白澤診療所
木製の扉を開ける。
ガラガラ、と乾いた音がして、薬草と生薬が混じり合った、どこか香ばしく懐かしい匂いが鼻をくすぐった。
「白澤さん、こんにちは。管理局の槇尾です」
カウンターの奥で、白衣をだるそうに羽織った青年が、薬研を挽く手を止めた。
ゆっくりと顔を上げ、眼鏡の奥からこちらを見る。
そして、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「やあ、お使いの坊やか。瀬尾くんも相変わらず人使いが荒いね。こんな若者をこき使ってさ」
開口一番の嫌味に、僕は苦笑いするしかなかった。
「そっちの子は?」
「白乃さんのところでお世話になっている、雪原初音です。はじめまして、白澤さん」
初音さんがペコリと深々とお辞儀をする。
白澤さんは薬研を動かす手を止め、眼鏡の枠を指先で少し持ち上げると、初音さんをじっと見つめた。
「ふうん……あの白乃が、久しぶりに店員なんて雇ったと思ったら、案外素直そうな子だ」
そう言って薄く笑うと、白澤さんはカウンターの下から整然と紙で包まれた薬の小包を取り出した。
「頼まれていた常備薬だ。持って行きな。瀬尾くんには『たまには自分で歩いて取りに来い』と伝えてくれ」
「ありがとうございます。それと……白乃さんから、これを白澤さんにと預かってきました」
初音さんが鞄から大切そうに取り出したのは、白乃さんが挽いたコーヒーの入った袋だった。
それを見た瞬間、白澤さんは「遅かったな」と分かりやすく不機嫌そうな顔を作ってみせる。
「……あいつ、二週間以上も前に頼んでいたコーヒー、忘れてたのを言われたくなくて、わざと君に届けさせたんだろう。本当に相変わらず意地の悪いばあさんだ」
酷い言い草だが、袋を受け取る手つきは驚くほど丁寧で、愛おしむようにその香りを確かめている。粗末に扱う気配などさらさらなかった。
「白乃さんは、とてもお優しい方ですよ」
白乃さんを庇うように初音さんが微笑むと、白澤さんは鼻でふっと笑った。
「あの女が優しいのはね、気に入った奴と……まあ、昔から変わらず待ち続けている奴に関わる事だけさ」
「えっ……待ち続けている人、ですか?」
初音さんが不思議そうに小首を傾げる。
白澤さんは、それ以上答えるつもりはないというように、白衣のポケットに手を突っ込んでひらひらと手を振った。
「それ以上知りたきゃ自分で訊くんだね。教えてくれるかは知らんが」
口元に意地の悪そうな笑みを浮かべながらも、白澤さんは手際よく器具を取り出した。
届いたばかりのコーヒーを淹れ、丁寧にお湯を注ぎ始めると、部屋中に芳醇な香りが広がっていく。
「とにかく、あの女の見た目の淑やかさに騙されちゃいけないよ。あいつも聖女じゃない。ただの、一癖も二癖もある欲深い女さ」
吐き捨てるような嫌味。けれど、コーヒーを淹れる彼の横顔には、どこか遠くを思うような、諦めと愛おしさが混ざり合った静かな影が落ちていた。
「……はい?」
初音さんはぽかんと首を傾げている。
全てを明かさない白澤さんの言葉。けれど、どこか白乃さんという存在への深い理解と、秘められた過去を感じさせる余韻だけが、しんと静かな診療所に残った。
白澤さんは少し気まずそうに頭をかくと、話題をそらすように初音さんを見た。
「初音くん。……君は少し熱がこもっているようだね。秋とはいえ、昼間はまだ暖かいから涼しいところにいるように」
「……白澤さん、私のことが分かるんですか?」
「雪女」
白澤さんの即答に僕が思わず感心して頷いていると、すかさず視線が飛んできた。
「頷いてどうしたんだい、槇尾くん。君も半妖なんだから、人の体調ばかり気にしていないで自分の心配をしたらどうだい?」
「はい……」
「まったく。白乃のところも瀬尾くんのところも、揃いも揃って世話が焼けるね」
口では呆れつつも、その口元にはほんの少しだけ笑みが浮かんでいた。
白澤さんは淹れたてのコーヒーカップに口を付け、再び薬研を握ってカシャカシャと静かな音を響かせ始める。
初音さんは、そんな白澤さんをじっと見つめていた。
「……白澤さんって、白乃さんと仲がいいんですね」
「は?」
白澤さんの眉がぴくりと動いた。
「どこをどう見たら、そうなるんだい?」
「だって……白乃さんのこと、よく知っているみたいですし」
「……あの女とは、昔からそういう仲なんだよ」
「昔から?」
「そう。長すぎて、今さら切ろうにも切れないくらいにはね」
白澤さんは小さく息を吐いた。
「放っておくと、一人で何でも抱え込む女だからね」
「……白澤さん——変な人ですね」
「君に言われたくないね」
「えっ」
「ほら、もう帰った帰った。白乃は店で待っているんだろう?」
「はい」
「なら、早く行きな。あいつに『初音をいつまで連れ回しているんだ』って文句を言われる前にね」
白澤さんは手をひらひらと振る。
「あ、初音くん——白乃に伝えておいて」
「何をですか?」
「コーヒーは確かに受け取った。……次はもう少し早く持ってこい、と」
それだけ言って、白澤さんはまた薬研を挽き始めた。
「分かりました」
初音さんが笑いながら素直に頷く。
「それでは、失礼します」
僕は深くお辞儀をして、白澤さんを背にした。
外に出ると秋の風が、頬を撫でた。
「良治さん?」
扉が閉まるのを確認したように、初音さんが僕に問いかける。
「白澤さんって……やっぱり、白乃さんのこと大切にしてるんでしょうか?」
「……たぶんね」
僕は少しだけ笑った。
そして僕たちは、局へと向かった。




