朧も、ずっと
局長は今起きたことを伝えた。
白澤さんは黙って話を聞いていた。
けれど、商店街で暁の妖気が強くなったことを伝えた瞬間、わずかに眉を寄せる。
「……予想より早いな」
「やっぱり、力が強くなっているんですか?」
「ああ。まず診る」
白澤さんはそう言うと、局長の腕の中にいる暁へ目を向けた。
「暁。少し妖気を診るぞ」
「……うん」
いつもより小さな返事だった。
白澤さんは暁の額へ手を近づける。
直接触れることはせず、その周囲を流れる妖気を慎重に探っていった。
しばらくして。
「……やはり増えている」
「どのくらいですか?」
「急激に、というほどではない。だが、今朝診た時より明らかに強い」
白澤さんの視線が、暁の周囲に張られた結界へ向かう。
「結界があるおかげで、流れ込む量そのものはかなり抑えられている。それでも、人の多い場所に長くいれば少しずつ蓄積する」
「それで、商店街に入って……」
「ああ。一気に流れ込む量が増えたんだろう」
白澤さんが暁を見る。
「身体は?」
「……ここ、いたい」
暁が胸元へ手を当てる。
「まだ痛むか」
「ちょっと」
「他には?」
暁は少し考えてから、首を横に振った。
「……ない」
「そうか」
白澤さんはもう一度妖気の流れを確かめ、それから小さく息を吐いた。
「今すぐ危険な状態ではない。人の少ない場所へ移動したことで、流れ込む量も減っている。妖気も落ち着き始めている」
その言葉に、僕は少しだけ肩の力を抜いた。
「でも……」
「ああ」
白澤さんは僕の言葉を遮るように答えた。
「問題は、これが一度きりでは済まないことだ」
「……」
「人がいる限り、人の負の感情はなくならん。疲れも、不安も、悲しみも、恐怖もな」
商店街で聞いた声が、頭をよぎる。
誰かを憎んでいたわけでもない。
誰かを傷つけようとしていたわけでもない。
ただ、生きている中で生まれた感情。
「結界で和らげることはできる。だが、完全に遮断することはできん」
白澤さんの声が少し低くなる。
「そして取り込めば取り込むほど、この子の力は強くなる」
「力が強くなれば……周りへの影響も」
「強くなる可能性が高い」
少し離れたところにいたサトリさんが、静かに目を伏せた。
さっき感じた妖気の重さを思い出しているのかもしれない。
白澤さんは、そんなサトリさんへ一度だけ視線を向ける。
「今回は結界がほとんど抑えてくれた。それでもサトリくんには影響が出た」
「はい。少しだけですが、妖気の流れが重くなりました」
「これ以上力が増せば、それだけでは済まなくなるかもしれん」
診療所の中が静かになる。
暁は、僕たちの話を聞きながら、局長の服を握っていた。
「……あかつき」
突然、小さな声が落ちる。
「うん?」
局長が暁を見る。
「つよくなる?」
「……そうみたいだね」
「つよくなると……みんな、くるしい?」
誰も、すぐには答えられなかった。
暁は局長を見上げる。
「サトリも?」
その言葉に、サトリさんの表情がわずかに揺れた。
けれど、すぐに穏やかに笑う。
「さっきは少しだけ苦しかったです。でも、もう大丈夫ですよ」
「……そっか」
暁は俯いた。
小さな手が、また胸元へ触れる。
「……おぼろ」
白澤さんが暁を見る。
「朧がどうした」
暁はしばらく答えなかった。
何かを探すように、自分の胸へ手を当てたまま。
「……おぼろも、これ?」
「これ?」
「かなしい。こわい。いたいの……いっぱい」
局長の表情が変わった。
暁は、ゆっくりと顔を上げる。
「おぼろも……ずっと?」
静かな問いだった。
局長はしばらく何も言わなかった。
それから、暁を抱く腕に少しだけ力を込める。
「……そうだよ」
「ずっと……くるしかった?」
「……うん。苦しかったと思う」
暁は何も言わなかった。
ただ、自分の胸元へ小さな手を当てる。
人の悲しみを。
恐怖を。
苦しみを。
ほんの少し触れただけで、暁はこんなにも苦しんでいる。
朧は、それを千年前――。
どれほど長い間、感じ続けていたのだろう。
暁は、何かを確かめるように胸元へ手を置いたまま、目を伏せていた。




