これからも、この場所で
それから一週間ほどして、圭吾さんから一本の電話が入った。
『今度はばあちゃんと千代ちゃんも交えて、一度お話ししたいんです』
その声は、以前よりもずっと晴れやかだった。
こうして僕たちは、再び白乃さんのお店で顔を合わせることになった。
お店に入ると、すでにトヨさんと千代さん、そして圭吾さんがテーブル席で待っていた。
「こんにちは」
僕が声をかけると、三人は穏やかな表情でこちらを迎えてくれた。
白乃さんと初音さんは、トヨさんと千代さんには温かなほうじ茶を、圭吾さんと僕にはアイスコーヒーを運んできてくれた。
「それじゃあ、私たちは向こうにいるわね」
白乃さんは初音さんとともにカウンター席へ移り、僕たちの話を静かに見守る。
「初めまして。人外適応管理局の槇尾良治です」
僕が頭を下げると、ふわりとしたパーマのかかった短い白髪に、どこか朗らかな面影を残した、ふくよかな女性が穏やかに微笑み、丁寧に頭を下げた。
トヨさんの姿は僕の祖母に似ているわけではない。それでも、どこか祖母を思い起こさせる面影があった。
「初めまして。持田トヨです。圭吾から、お話は聞いております。本当に、私たちのためにありがとうございます」
挨拶を終えると、圭吾さんがゆっくりと口を開いた。
「昨日、ばあちゃんとたくさん話しました。最初は『施設へ入る』の一点張りでした。でも、行政サービスや訪問介護のことを説明して、俺も一緒に暮らす覚悟を話したら……本音を話してくれました」
そう話す圭吾さんの目は、優しくトヨさんと千代さんを見つめていた。
「私は、家族に迷惑を掛けたくなくてね。最近は物忘れもするし、買い物にもなかなか行けなくなって……。みんなにもそれぞれの生活があるでしょう。だから、自分のことは自分で片付けなくちゃって、そればかり考えていたの。でも本当は、住み慣れた家を離れたくなかった。それに、千代とも離れたくはなかったのよ」
祖母もきっと、同じような思いを胸に抱えていたのかもしれない。
そう思った瞬間、胸の奥で何かが静かに疼いた。
僕は静かに言葉を添えた。
「家族の形は一つじゃありません」
そう言うと、圭吾さんが静かに口を開いた。
「両親にも相談したんですが、遠方に住んでいることもあって、『ばあちゃんが施設を望んでいるなら、その方が安心じゃないか』と言われて……。でも、それはばあちゃんが本音を隠して『施設に行きたい』って言ったからなんです。本当の気持ちを知った以上、俺は黙っていられません。日々の暮らしは、近くにいて介護の知識もある俺が支えます。この家で、ばあちゃんと千代がこれまで通り暮らせるように」
その決意に満ちた言葉を聞き、トヨさんは目元を潤ませながら、「ありがとう……」と言ってそっと圭吾さんの手に自分の手を重ねた。
千代さんも小さな手を重ね、三人の手が静かにひとつになる。
「ワシは、これからもあの家で婆さんと一緒にいられるのじゃな」
不安げだった表情から、少し安堵の色が浮かぶ 。
その様子を見ていた圭吾さんが、穏やかな声で告げた。
「これからは俺も一緒だよ、千代ちゃん」
三人が寄せ合う手を見つめる初音さんの瞳が、窓から差し込む光を受けてわずかに潤んだように見えた。
その後、圭吾さんの引っ越しは早々に進められることになった。
「私たちもお手伝いするし、様子を見に行くわ」
白乃さんが穏やかに微笑み、初音さんも小さく自分の手を握りしめて頷く。
「千代さんのお引越しを心配して始まったご相談でしたが、こうしてこれからもこの家で一緒に暮らせる形になって本当に良かったです。ただ、支援は今日で終わりではありません。これからも定期的にお伺いしますし、困ったことがあれば、いつでも管理局へ来てください」
僕も改めてそう伝えた。
「うむ。今度は相談ではなく、遊びに行くぞ」
千代さんは照れ隠しのように胸を張った。
その言葉に、僕は思わず笑った。
「はい。いつでも待っています」
千代さんは満足そうに頷くと、トヨさんの隣へちょこんと座り直した。
その姿を見つめながら、僕は胸の奥に小さな温かさを感じていた。
今回の相談が始まったとき、僕は千代さんの新しい家を探さなければならないと思っていた。
けれど、話を進めるうちに、千代さんが大切にしてきた今の居場所を守ることもできるのだと気づいた。
ただ、そのためには誰かが何かを犠牲にしなければならないのではないか――僕は、いつの間にかそんなふうに考えていたのかもしれない。
黒猫が投げかけた問いの意味も、今なら少し分かる。
誰か一人を犠牲にして居場所を守るのではない。
その人が大切にしているものを、周りの人と一緒に守っていく。
それが、人間と人外が共に生きていくということなのだろう。
そして、それを支えることこそが――僕たち管理局の仕事なのだ。
窓の外では、夏の陽射しが街を照らしていた。
持田家にも、また新しい日々が始まろうとしている。
僕はその未来が、どうか穏やかなものでありますようにと願いながら、静かに席を立った。




