座敷わらしの居場所
——数日後。
「失礼するぞ」
ちんまりとした背丈に、艶やかなおかっぱ頭。着物姿の愛らしい少女――座敷わらしの持田千代ちゃんを連れて、僕は再び白乃さんの喫茶店を訪れた。
「持田」という苗字は、初めて家族として迎えてくれた家から授かったものだという。
「こんにちは、白乃さん。千代ちゃんをお連れしました」
僕は千代ちゃんの肩にそっと手を添えた。
「千代ちゃん、こちらは白乃さん。不動産屋も営んでいて、引っ越しの相談に乗ってくださる方です」
そう声を掛けると、千代ちゃんは胸を張り、威厳たっぷりにぴしゃりと言い放った。
「小童。ワシを子供扱いするでない」
(見た目はどう見ても子どもなんだが……)と喉まで出かかった言葉を、僕はどうにか呑み込んだ。
「ふふ、ごめんなさい。では、千代さんとお呼びした方がいいかしら?」
白乃さんが笑みをこらえながら尋ねる。
「……千代ちゃんでよい。だが、小童。お主は千代さんと呼べ」
白乃さんがくすりと笑う。僕が思わず「結局、どっちなんですか」とツッコミを入れると、千代さんはフンと小さな鼻を鳴らした。
「ワシにもいろいろあるのじゃ」
そう言って視線を伏せた千代さんの横顔に、ほんの一瞬だけ深い寂しさがよぎった気がした。
今日はスーパーの仕事が休みだった初音さんも、白乃さんと一緒に開店準備を手伝っていた。食器を並べながら、僕たちの話へ静かに耳を傾けている。
「今回、千代さんから引っ越しの相談を受けまして、僕が瀬尾局長から担当を引き継ぐことになりました」
僕が改めて事情を説明すると、白乃さんは静かに頷き、千代さんへやさしく視線を向けた。
「それじゃあ、千代ちゃん、まずはお話を聞かせてもらえるかしら。」
白乃さんに促され、千代さんは静かに頷いた。
「ワシは今、持田トヨという婆さまの家で暮らしておる」
千代さんは言葉を選びながら、ゆっくりと語り始める。
「婆さまは、ワシのことを本当の孫じゃと思うておってな。二人で慎ましく暮らしておったのじゃが……最近、少しずつ身体を悪くしての」
そこで一度言葉を切ると、千代さんは膝の上で小さな拳をぎゅっと握りしめ、ぽつりと視線を落とした。
「……施設へ、入ることになった」
静かな店内に、重い沈黙がそっと落ちる。
「じゃから、ワシもあの家を出ねばならんのじゃ」
そう呟いた千代さんの声は、消え入りそうなほど小さかった。
白乃さんは何も言わず、湯気の立つ温かい緑茶を千代さんの前へそっと置いた。
千代さんは立ち上る湯気をじっと見つめたまま、小さな肩を落としている。
白乃さんはカウンター越しにしばらく静かに考え込み、やがて顔を上げると、やさしい声で尋ねた。
「千代ちゃんは……本当はどうしたい?」
白乃さんのその問いかけに、僕は胸を突かれたような心地がした。
僕はただ「新しい家(物件)を探すこと」ばかり考えていた。千代さんが本当は何を望んでいるのか――そこまで思い至っていなかった自分に気づかされたのだ。
当の千代さんも、自分の気持ちを尋ねられるとは思っていなかったのだろう。しばらく黙り込んだあと、小さく唇を動かした。
「ワシは……」
千代さんが握りしめた湯呑みが、カタカタと小さく震える。
僕たちは誰も口を開かず、ただ静かにその続きを待った。
「ワシは、ずっと昔から世話になった持田の家を離れたくない……。トヨ婆さまのことは、あの子がまだ小さかった頃からずっと見てきた。ワシにとっては、大切な家族なんじゃ」
千代さんは、今にも零れ落ちそうな涙をこらえるように、ぐっと唇を噛みしめた。
「……婆さまが施設に入ってしまったら、あの家は誰もいなくなってしまう。ワシの居場所も、思い出も、全部なくなってしまうんじゃ……っ」
いつの間にか、初音さんが静かに千代さんの後ろへ回り込み、ひんやりとした両腕でそっと抱きしめていた。
「婆さまは、施設へ入った方が安心して暮らせる。けれど自分が家を離れることで、ワシが独りぼっちになってしまうのを一番心配しておる。……婆さまを困らせているのは、わしなんじゃっ」
「……大丈夫ですよ、千代さん」
初音さんは抱きしめる腕にそっと力を込め、耳元で優しく囁く。
雪女である彼女の身体はひんやりと冷たかったけれど、そこには間違いなく、千代さんの傷ついた心に寄り添う温かな情が宿っていた。
千代さんは驚いたように目を丸くしたあと、初音さんの胸へ顔をうずめ、小さな肩を震わせた。
しばらくの間、店内には嗚咽だけが静かに響く。
白乃さんはその様子を穏やかな眼差しで見守り、やがて静かに微笑んだ。
「――千代ちゃん。あなたの本心は分かったわ。話してくれてありがとう」
張りつめていたものがほどけたのだろう。
千代さんは初音さんに身を預けたまま、ゆっくりと瞼を閉じ始めた。
気づけば、すやすやと小さな寝息が聞こえ始めていた。
初音さんは千代さんを起こさないよう、そっとその身体を抱き直すと、あやすように優しく背中を撫でている。
僕はずっと千代さんの言葉の表面しか捉えられていなかった自分の不甲斐なさを反省しながら、白乃さんへと問いかけた。
「……千代さんの本心は分かりましたが、トヨさんの施設入所の件もありますし、どうしたものか……」
白乃さんは冷えたアイスコーヒーのグラスにそっと手を添え、どこか企むような、それでいて優しい笑みを浮かべた。
「良治くん。実はね、私、持田の家とは少し縁があるの」
グラスの中の氷をカラリと揺らし、白乃さんは片目を細める。
「あのお家のお孫さん、昔からとてもおばあちゃん子でね。今は別で暮らして働いているけれど……今回の施設の話、あの子にはまだ知らされていないんじゃないかしら」
白乃さんは静かに微笑んだ。
「あの子なら、きっとおばあちゃんを放ってはおかないと思うの」
少しだけ間を置いて続ける。
「だから、一度お孫さんに会ってみましょう」
白乃さんの言葉に、僕の胸の中へ、ぱっと一筋の光が差し込んだような気がした。
初音さんの腕の中では、千代さんが安心したように小さな寝息を立てている。
僕はその寝顔を見つめ、力強く頷いた。
「はい。ぜひ、よろしくお願いします」
その日は千代さんを持田家まで送り届け、お孫さんと会う日は後日改めて調整することになった。




