本当に守るべきもの
数日後、白乃さんから連絡が入った。
『良治くん、お孫さんと話がついたわ。明日なら都合が合うそうよ。一緒に会いに行きましょう』
その知らせを受け、僕はすぐに瀬尾局長の席へ向かった。
「局長。白乃さんから連絡がありました。明日、お孫さんとお会いできるそうです」
瀬尾局長は書類から顔を上げ、僕を見ると安心したように頷いた。
「一つ前進だね。今は良治くんが担当だ。しっかり話を聞いてきなさい。焦らず、君の目で見てくればいい」
「はい」
短い言葉だったけれど、その声には僕に任せてくれているという静かな信頼があった。
『良治くんなら大丈夫ですよ』
サトリさんの穏やかな思念が、そっと胸の奥へ届く。
「ありがとうございます」
二人に深く頭を下げ、僕は自分の席へ戻った。
机の上には、持田家についてまとめた資料が置かれている。
千代さんから聞いた話。
トヨさんの施設入所についての資料。
そして、明日会うことになる圭吾さんについて、白乃さんから聞いた情報。
僕は一つひとつ資料を確認しながら、明日の面談で何を聞くべきかを頭の中で整理していった。
窓の外では、真夏の日差しが照り返している。
絶え間なく鳴いていた蝉の声も、夕刻が近づくにつれてどこか遠くに聞こえる気がした。
明日、圭吾さんに会う。
千代さんとトヨさんの現状を、丁寧に伝えなければ。
僕は静かに息を吐くと、明日の予定をしっかりと手帳へ書き込んだ。
◇
その夜。
静まり返った管理局の事務所で、僕が一人残業をしていると、窓の外から小さな鳴き声が聞こえた。
「……にゃあ」
見やると、あの喫茶店の前にいた黒猫が、二階の窓枠へちょこんと腰を下ろしていた。
「また君か」
昼間、声を出さずに鳴いていた不思議な野良猫だ。
僕が苦笑交じりに呟くと、黒猫は黄色い瞳を細めた。
「……聞いたぜ。座敷わらしの話」
「え?」
低く落ち着いた男の声が、確かに猫の口から聞こえた。
「この街じゃ、情報は風より早い」
「……会話ができるのか?」
思わず身構える。
(そうか……ただの野良猫じゃない。あの気配……猫又か)
頭の中で知識を引っ張り出し、どうにか動揺を抑えようと息を整える。
猫又はそんな僕を見据えたまま、静かに口を開いた。
「座敷わらしは、幸運を運ぶ妖だなんて、人間は都合よく言う」
夜風が、黒い毛並みを揺らす。
「だが、あいつらは”幸せな家”に惹かれる妖だ。幸運は結果に過ぎねぇ」
その言葉に、僕は思わず息を呑んだ。
「お前らさ。座敷わらしのために、誰かを犠牲にする気か?」
「そんなつもりはありません」
僕は思わず言い返していた。
「誰も犠牲にならない方法を探すために、僕たちは動いています」
猫又は鼻で小さく笑った。
「探してる、か」
その声には嘲りではなく、どこか試すような響きがあった。
「施設へ入る婆さん。介護を背負うかもしれねぇ孫。そこへ居座る座敷わらし。……それで、みんな本当に幸せになれるのか?」
核心を突かれ、僕は言葉を失う。
「人助けってのはな、その場だけ綺麗に収めることじゃねぇ」
猫又は夜の街を見つめたまま続けた。
「十年先、二十年先……その先まで考えて、それでも幸せだと言えるのか。そこまで考えてから口を出せ」
その一言が、胸の奥へ重く沈んでいく。
「その後の尻拭いまで考えろ。それが管理局の仕事なんじゃねぇのか」
猫又はゆっくりと立ち上がる。
「最後まで考え抜け。そうすりゃ、お前なりの答えが見えてくる」
そう言い残すと、黒猫は夜の闇へふわりと飛び降り、そのまま姿を消した。
静まり返った事務所には、エアコンの稼働音だけが虚しく響いている。
僕が求めていた「居場所を守る」ということは、誰かの未来を縛ることにはならないだろうか。
――僕たち管理局が、本当に守るべきものは何なのだろう。
冷め切った湯呑みを手に取り、一口だけお茶を飲む。
苦みだけが静かに口の中へ広がっていった。
明日、圭吾さんに会えば、その答えが少しだけ見えてくるかもしれない。
そう願いながら、僕はもう一度、机の上の資料へ視線を落とした。
管理局の夜は、静かに更けていく。




