小さな一歩
僕とサトリさんは、白乃さんのお店を後にして、釜吉さんの元を訪ねた。
釜吉さんは大きな目をくりくりと動かし、サトリさんの両手に収まったカメラをじっと見つめる。
「釜吉さん。この子なんですが……」
僕が言い終わる前に、すべてを察したように頷いた。
「ほう……一眼レフの付喪神か。生まれたてで、まだ言葉もろくに喋れんようだな」
釜吉さんは「のっ」と喉を鳴らし、太い指先でカメラのボディを優しく撫でた。
「ワシの知り合いに、百目がやっている写真屋があってな。あそこなら、人化の修行も、人の世で暮らす術も教えてくれるぞ」
そして、カメラを覗き込むように首を傾げる。
「それに、たくさんの笑顔を撮る仕事もできるはずだ」
釜吉さんは、少しだけ間を置いて尋ねた。
「……どうだ? 働いてみるか?」
その言葉に応えるように、カメラのレンズがチリ、と小さな音を立てた。
そして――レンズの奥に、温かな光が宿る。
「ふむ。気に入ったようだな」
釜吉さんが、満足そうに頷いた。
こうして、信之さんのカメラは釜吉さんの紹介で、街の小さな写真屋で働くことになった。
これから、たくさんの人と出会い、たくさんの「今」を写していくのだろう。
「そういえば、釜吉さん。先日お話ししていました、地域の清掃活動への参加はどうでしたか?」
僕が思い出したように尋ねると、釜吉さんは「のっ」と喉を鳴らし、少し照れくさそうに頭をかいた。
「それがのう……最初は子供らも『でっかい、イカついおっちゃんが来た』って、遠巻きに見ておったんだがな」
「やっぱり、少し怖がられちゃいましたか?」
「うむ。じゃが、黙々と缶やペットボトルを拾っとったら、近所のおばちゃんが『手伝ってくれて助かるわぁ』と菓子をくれての」
釜吉さんは、嬉しそうに目を細める。
「それを見た子供らも、面白がって一緒にゴミ拾いを手伝ってくれたんじゃ」
「それは良かったですね!」
「おうよ。最後には『ガマ親分』なんて変なあだ名までつけられてな」
そう言って、釜吉さんは照れくさそうに笑った。
「……まあ、悪くない気分じゃったわ」
人化した姿の圧が少し強くても、真心を込めて行動すれば、それはちゃんと人に伝わるらしい。
「それにな、ゴミが減ったおかげか、最近はまた池に小さな小魚が戻ってきてな」
「本当ですか?」
「うむ。……お主のアドバイスのおかげじゃ、良治」
「いえ、僕なんて大したことはしていません。釜吉さんが勇気を出して、一歩を踏み出したからです」
僕が微笑むと、隣で黙って話を聞いていたサトリさんも、ふっと目元を和らげて頷いた。
以前の僕なら、人間とあやかしの間にある「問題」を解決することだけを考えていた。
けれど今は違う。
問題をなくすだけじゃない。
誰かがこの街で生きていくための、ほんの小さな「きっかけ」を作ることも、自分たちの仕事なのだと思えるようになった。
木々の間から差し込む夏の光を感じながら、僕は胸の奥に生まれた小さな手応えを、そっと噛みしめていた。




