↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
傭兵カイウスの放浪譚  作者: フルツ好き男
一章 豊穣の村と赤髪の少女

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/29

1-6. 木漏れ日の下で

 土煙がようやく引いた。枝葉の隙間から木漏れ日が差し二人を照らした。さっきまでの薄暗さが嘘のようだ。

 

 カイウスは地に横たわったまま、目の前の少女を見上げていた。

 彼女は自分より頭二つは背が高く、手足もすらりと長い。服越しにも健康的で女性らしい豊かな体つきが分かった。


(……でっか)


 思わずそんな感想が浮かぶほど彼女の存在感は際立っていた。なかでも目を引くのは、腰まで流れる深紅の髪だ。森の緑の中で、そこだけ燃えているように鮮やかだった。


 少女は一瞬ためらい、小さな歩幅で近づいてくる。どう声をかければいいのか分からない——そんな素朴な戸惑いが、足取りに表れていた。


「……あの、大丈夫ですか? お怪我、痛くないですか?」


 水音のように澄んだ声は、こちらを気遣うように柔らかい。カイウスが返事をするまで、わずかに間が空いた。

 

「……あ、ああ。大丈夫だ、ありがとうな」


 折れた枝の向こうに剣が落ちている。カイウスは地を這うようにして近づき、左手で柄を掴んだ。切っ先を地面に突き立て、杖代わりにして立ち上がる。全身が鈍く軋み、呻きが漏れた。

 それでも頭から離れないのは、先ほどの光景だった。

 

 ——あの巨狼を、この少女が、たった一撃の拳打で退けた。


 少女は前髪を指で払って、小さく息を吐く。赤い瞳がカイウスの顔をうかがっていた。そこに、かすかな怯えが見える。

 

「名前を聞いてもいいかな?」

「あっ……」


 少女は目を伏せた。少し迷い、それから意を決したようにカイウスを見返す。


「……リア。リア・フリーディス、といいます」


 やや緊張した声。だがカイウスを恐れているわけではなさそうだ。どう振る舞えばいいのか分からず困っているように見える。

 

 ようやく視線が合う。凛とした目元に年相応の幼さが残る顔立ち。日に焼けた頬には赤みが差し、野花を思わせる素朴な可憐さがあった。


「リアか。いい名前だな。助けてくれてありがとう、命拾いしたよ」

「いえ。……その、間に合ってよかったです」

「よかった、どころの騒ぎじゃないよ。もし君が来てくれなかったら、俺はシカ肉の煮込みごとあの化け物の腹の中だった」


 リアは目を丸くした。冗談だと分かるまで少し時間がかかったらしい。笑う代わりにおずおずと尋ねてくる。

 

「……あの……わたしのこと、怖くはないんですか?」

「え? 怖い?」

「だって……その、さっきのこと、とか……」

「あぁ、あの化け物を素手で殴り飛ばしたこと?」

「……はい」


 リアの声がしぼむ。胸元で重ねた指が、落ち着かずに絡んだ。


「助けてくれた恩人を怖がる理由なんてないさ。まぁ、あの馬鹿でかい狼には度肝を抜かれたけどな」

「……っ」


 リアは瞬きもせずにカイウスを見つめていた。強張っていた指がゆっくりほどける。


「改めて礼を言わせてくれ。俺はカイウス。カイウス・ヴァンデルだ。流れの傭兵をやっている。近くのノルヴィア村の依頼で、この森の異変を調べていたんだ。まさか、あんな化け物に出くわすとは思わなかったが」

「……カイウス、さん……」


 リアがその名をそっと唇にのせる。響きを確かめるような呟きだった。


「カイウス、さん……っ」


 二度目は、少しだけ嬉しそうに聞こえた。彼女の声で呼ばれる自分の名は思いのほか馴染んでいた。


「ところでリアは、どうしてこんな森の奥にいるんだ? 見たところ狩人ってわけでもなさそうだけど」


 辺りに山菜はいくつか見える。だが、少女がひとりで入るには深すぎる場所だ。


「その……この近くに家があるんです。いまは、一人で暮らしていて」

「えっ? 家が、こんな森の奥に? 危なくないのか」

「……慣れてるんです。ずっと、ここで暮らしてるので」

「……なるほど。まぁ、そういうこともあるか」


 答えに嘘はなさそうだ。ただ、言葉の合間にわずかなためらいがあった。


 カイウスはそれ以上聞かなかった。リアは見知らぬ自分を助けるため、危険へ飛び込んできた。カイウスにとってはそれだけで十分だった。話したくない事情まで無理に聞き出す気はない。


 ふと会話が途切れた。カイウスは特に気に留めなかったがリアは違ったらしい。何か言いたげに顔を上げては、また俯く。それを二度繰り返し、ぎゅっと拳を握った。


「あ、あの……!」

「ん?」

「も、もしよかったら……う、うちに来ませんか?!」


 思いのほか声が大きくなったのか、リアの肩がびくりと跳ねた。


「そ、その……お怪我もされていますし! わたし、薬草のことも少し分かるので、簡単な手当てもできます。それと、もし……ご、ご飯とかも、食べていかれるなら……」


 言葉はだんだん小さくなっていく。けれど期待の色は隠せていなかった。誘うだけでも、かなり勇気を振り絞ったらしい。

 

「ありがとう。そしたらお言葉に甘えようかな。実をもう脚が棒でさ。今にも倒れそうなんだよ」


 カイウスはわざとらしく脚をぷるぷると震わせてみせた。

 リアがまた目を丸くした。それから堪えきれないように小さく笑った。出会ってから初めて見る、気取らない笑顔だった。


 その直後、カイウスの膝から力が抜けた。今度は演技ではない。

 

「えっ! だ、大丈夫ですか?」

「……悪い、少し肩を貸してくれると助かる」

「も、もちろんです。ちょっと失礼しますね」


 リアが慌てて腕を伸ばし、カイウスの身体を支える。


「ゆっくり行きましょう。こっちです」


 彼女が指した先には、森の奥へ続く獣道があった。木漏れ日が、柔らかな光を道に落としている。

 カイウスは右肩をかばいながら、左手で剣を鞘に収めた。それからリアの肩に腕を回し、二人で歩き出す。


 どこか遠くで一羽の小鳥が囀《さえず》った。

 足裏に触れる草の感触が、今は少しだけ心地よかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。