み頃』に冷ますこともできますが、今回は分かりやすさを優先いたしました」

 涼しい顔でそう告げた彼女は、どこか得意げに、あごをくいっと上げて僕を見ていた。その様子が小動物のようで、僕は内心でどこか可愛らしく、微笑ましく思ってしまう。

 ただ力が強いだけでなく、ここまで完璧に「最小の出力」をコントロールできるなんて。これなら現世でうっかり周囲を巻き込んで吹雪を起こしてしまうような心配は、まずないと言っていい。僕は心の底から舌を巻いた。

「なるほど……。ピンポイントで冷やすことができるわけですね。素晴らしい精度です」

 僕は湯呑みの様子を確認して感心しながら、手元の書類へ『最小出力:視線内の特定対象への局所的氷結・精密な温度制御が可能』と書き加えた。

 しかし、カチコチになったお茶を見つめていると、どこからかサトリさんの悲しみが、彼女の能力を通じて僕の心に直接伝わってくる。「後で融けたらちゃんと飲んでね」という無言の圧力を感じて、僕は後で必ず飲もうと心の中で誓った。

「これだけのコントロールができるのでしたら、今後の職探しにもかなり幅が広がりますね」

 僕が書類から顔を上げてそう言うと、彼女は「職探し、ですか……」と、その言葉を確かめるように小さく呟いた。

 現世で生きるためには、当然ながら仕事をして収入を得なければならない。山から下りてきたばかりの彼女にとって、「働く」ということはまだ霧の向こうにあるような、未知の世界のはずだった。

「はい。例えばですけれど、冷凍倉庫での管理業務や精密機器の冷却が必要な施設、あるいは意外なところで食品関係の仕事など、この力を必要としている現世の職場はたくさんありますよ。――ですが、今日一度にたくさんのことを詰め込んでしまっては疲れてしまいます。お仕事のお話はまた追々していくとして、まずは今日の必要書類の申請を終わらせて、後見人である虻川さんのところへ向かいましょう」

 僕は出来上がった書類を初音さんの方へと向け、記載内容に誤りや漏れがないかを確認してもらった。最後に、本人の手で署名をしてもらうためだ。

 一通り書類に目を通し、彼女は差し出されたペンを丁寧に持ち直し、ゆっくりと、一画ずつ確かめるように白紙の欄へ文字を紡いでいく。

「……改めて、自分の能力をこうして文字に起こしてもらうと、なんだか不思議な感じがしますね」

 書き終えた書類を見つめながら、彼女は小さく微笑んだ。

「それに、新しく決めた自分の名前をこうして一字一字なぞっていると……本当に、私は人間の世界で生きていくんだという決意が、静かに胸の奥へ染み込んでいくような気がします」

  まっすぐな、けれどどこかまだ震えている彼女の決意を、僕は正面から受け止めるように小さく頷いた。

「素敵な決意だと思います。そのお名前、とても雪原さんにお似合いですよ」

 受け取った書類に不備がないか最終確認をして、僕は引き出しから一枚のクリアファイルを取り出した。これで、彼女が現世で一歩を踏み出すための最初の手続きは完了だ。

 そこへ、背後から瀬尾局長がひょっこりと顔を出した。

 手際よくまとめられたクリアファイルを僕から受け取り、さっと目を通すと、局長は初音さんに向けて優しく目を細める。

「雪原初音さん、お疲れさまでした。私はこの『人外適応管理局』の局長の瀬尾です。初めてのことばかりで、緊張したでしょう」

 その言葉と共に、僕の肩にぽんと手が置かれた。

 包み込むような温かくて大きな掌から、初音さんへの労いだけでなく、僕に対する「よくやったな」という無言のメッセージが伝わってくる。一つの山場を越えたのだという安堵が胸に広がり、僕は小さく息を吐いてから、深く深呼吸をした。

 局長はファイルを小脇に抱え、今日の手続きに関わる最後の説明を始めた。

「雪原さん。今日提出していただいた書類はこれから本局へ郵送し、審査と決裁を経て、正式にこちらの世界での戸籍が作られます。その後、能力使用許可証が手元に届く仕組みです。お役所の手続きというものは、どうしてもしっかりとした確認が必要なものでね、すべての処理が終わるまでには二週間ほどお時間をいただくことになります」

 そこまで言うと、局長は僕たちを見つめて快活に笑った。

「処理までは少し時間がかかりますが、その間は虻川さんから現世の暮らしを学び、この場所を紹介してくれた河野さんと交流を深めるのもいいかもしれない。それに、ここに来れば僕や槇尾、事務の人外のサトリもいます。困ったことがあれば、いつでも相談にいらしてください」

 そう言って、局長は僕の肩に置いていた手をぽんと弾ませて離した。その温かな頼もしさに、僕の背中も自然と伸びる。

「さあ、槇尾くん。雪原さんをこれ以上引き留めたら疲れさせてしまう。まずは後見人の虻川さんのところへ送り届けてやりなさい」

「はい、わかりました。……では雪原さん、参りましょうか」

 僕は立ち上がり、彼女を促すように出入り口の方へと誘導した。

 相談スペースから立ち上がると、事務所の奥の給湯スペースにいたサトリさんが、僕たちの気配に気づいて顔を上げた。

 僕と目が合うと、彼女は悪戯っぽく、けれどどこか「そのお茶、どうするの?」とでも言いたげな困り眉で微笑んでくる。

 初音さんには気づかれないよう、僕は「後で必ず融かして飲みます」という意味を込めて、小さく目配せを返した。

 さすがはサトリの人外だけあって、彼女は今の僕の動作だけで全てを察し、満足そうに小さく頷いてくれた。

「――それでは、行ってまいります」

 局長とサトリさんに見送られながら、僕と初音さんは管理局の正面玄関を出た。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。