それぞれの想いを繋いで
――そして、翌朝。
僕は白乃さんとの待ち合わせ場所である駅前へ向かった。
朝日が真夏の暑さを予感させる中、改札前で待っていたのは白乃さん――そして、その隣には初音さんの姿もあった。
「おはようございます」
僕が声をかけると、初音さんはぺこりと丁寧に頭を下げた。
「おはようございます、槇尾さん」
「初音さんも来られたんですね。今日はスーパーのお仕事はお休みですか?」
そう尋ねると、白乃さんはくすりと微笑み、初音さんの肩をそっと引き寄せる。
「ええ、今日はお休みなの。それに、千代ちゃんのことをとても気にしていたでしょう? 社会勉強も兼ねて、私が誘ったのよ」
そう言われた初音さんは、少し照れたように視線を伏せた。
「……はい。昨日から千代さんのことが、ずっと気になっていて」
伏せられた瞳には、昨日、千代ちゃんを優しく抱きしめたときと同じ、真っ直ぐな優しさと案じる気持ちが宿っていた。
昨夜、黒猫に突きつけられた重い問いは、いまも胸の奥で静かに燻り続けている。
それでも、千代ちゃんのために真剣に向き合おうとする二人の姿を見ていると、その迷いも少しずつ晴れていくような気がした。
僕たちは、持田トヨさんのお孫さん――持田圭吾さんとの待ち合わせ場所である喫茶店へ向かった。
使い込まれた木製のドアを押すと、カラン、と涼やかなベルの音が店内に響く。
待ち合わせの名前を告げると、店員が四人掛けのテーブル席へ案内してくれた。
席に着いて五分も待たないうちに、一人の青年がこちらへ歩いてきた。
清潔感のある短髪に、Tシャツとチノパンという気取らない服装。見たところ、二十代半ばほどだろう。
「初めまして。お待たせしました」
彼こそが、持田圭吾さんだった。
「こちらこそ、お時間をいただきありがとうございます。人外適応管理局で相談員をしております、槇尾良治と申します」
僕はすぐさま立ち上がり、名刺を差し出して深く一礼した。
圭吾さんは、『人外適応管理局』と書かれた聞き慣れない名刺を、じっと見つめた。
「こちら、白乃さんと、同席させていただく初音さんです」
「白乃さん、お久しぶりです。……そちらの方も、初めまして。持田圭吾です」
圭吾さんは丁寧にお辞儀を返すと、僕から名刺を受け取り、白乃さんに少しだけ表情を緩めた。
しかし、その目元には隠しきれない疲労の色が滲んでいる。
「圭吾くん、お久しぶりね。大きくなって……忙しいところ時間を作ってくれてありがとう」
全員が席に着くと、圭吾さんは少し身を乗り出し、不安げな眼差しを僕たちへ向けた。
「電話で『ばあちゃんの件で話がある』と聞きましたが……」
僕はトヨさんの今の状況を説明した。
「トヨさんは今、体調を崩され、ご家族の負担になりたくないと、ご自身で施設への入所を希望されています。ただ……一つだけ、どうしても心残りにされていることがあるんです」
圭吾さんは目を見開いた。
「施設、ですか……?」
その反応を見る限り、入所の話は初耳だったようだ。
「なんで……俺に何も言ってくれなかったんだ。俺、介護士なのに……ばあちゃんの異変にも気づけなかった」
圭吾さんは自分の不甲斐なさを悔やむように、頭を抱え込んだ。
「介護士をされていたんですね。――トヨさんは、あなたの負担になりたくなかったんでしょう」
祖母と暮らしていた頃を思い出し、胸の奥が小さく痛んだ。
彼を追い詰めるために来たわけじゃない。みんなが前を向いて暮らせる道を、一緒に探す。それが僕の役目だ。
圭吾さんはゆっくりと息を吐き、気持ちを落ち着かせるように顔を上げた。
「……すみません。ばあちゃんの心残りというのは、何なんですか?」
ここで一つ、伝えなければならないことがある。
「これからお話しする内容は、人外に関する機密事項です。本来、人外の存在をお伝えできる相手は厳しく限られています。しかし今回は、千代さんとトヨさんの生活に関わる重要な案件であり、管理局として必要と判断しました。どうか、この場限りのお話として受け止めてください」
圭吾さんは一瞬目を見開いたあと、真剣な表情でゆっくりと頷いた。
「……承知しました」
その一言だけで、店内の空気が静かに張り詰める。
僕は白乃さんからあらかじめ預かっていた古い写真を一枚、そっとテーブルの上に滑らせた。
そこには、幼い頃の圭吾さんとトヨさん、そして――その背後にうっすらと映り込む、赤い着物を着たおかっぱ頭の少女の姿があった。
「トヨさんは、あの家にずっと寄り添ってきた『千代ちゃん』という存在のことを何より心配されています。自分がいなくなれば、あの子が独りぼっちになってしまうからと」
「ちよ……ちゃん……?」
写真を見つめる圭吾さんの瞳が、ハッと大きく見開かれた。
「……待ってください。千代ちゃんって……あの子のことですか?」
指先をかすかに震わせながら、圭吾さんは写真を両手でそっと包み込むように見つめた。
「俺が小さい頃、実家の二階で……誰もいないはずの部屋で一緒に遊んでくれた、あのおかっぱの女の子……?」
「……気づいていらしたんですね」
僕が尋ねると、圭吾さんは溢れそうになる涙を必死に堪えながら、どこか愛おしそうに目を細めた。
「気づかないわけないですよ。俺にとっては、大切な幼少期を一緒に過ごした、不思議な友達でしたから。」
圭吾さんはぐっと拳を握りしめ、力強い眼差しで僕たちを見つめ直した。
「ばあちゃんも、千代ちゃんも……俺に隠れて、一人で抱え込もうとするなんて、水臭すぎますよ。」
圭吾さんは写真へもう一度目を落とし、しばらく黙って考え込んだ。
やがて何かを決意したように、ゆっくりと顔を上げる。
「……俺に考えがあります。介護士として、そして孫として、みんなが納得できる方法を」
その言葉を聞いた瞬間、昨夜、黒猫から突きつけられた問いに、ようやく答えへ続く道筋が見えた気がした。
人間であっても、人外であっても、積み重ねてきた時間や想いは、誰か一人が犠牲になることで守るものではないはずだ。支え合いながら、未来へ繋いでいくものなのだ。
そのときだった。
「あの……私にも、お手伝いできることがあれば……させてください」
それまで静かに耳を傾けていた初音さんが、おずおずと、けれど真っ直ぐな眼差しで圭吾さんへ声を掛けた。
「私、まだ知らないことばかりで……お役に立てるかどうかも分かりませんけれど……千代さんが大切な家族を想う気持ちは、少しだけ分かる気がするんです」
「初音さん……」
初音さんの申し出に、白乃さんも柔らかく目を細め、静かに頷いた。
「そうね。私もお手伝いさせてちょうだい。不動産屋としても、持田家と縁のある者としても……できる限りの協力をするわ」
圭吾さんはしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと息を吐く。
「……一人で抱え込まなくても、いいんですね。いつも俺は、ご家族には『一人で抱え込まないで』って言っていたのに……。」
その声は、張りつめていた糸がふっとほどけたように穏やかだった。
「介護士をしているので、利用できる行政サービスについては一般の方より知識があります。皆さんの力も借りながら、在宅介護という道も含めて、もう一度ばあちゃんと向き合ってみます。千代ちゃんと一緒に、あの家を守れる方法を探したいんです。」
その言葉に、僕は自然と笑みがこぼれた。
「それが一番いいと思います。制度の手続きで分からないことがあれば相談してください。そして、千代さんとトヨさん、圭吾さんがこれからも安心して暮らせるよう、人外に関わることは管理局が責任を持って支えます。人間と人外、そのどちらかを守るんじゃありません。二つの世界を繋ぎながら、みんなが笑って暮らせる道を探す。それが、僕たち管理局の役目です。」
圭吾さんは静かに頷いた。
話し合いを終え、僕たちはそれぞれの役目を胸に喫茶店を後にした。
まだ何も決まってはいない。
けれど、少なくとも今は、誰か一人がすべてを背負う必要はない。
それだけでも、昨日までとは違う一歩だった。
あとは――圭吾さんの決断を信じるしかない。




