【閑話】星の読み方
ノルヴィア村を発って三日目の夜。
街道から少し外れた草地に荷馬車を止め、三人は焚き火を囲んでいた。
見上げれば、星が地平線の果てまで隙間なく散りばめられている。
「しっかし綺麗な星空だな。こんな夜は、ついつい酒が欲しくなるねぇ」
ヴォルトは星空を仰ぎ、しみじみと言った。
「持ってきてないのか、おっちゃん」
「商品として積んでるぜ? でも売り物に手をつけたとあっちゃあ、商人の風上にも置けないだろ」
「まぁ、そりゃそうだな」
「そういう旦那こそ、持ち合わせはないのかい? 少しくらい引っかけたっていいだろうに」
「酒は嫌いじゃないけど、護衛中は避けてるんだ。どうしても感覚が鈍るからな」
カイウスは答えながら、焚き火の向こうの暗がりに目を走らせる。
危険な気配がないか、つい無意識に探ってしまう。長年の傭兵稼業で染みついた癖だった。
その隣で、リアは膝を抱えて星を眺めていた。
「……カイウスさん。あの星、繋げると何かに見えませんか?」
「え、どれだ?」
「ほら、あそこです。お山の少し右上にあるやつ」
カイウスは彼女の指先を追った。
「……魚、か?」
「ち、違います! あれは剣ですよ、剣!」
「どう見ても焼いた魚だろ。頭があって、尾びれがある」
「勝手に焼かないでください! 剣の柄なんです! ここが鍔で、ここが握りで……ほら、カイウスさんのにそっくり」
「ああ、柄だけか?」
「うっ」
「剣身はどこだ?」
「……こ、こっちかな。ほら、こんな感じで……」
「……やけにぐにゃついた剣なんだな」
「想像力が大事なんですよ!」
二人のやり取りに、ヴォルトが思わず吹き出した。
「ほんと、二人は見ていて飽きがこねぇや。嬢ちゃんの言う通りだ、旦那。星座なんて旅人たちが勝手に星を繋げてきたもんさ。どう読むかに、野暮な決まりはないぜ」
「……それもそうだな」
カイウスは珍しく素直に引き下がった。
「カイウスさんは、星に詳しいんですか?」
「まぁ、少しだけな。野宿が多いと自然と覚える。方角を読むのに使うからな」
「え? 星で、方角を?」
「ああ。北枢星って星があるんだ。北の空にある明るい星で、ほとんど動かない。だから、それさえ見つければ北が分かるんだ。雲さえなければ、暗い夜でも方角をすぐ確認できる」
「へえぇ」
リアの目が星空に負けじと輝いた。その内、落ち着かない様子で身を揺らし始める。
「……あの。教えてもらってもいいですか?」
「もちろんいいよ。あの星の並びが見えるか? 柄杓みたいな形の」
「えっと……あ。あれですか?」
「そう。その水を受ける部分の縁にある二つ星を結んだ線を、五倍ほど先へ延ばすんだ。そこにある、ひときわ明るい星が北枢星だ」
リアは指先を伸ばし、二つ星の先を慎重にたどった。しばらく空を探ったあと、その指がひとつの星の前でぴたりと止まる。
「……あった。あの、きらきら瞬いてる星ですよね」
「そう。俺も何度か助けられたよ」
「ほんとだ……ずっと同じ場所にある。わたし、全然気づかなかったです」
「ずっと森の中にいたんだもんな。木に隠れて見えなかったんだろ」
「そうですね。なんだかもったいなかったな。こんなに凄いことが、ずっと空にあったのに」
リアは膝に顎を乗せ、北枢星を少し恨めしそうに睨んだ。
「……別にもったいなくはないと思うぞ」
「え?」
「いま知れたんだから。知らないままでいるより、ずっといいだろ。何事にも、遅すぎるってことはないさ」
リアはカイウスを見つめ、ほぅと息をついた。
「……カイウスさんって、たまにそういうことを言いますよね」
「そういうことって?」
「なんか、すごくカッコいいこと」
「……悪かったな。意識してやってるわけじゃない」
カイウスは頬を掻き、焚き火へ視線を戻した。薪が崩れ、火の粉がひとつ宙に舞う。
ヴォルトは二人を見比べてから、リアにもらった薬草茶の木椀に口をつけた。
「……にしても、ノルヴィアを出てもう三日か。嬢ちゃんは初めての荷馬車だろうけど、疲れちゃいないかい?」
「全然大丈夫です! むしろ毎日新しいことばかりで、疲れも なんて忘れちゃうくらい!」
「頼もしいねぇ。旦那はどうだい?」
「俺は荷台で横になってるだけだからな。快適だよ」
「うそつき。ずっと周りを警戒してくれてるじゃないですか」
「そりゃ仕事だからな」
「カイウスさんって、休んでるときも休んでないですよね」
「そういうもんだよ、傭兵稼業は」
「ずっとそうやって生きてきたんですか? 一人で、気も緩めずに」
リアがずいと身を乗り出し、カイウスの顔を覗き込む。
責めるような気配はない。代わりに好奇心に溢れていた。ただ彼のことをよく知りたいのが伝わってくる。
カイウスは焚き火を見つめたまま、少し考えてから答えた。
「……まぁ、そうだな。なにかと気楽だったし、誰かといるとその分だけ気を張ることも増えるからな。だから基本的には、一人でいる方が好きだったよ」
「……『好きだった』って、過去形なんですね」
「……言い方の問題だ」
「そういうことにしてあげます」
リアがくすりと笑うと、ヴォルトが盛大に咳払いをした。
「あー。俺ぁちょっくら荷台を見てくるわ。どうにも荷崩れが心配でよぉ」
「え? ヴォルトさん、さっき確認してましたよね?」
「商品の確認は何度もするのが、デキる商人の流儀ってもんさ!」
ヴォルトは椀をそっと置き、わざと大きな足音を立てて荷馬車へ向かう。背中まで「二人で話しな」と言っているようだった。
焚き火の音が、急に近くなった。
そういえばリアと二人きりになるのも久しぶりだな。カイウスはそんなことを思っていた。
「……カイウスさん」
「ん。どうした?」
「わたし、ヴォルトさんにはああ言ったけど……ノルヴィアを出るとき、実は少し怖かったんです。急に広いところに放り出されて、頼れるものをなくした気がして。こんなわたしが、ちゃんと旅ができるのかなって」
「ノルヴィアから離れるのは初めてだもんな。その気持ちは分かるよ」
「はい。でも、心配する必要なんて全然なかったです。ヴォルトさんは面白いし、毎日新しいことを知れるし。それに……」
リアの声が途切れた。
「……それに?」
「カイウスさんが、一緒ですから」
隣にいてくれることが嬉しい。その気持ちを、リアはまっすぐな声で伝えた。
彼女は再び星空を仰ぐ。
「さっき教えてもらった探し方、ちゃんと覚えました。柄杓を見つけて、縁の二つ星を五倍に延ばす、ですね」
「そうだ。これでいつ迷子になっても平気だな」
「はい。……でも、どれだけ道に迷っても、カイウスさんが隣にいてくれるなら。わたし、ちゃんと正しい方に進める気がします」
リアは頬を自分の膝に寄せると、彼を見た。
「カイウスさんは、わたしにとっての北枢星なのかもしれないですね」
その顔には、いつもの素直な笑みが浮かんでいた。純朴な彼女のことだ。思ったことを、そのまま口にしたのだろう。
対してカイウスは返事を失っていた。彼女にとっては何気ない言葉でも、彼の胸には余りにもまっすぐに届いていた。
つい逃げるように星空を見上げる。北枢星は、変わらずそこにあった。ただ瞬き続けるその光を見つめ、カイウスはしばらく黙っていた。
「……怖くなったら、言ってくれよ」
「え?」
「だ、だから……もし旅の途中でまた不安になるようなことがあったら、すぐ俺に教えてくれって」
「……そしたら、どうしてくれるんですか?」
「そん時は……タオラでも買ってやるさ」
「えっ?! やった! そしたら、不安だーってたくさん言わなきゃですね!」
リアがぱぁっと顔を綻ばせる。
「あーあ、よーやく確認が終わりそうだなぁ! これはもーう大丈夫、問題なしだろうなぁ! ……もう戻ってもいいかい、嬢ちゃん!?」
草むらの奥からヴォルトの声が飛んでくる。
「え? なんでわたしに聞くんだろ。別にいつだっていいですよ!」
「そうかい、そうかい!」
足音がどたどたと戻ってくる。ヴォルトは焚き火の前に腰を下ろすと、二人を見て満足そうに頷いた。
「いやー。ほんと、いい夜だねぇ」
「そうですねぇ」
「……まぁ、悪くはないな」
ヴォルトは何も言わず、一仕事を終えたとばかりに薬草茶をすする。
程なくして、焚き火の側にまた笑い声が戻る。頭上に広がる星々が、談笑に耽る三人を静かに見守っていた。




