↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
傭兵カイウスの放浪譚  作者: フルツ好き男
一章 豊穣の村と赤髪の少女

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

22/29

1-22. 黎明を告げる流星

「リアァ!」「リアァァ!」


 ごふっ……。


 繰り返されるその名が、カイウスの意識を呼び戻した。

 肺の奥から、むせ返るような咳を絞り出す。

 

(——……ッ?! くそッ!)


 戦場で意識を失っていたなど、あり得ない失態だった。悟った瞬間、跳ね起きようとして——できなかった。


「っ、つぅ……!」

 

 左脇腹、とりわけ肋骨の辺りに突き刺すような痛みが跳ねた。

 呼吸をするたびに激痛が脈を打つ。耐えようとするほど、額から冷汗が噴き出した。


(……折れてるな。だけど、まだ生きてるってことは……)


 脇腹を押さえ、どうにか上体だけ起こす。

 視界はぼやけ耳鳴りもひどいが、カイウスは戦場へ素早く視線を走らせる。


 巨狼は何度も泥へ巨体を叩きつけ、荒れ狂っている。

 見れば左側の牙が、根元から全て消失していた。


 リアは——いた。

 傷だらけだった。特に左肩の怪我が酷い。遠目にも鮮血に染まっているのが分かる。

 それでも退かず、村門を守るように巨狼と向き合っている。その後ろでは、農夫たちが何かを叫んでいた。

 

「っ! アイツら……!」

 

 またリアを責め立てている。そう思った瞬間、カイウスは痛みも忘れて立ち上がろうとした。

 だが、違った。


「リアァ! 頼む、勝ってくれ!」

「がんばれ! がんばれぇ、リア!」

「村を……俺たちの村を、守ってくれぇ!」


 罵声などではなかった。たった一人で立ち向かう少女の背を、必死に支えようとする声援だった。

 

 気を失っていたカイウスは、何が起こったのかを知りもしない。

 それでも手に取るように分かった。リアが何をして、その背がこの場の人々の目に、何を映したのかを。


「……だから言ったろ。リアは、そのままで良いんだって」


 痛みに耐えて言い切ると、小さく笑った。

 だがその笑みもすぐに消え、頭の中で勝ち筋を組み立て始める。


 力だけならリアは巨狼に拮抗できる。だが速さが違いすぎる。

 それに、彼女はすでに満身創痍。このまま削り合えば、先に倒れるのは間違いなく自分たちだ。


「……考えろ。何かないか……!」


 リアが一人で食い止めてくれている。

 彼女が立っていられるうちに、策を見つけなければならない。


「リアァ!」


 再び響くその呼び声に、彼女の赤髪がはためいた。

 その瞬間、カイウスの脳裏にある光景が蘇る。


 ノルヴィアの森で、初めて彼女と出会った日。空から降ってきたリアは、カイウスに襲いかかっていた巨狼の虚を突き、一撃で地へ沈めた。


「……待てよ」


 獲物の手が届くはずもない頭上。だからこそ、あの巨狼は真上を警戒しない。

 完全な死角からの奇襲。落下の勢いも乗せて叩き込めば——。


「俺の剣でも、届く」


 カイウスは泥濘《ぬかるみ》へ手を突き、立ち上がった。

 肋骨が更に悲鳴を上げる。鉄の味が喉まで込み上げた。それを呑み込むと、泥に沈んだ剣を掴む。


(あと一撃だけだ。最後まで頼むぞ)


 傷ついた身体へそう言い聞かせ、リアのもとへ駆け出した。


***


「リア!」


 待ち侘びていた声が届いた。振り返ったリアの目に、走り寄るカイウスの姿が映る。

 左脇腹を手で庇い、肩でする息は荒い。どう見ても無事ではない。


「カイウスさん……! ご無事……では、ないですよね」

「ああ、残念ながら。初戦の倍はやられてる」


 こんな時までいつも通りの軽口を言う。その理由に潜む優しさを、リアはもう十分に知っていた。

 

「リアもその傷だ。長引けば俺たちは負ける。だから……次の一撃で、ぜんぶ終わらせるぞ」


 カイウスはリアの隣へ立ち、巨狼を見据える。リアも濡れた赤髪を払い、力強く頷いた。


「……はい。全力を出します!」


 二人のやり取りを遮るように巨狼が立ち上がった。

 鮮血色の目に、牙を失った痛みさえも焼き尽くす憎悪が燃えている。その視線は、やはりリアだけを捉えていた。


「……リア」

「はい!」

「次にアイツが来たら、俺を真上へ投げてくれ」


 リアの動きが固まった。


「……え?」

「右利きだよな? 左肩が痛むとは思うが、出来るだけ高く頼むぞ」

「え、え? どうしよう、意味が分かりません……」

「すまん、説明してる暇はない。でもこれは勝てる策だ」

「で、でも、その身体でそんなことしたら——!」


 落下の衝撃で、カイウスが死んでしまうかもしれない。そんなこと、言葉にするのも嫌だった。

 カイウスはリアの潤んだ目をまっすぐに見つめる。


「大丈夫だ、リア。俺を信じてくれ」


 その声は、不思議なほどリアの胸にすっと届いた。


 カイウスは立っているのもやっとのはずなのに、その灰色の瞳に揺らぎは微塵もない。

 これまでも、彼の言葉を信じて一歩を踏み出してきた。そのたびに固く閉ざされていたはずの道が、不思議なくらい開けていった。

 そのカイウスが「勝てる策だ」と、はっきりと言いきった。リアにとっては、それだけで十分だった。


「……そうでした」


 口元が自然と綻ぶ。

 

「理由なんて、要りませんでした。もちろんわたしは信じます、カイウスさんを!」

「ゴアァアアアアアッ!!」


 大地を這う重低音が、二人の声を呑み込んだ。巨狼が弧を描きながら、じりじりと間合いを詰めてくる。

 もはや嬲るつもりはない。今度こそ確実に、一撃で仕留めてやる——そう言わんばかりの殺意が、全身から迸る。


「来ます……!」


 リアは重心を落とした。左肩が疼くが、もう気にもしない。

 巨狼が地を蹴る。雨粒が弾け、灰銀の巨体が疾走する。


「今だッ!」


 カイウスは駆け寄り、リアは右腕を差し出した。

 彼が足を掛けた瞬間、リアは深く沈めた膝を伸ばし、ありったけの力で振り抜く。


「うおおおおっ!」


 カイウスの身体が、矢のように空へ射出された。雨を貫き、瞬く間に遠ざかっていく。


 見届ける暇はなかった。巨狼の牙は、すでに眼前に迫っている。

 リアは気負い立つと、襲いくる頭部を受け止めた。


 ドゴオォオォン!

 

 押し潰されそうな衝撃とともに、今度は牙が右肩を裂く。


「ぐぅっ……あああああっ!」


 鮮血が散った。痛みはとうに、限界を超えていた。

 それでもリアは、その牙をがっしりと掴んだ。

 

 絶対に逃がさない。この手は離さない。もう自由になんか、させてやらない。

 カイウスがここへ戻ってくる、その時まで。


「うあああああああっ!!」


 リアは絶叫し、残った力の全てを両腕に注ぎ込む。


 その上空。カイウスはただ一人、風の中にいた。

 信じられないほどの高さに、突き刺すような冷気。雲は近く、地は遠い。

 

 ほどなく、身体が失速をはじめる。一瞬だけ、音が消える。

 放物線の頂点。曇天が止まった刹那の後、やがて世界を引き寄せるような急降下が始まった。


 胃が浮き、風が耳元で猛り狂った。

 肋骨が軋み、握った剣も恐ろしいと震えている。


 流れる視界の隅に映った。巨大な灰銀の獣と、それを押し留める小さな赤い影。

 リアが自分を信じ、あの怪物を縫い止めてくれている。


(——外さない! これで終わらせる!)


 やり直しはない。この一撃に、全てが掛かっている。

 カイウスは剣を逆手に持ち替えると、全力で柄を握り締めた。


 狙うは頭蓋。

 風に涙を奪われても、目は絶対に閉じはしない。


「終わりだァァァッ!!」


 殺気に気づいた巨狼が赫目を上へ向けた。

 けれど、もう遅い。


 ズガアアアァァッ!!

 

 闇夜を引き裂く、一条の流星が降りたった。二人のすべてを乗せた刃が、巨狼の後頭部を深々と穿つ。

 

 世界が、一瞬だけ沈黙した。


「オ、オアアアアアアアァァッ!!」


 巨狼の全身が激しく痙攣し、断末魔の咆哮が轟いた。

 直後、頭が狂ったように振り回される。カイウスの身体が弾き飛ばされ、泥の上を何度も跳ねた。

 咄嗟に身を丸め、致命的な衝撃だけは免れる。


 激痛で視界は白く明滅する。

 それでも、この手には残っていた。命へ届いた、確かな手応えが。


「……アォォオォン……」


 力の抜けた遠吠えが、細く長い尾を引いた。

 巨狼の脚が、ついに折れた。巨体がぐらりと傾き、そのまま大地へと崩れ落ちる。


 重い音が、麦畑を震わせた。しばしの沈黙が訪れる。

 誰も声を上げられなかった。農夫たちはただ息を殺し、倒れた巨狼を見つめている。


 やがて、麦穂の擦れる音がした。

 狼たちだった。倒れた巨狼を取り囲む。自分たちを率いていた主が起き上がらないと悟ると、最初の一頭が麦畑の奥へ駆けていった。

 それを追うように、また一頭、一頭と、逃げるように闇の中へ消えていく。


 戦いの終わりを待っていたかのように、雨が止んだ。

 湿った風が渡り、その場に残った熱をさらっていく。


「……倒した」


 誰かの呟きのような声が漏れた。


「た、倒した! 本当に倒したんだ!」

「やった、やったぞ! 勝ったぞ!」

「助かった……俺たち、助かったんだ!」

「守れた……家族を、守れた……よかった……!」


 歓声が一斉に湧き上がる。

 互いに抱き合い背を叩く者。膝をつき豊穣神への感謝を捧げる者。顔を覆いその場に泣き崩れる者。

 誰もが生き延びた喜びを抑えきれずにいた。

 

 カイウスはその声を聞きながら、仰向けに倒れていた。


「……終わったか」


 短く息を吐くと、身体から力が抜けていく。

 遠い稜線の上で、あんなに重たかった黒雲に切れ間ができていた。そこから差し込む一筋の朝陽が、泥だらけの頬をじんわりと温める。


「……カイウスさんっ!」


 ばしゃばしゃと、跳ねるような水音が迫ってきた。

 リアがカイウスの傍らへ駆け寄り、膝から崩れるように座り込む。


「生きて、ますよね? い、いなくなったり……しません、よね?」


 彼女だけは勝った喜びより、怯えの方が勝っていた。心配そうなその顔を見て、カイウスは痛む頬を無理やり緩める。


「……ああ。今のところは、一応な」

「よ、よかったぁ……」


 安堵とともに、リアの肩から力が抜けた。

 カイウスは身体を起こそうとしたが、肋骨を走る痛みに耐えきれず、再び仰向けに倒れる。

 リアが止めようとすぐに手を伸ばす。しかし左肩の傷が疼いたのか、苦しげに顔を歪めた。


「……無理するなって。酷い怪我なんだから」

「いまのカイウスさんには、言われたくないです」

「それもそうだな」


 リアは両脚を横へ崩したまま、カイウスの背後へにじり寄った。痛む肩を動かさぬよう、その背にそっと身体を添える。

 カイウスは彼女に体重を預け、どうにか上体を起こした。


 二人はそのまま、泥の上に並んだ。

 水たまりに朝陽が差している。泥水の上で揺れるその光は、砕けた宝石のように輝いている。


「……きれいな朝日ですね」


 リアが小さく呟いた。頬に張りついた赤髪も気にせず、朝日に目を細めている。


「朝日は大抵、綺麗なもんだろ」

「ふふ。素直じゃないですね」

「高いところから見たら、もっと綺麗かもな。もう一回上に飛ばしてくれないか?」

「絶対に嫌です」


 リアは即答した。


「わたしは、カイウスさんと一緒に見たいんですよ」

「そっか。それは残念だな。まあ、今回はこれでよしとするか。約束もちゃんと果たせたことだしな」

「……約束?」

「ノルヴィアへ来る途中で、話しただろ。次に麦畑へ来たら、子供みたいに泥まみれになって遊ぼうってさ」


 リアは数回瞬くと、一拍遅れて吹き出した。


「言いましたけど! これを遊びって言いますか?」

「泥にはまって、散々転げ回っただろ。立派な遊びじゃないか」

「戦いながら、ですよ! わたし、そこまでお転婆じゃありません!」


 そこで顔を見合わせると、二人は笑った。

 笑うたびにそれぞれの傷が痛む。その痛みさえも、今は生きている証のようにさえ思えた。

 

 不意に、泥を踏む足音が近づいてきた。リアが振り向く。その顔から、笑みが消えた。

 村門の方から、農夫たちが歩いてくる。先頭にはオルド。その後ろを、エルンたちが続いていた。

 

 胸を満たしていた温かさが、一気に引いていく。

 戦いは終わった。村も守れた。

 けれどそれだけで、赤獣《せきじゅう》と呼ばれた自分への憎しみまでが、すぐに消えるはずがない。


 唇をきゅっと結ぶリアの少し手前で、農夫たちは足を止めた。

 誰も口を開けない。感謝も、後悔も、謝罪も、すべてが喉につかえていた。

 

 その沈黙を破ったのは、エルンだった。

 一歩、リアの方へと歩み出る。袖で目元を乱暴に拭うと、六年前と何も変わらない笑顔を見せた。

 

「……おかえりなさい、リア」


 まっすぐで温かな声に、リアの唇がかすかに開いた。その一言に続くように、他の者たちも次々と声を上げる。

 

「リア……ありがとう。本当に、ありがとう……」

「リアお姉ちゃん、助けてくれてありがとう……!」

「すまない……本当にすまなかった。俺たちは、お前になんてことを……」


 感謝と後悔が、堰を切って溢れ出した。顔を上げられず、泥を見つめたまま嗚咽する者もいた。


 オルドも、リアへ歩み出る。その足取りは遅く、背には目に見えない重荷がのしかかっているようだった。

 リアの前で立ち止まり、何度も口を開きかけては言葉を呑み込む。六年前、自らの手で孤独へ追いやった少女に、今さら何と声を掛ければいいのだろう。

 

 謝罪も感謝も、自分には口にする資格すらないように思えた。長い沈黙の末、オルドが絞り出したのは、そのどちらでもなかった。


「……おかえり、リア」


『ここが、お前の故郷だ』——ただ、そう伝えてやりたかった。


 リアの瞳が、大きく揺れる。

 目の前の光景が、自分へ向けられているものだと、まだ信じきれないようだった。


 そのとき、背中にそっと手が触れた。

 振り返ると、カイウスが笑っていた。


「ほら、何してんだ。家に帰ったら、最初にする挨拶があるだろ」


 ぽん、と軽く背を押される。


「ちゃんと、迎えられてこい」


 その一言に、ツンと鼻の奥が痛んだ。

 喉が詰まり言葉が出ない。知らぬ間に涙が頬を伝っていた。


 カイウスの手を離れたリアが、ゆっくりと立ち上がる。自分の足で一歩を踏み出した。

 そしてリアは、ぼろぼろと泣きながら——心から笑った。


「……みんな……っ、ただいま……!」


 人々が駆け寄ってきた。傷ついた身体を気遣いながらもリアを抱き寄せる。

 ミラは泣きながらリアの胸に飛び込み、エルンたちが震える手でその背をさすった。 


 カイウスは少し離れた場所から、その光景を眺めていた。


 東の空では、朝日がゆっくりと昇っていく。

 濡れた彼の背を光が温め、傍に置いた剣が金色に輝いた。


 心地よい秋風が吹いた。長かった夜が、ようやく終わる。

 そしてノルヴィアに訪れる新しい朝を、さざめく麦畑が静かに祝福していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。