小さなカメラマン
百目さんの写真屋に着くと、入り口に見慣れた人物が立っていた。
「あ、良治さん、サトリさん。こんにちは」
「初音さん。写真屋さんに御用ですか?」
「はい。ちょっとお願いしたいものがあって」
初音さんは、手にした小さな紙袋をそっと持ち上げてみせた。
「この前、桜さんと一緒に少し早い紅葉を見に行ったんです。景色のいい喫茶店でお茶をしたりして」
「その時の写真を現像しに?」
「はい。スマホのカメラも綺麗なんですけれど……白乃さんがフィルムのカメラを貸してくださって」
「桜さんとの思い出ですね」
「ええ。せっかくですから、ちゃんと形に残しておきたくて」
初音さんの顔に、愛おしそうな笑みが浮かぶ。
「今度会った時に渡そうと思っているんです」
「桜さんも、絶対に喜びますね」
サトリさんが嬉しそうに頷くと、初音さんは少し照れたように小さく笑った。
「……前は、こんなふうに写真を撮るなんて考えもしなかったんですけどね」
「そうなんですか?」
サトリさんが首を傾げる。
「はい。でも先日、白乃さんのお店でサトリさんがカメラで撮ってくださったのを見て……こういう何気ない日常の瞬間も、ずっと大切に残しておきたいなって思うようになりました」
その言葉に、僕は静かに頷いた。
「あぁ——だから僕も、普段からスマホで写真を撮っちゃうのかもしれません」
「ふふ、そうですね。以前もそう仰っていましたね」
誰かと出会い、共に時間を過ごし、笑い合う。そんな何気ない一瞬一瞬が、いつかかけがえのない思い出になっていくのだ。
「それじゃあ、中に入りましょうか」
「はい」
初音さんが扉を開けると、カランと静かなベルの音が響いた。
「いらっしゃい――おや?」
カウンターの奥から百目さんの声が聞こえた直後、ぱたぱたと賑やかな足音が近づいてくる。
「撮るよ!」
元気いっぱいの声が店内に響き渡った。
「……今の、瞬くん?」
僕が驚いて目を丸くすると、サトリさんがくすりと嬉しそうに笑った。
「はい。どうやら今日も、とても元気そうですね」
「こっち」
元気いっぱいの声とともに、店の奥から小さな人影が飛び出してきた。
まだ人の姿としては、どこかぎこちない。
少し大きめのシャツに、短い髪。その顔立ちはまだ幼く、手足の動かし方にも不慣れなところがある。
けれど――。
「瞬くん……!」
サトリさんが嬉しそうに声を上げる。
瞬くんは僕たちを見るなり、ぱっと顔を輝かせた。
「サトリ!良治!」
「おお……」
思わず声が漏れる。
あの時は、人の姿になることすらできなかった。
光を瞬かせ、シャッター音を鳴らすことでしか自分の存在を伝えられなかった小さな付喪神。それが今は――。
「こんにちは、瞬くん」
「こんにちは!」
僕の言葉を聞いて、きちんと返事をしている。
「ずいぶん上手に話せるようになったね」
「うん! 百目さん、いっぱい教えてくれた!」
そう言って胸を張る。
その様子を見ていた百目さんが、カウンターの奥から苦笑した。
「いやぁ、覚えるのが早くてねぇ。まあ、覚えた言葉の半分くらいが写真を撮る時にしか使えないんだが」
「撮るよ!」
瞬くんがすかさず言った。
「ほらね」
「はは……」
店内に笑い声が広がる。
瞬くんは嬉しそうに僕たちの周りを歩き回りながら、何度もシャッターを切る真似をしている。
「瞬くん、今は人化の練習をしてるんですよね?」
サトリさんが尋ねると、百目さんが頷いた。
「ああ。まだ長時間は難しいけどね。最初は腕一本出すだけでも精一杯だったんだが、今じゃこの通りだ」
百目さんがそう言うと、瞬くんは少し照れたように笑った。
「まだ、むずかしい」
「でも、すごいですよ」
サトリさんがしゃがんで目線を合わせる。
「少しずつで大丈夫ですからね」
「うん!」
瞬くんが元気よく頷いた。
百目さんが初音さんの手元へ目を向ける。
「そうだ。初音ちゃん、フィルムを持ってきたんだよね?」
「はい。お願いします」
初音さんが紙袋からフィルムを取り出す。
瞬くんは、それを見るなり目を輝かせた。
「写真?」
「うん。桜さんと一緒に撮った写真なんです」
「桜?」
「私のお友達です」
「ともだち……」
瞬くんが、その言葉を小さく繰り返した。
そして、何かを思いついたように顔を上げる。
「いい写真、撮れた?」
「ええ——とても。桜さんもきっと喜びます」
初音さんが微笑む。
「よかったね」
そう言った瞬くんの声には、ほんの少しだけ誇らしさが混じっていた。
誰かの思い出を残し、笑顔を作る。カメラという自分の役割が誰かを幸せにしていることが、彼にとってもどこか誇らしかったのかもしれない。
瞬くんにとって、自分がこれから生きていく場所が、少しずつ見えてきている。そんな気がした。
「じゃあ、現像しておくよ」
「お願いします」
百目さんがフィルムを受け取る。
その横で、瞬くんは店内のカメラを一台ずつ眺めていた。
「瞬くんは、将来どんな写真を撮りたいの?」
僕が何気なく尋ねると、瞬くんはしばらく考え込んだ。
「……いっぱい」
「いっぱい?」
「うん。笑ってる人」
短い言葉だった。
けれど、その答えを聞いた瞬間、僕は少しだけ胸が熱くなった。
きっと、この子はこれからも、誰かの笑顔を見つけていくのだろう。
その時――。
「瞬、次のお客さんだよ」
百目さんが声をかける。
「はーい!」
瞬くんは元気よく返事をすると、店先へ駆けていった。
その背中を見送りながら、サトリさんが小さく笑った。
「本当に、変わりましたね」
「うん」
僕も頷く。
「最初に会った時とは、別人みたいだ」
「……でも」
サトリさんが、少しだけ目を細める。
「きっと、同じ子なんですよね」
「え?」
「あの時、光や音で一生懸命伝えようとしていたことも。今、言葉で伝えようとしていることも」
そう言って、サトリさんは瞬くんの背中を見つめた。
「ただ、伝える方法を少しずつ覚えているだけなんだと思います」
「……なるほど」
僕が静かに頷くと、店の外では秋の風が街路樹を揺らしていた。
カラン、と入口のベルが鳴る。
「いらっしゃいませ!」
瞬くんの元気な声が店内に響く。
その声を聞きながら、僕はふと思った。
この街には、まだ僕の知らないたくさんの暮らしがある。
人間の姿を借りて生きる者。人間と関わりながら居場所を作る者。そして――生まれたばかりの付喪神として、これから自分の生き方を探していく者。
秋の始まり。そんな穏やかな日々の中で、僕たちは少しずつ、それぞれの明日へ歩みを進め始めていた。




