↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
傭兵カイウスの放浪譚  作者: フルツ好き男
一章 豊穣の村と赤髪の少女

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/29

1-18. 赤を追う者たち

 夜の静けさがエルンの家を満たしていた。

 湿気を吸った木壁は冷たく、外では細い雨が屋根を叩いている。風に煽られた雨垂れが、時折り軒先でぽつりと跳ねた。


「……なんだか、落ち着かない夜ですね」


 リアの呟きが雨音に溶けた、その直後。


 ——ゴォォン!


 腹の底まで響く金属音が、家ごと二人を揺さぶった。


「っ! こ、この音……!」


 リアが顔を上げる。カイウスも暖炉から目を離し、耳を澄ませた。


 ——ゴォォン! ゴォォン!


 間を置かず、今度は二度。長く切迫した鐘声が、夜気を震わせる。

 それが何を意味するのか、リアはよく知っていた。


「……こ、これ……襲撃を知らせる警鐘です……!」

 

 カイウスは迷わず立ち上がり、壁に立て掛けていた剣を背負う。


「……北だな。調査任務はもう終わってる。散々言われた後だ、助ける義理もないんだけどな」


 言いながらも剣帯を締め直す手は止まらない。


「けど、人が死ぬと分かってて黙ってもいられない。まずは広場へ向かう」


 戸口へ踏み出しかけ、リアを振り返った。


「……一緒に来るよな?」


 リアの口が、開きかけたまま止まった。

 

 自分もまさに、そう言おうとしていた。

 一緒に行くことを、初めから疑っていない言葉。リアにとっては、それが何よりも嬉しかった。

 

「……もちろんです。行きましょう、カイウスさん!」


 村へ来てから縮こまりがちだった背が、すっと伸びる。

 二人は戸口を開け、雨の中へ駆け出した。


 雨脚は少しずつ強まっていた。

 足元はすっかり泥濘《ぬかるみ》に変わっていたが、カイウスの足取りに揺らぎはない。リアも長い脚の運びをわずかに抑え、その隣を危なげなく走る。

 

 通り過ぎた家々では、住民たちが戸口から不安げに顔を覗かせていた。何が起きたのかと問い合い、鐘の鳴る方角へ目を凝らしている。


 だが、進むにつれて人の流れが変わった。

 泣く子を抱いた母親。老人に肩を貸す若者。東に流れる人々が、二人の正面から押し寄せてくる。


「襲撃だ! 北西の森から来るぞ!」

「子どもを連れて、トリィヤ様の元へ逃げろ!」

 

 その声を聞くなり、事情が分からず戸口に立っていた者たちも顔色を変え、避難の流れへ加わっていった。

 カイウスとリアは迫る人波の間を縫い、流れに逆らって先を急いだ。


 やがて広場へ辿り着く。


 次の瞬間、松明の光と喧騒が押し寄せた。

 鍬や斧を握る男たち。泣き叫ぶ子どもの手を引き、避難を急ぐ女たち。

 怒号と足音と雨音がぶつかり合い、夜の広場を呑み込んでいる。

 

 その中心で、一人の青年が声を張り上げていた。


「北西の森から狼の群れが来ている! 数は三十以上! 群れの後ろには、異様にでかい狼もいる! 戦える者は何でもいい、武器になるものを持って北西の外れへ向かってくれ! それ以外の者は、祈りの大樹へ避難するんだ!」


 リアが息を呑んだ。


「……あの狼だ……」


 濡れた前髪の下で、赤い瞳が揺れる。

 

 拳が覚えていた。あの日、カイウスを庇って打ち抜いた醜悪な顔。獲物をいたぶり、殺すことを心から愉しむような目。


「きっと、わたしを追ってきたんだ……。復讐するために……!」

「ああ。相当な執念だ。ほんと、厄介な奴だな」


 カイウスが短く答える。その視線はリアと同じ北西へ向いていた。

 

 そのとき、混乱を切り裂くように鋭い悲鳴が上がった。


「誰か、手を貸してちょうだい! ミラが……あの子が、どこにもいないの!」


 声の主は、小柄な女だった。

 

 人混みを必死にかき分け、手当たり次第に袖を掴んでは、その顔を覗き込む。首を振られるや否や手を離し、また次の者へと縋りつく。

 外套すら羽織っていない。全身ずぶ濡れだ。それでも構う様子もなく、泣き腫らした目で狂ったように周囲を掃く。


「誰か、ミラを見なかった!? お願い、誰か……! あの子に何かあったら、私は……!」

「お、落ち着いてくれ。家にはいないのか?」

「いないの! さっきまではいたのに、夕食を作ってる間にいなくなったのよ……!」

「ミ、ミラなら、昼間は広場で遊んでいたぞ」

「それは私も見た。でも、その後は……」

「わ、私、知ってるかも……!」


 避難する母親に手を引かれていた少女が、怯えた声を上げた。

 

「ミラちゃん、月が出たら北の麦畑を見に行きたいって……。まだ刈ってない麦が風に揺れるところ、豊穣祭の前しか見られないからって、私を誘ってくれたの」

「そ、それでお前も一緒に行ったのか?」

「行ってない! 雨が降りそうだから駄目だって、お母さんに言われて……。で、でもミラちゃんは、多分……!」


 少女の声はそこで途切れる。

 その先は、もう聞く必要もなかった。


 北西から迫る、狼の群れ。

 その進路上に広がる、刈り入れ前の麦畑。

 そして、そこにいるはずのミラ。


 広場の喧騒が、潮が引くように遠のいた。

 目を伏せる者。顔を背ける者。何かを言いかけ、唇を閉ざす者。


 助けに行かなくてはならない。誰もがそう思っていた。

 だが三十を超える狼群を思い浮かべた途端、恐怖が足に絡みつく。

 

「お願いします! ミラを……私の娘を助けてください!」


 母親が雨の中で声を振り絞った。


「誰か……お願い……! あの子を一人にしないで……! お願いします……!」


 それでも、誰も動かない。

 母親の悲鳴だけが、冷たい雨に打たれていた。


 リアの胸を、冷気が貫いた。頬を打つ雨粒が、六年前の嵐と重なる。

 あの夜は、今より雨が強かった。泥に足を取られ、何度も転び、それでも立ち上がった。

 

 けれど、間に合わなかった。

 この腕の中で、アベルは温もりを失っていった。いくら手を握っても、何度も呼びかけても、二度と握り返してはくれなかった。


『力ある者は、人のためにその力を使う義務がある』


 アベルの声が、あの日のままに胸の中で響く。


 あの晩は、守れなかった。でも、今は違う。

 目の前に、まだ間に合うかもしれない命がある。


「……今度こそ、助けなきゃ」


 リアの足が前へ出た。

 凍りついた人垣を割るように進む。俯いていた男が顔を上げ、フードの隙間にある赤い髪に気づいた。


「……お、おい。こいつ、赤獣《せきじゅう》だぞ!」


 その声に、周囲の視線が一斉にリアへ突き刺さる。


「な、なんで戻ってきたんだ!?」

「狼どもを村へ引き連れてきたのも、お前じゃないのか!?」

「やっぱり災いを呼ぶ化け物だったんだ!」

「あっ……」


 敵意に、リアの足が止まった。

 喉がぎゅっと塞がる。上手く呼吸ができない。視界もぐわりと揺れ、足元の泥にどこまでも飲み込まれる気がした。


 ——怖い。逃げたい。

 

 身体が悲鳴を上げる。膝は震え、踵が意思に反して後ろへ滑った。

 

 それでも、なんとか踏み留まった。

 爪が食い込むほど拳を握り、奮い立たせるように両脚へ力を込める。


(怖がっている場合じゃない……! ミ、ミラちゃんを、助けなきゃ……!)


 それでも罵声は止まない。

 耐えきれず、背中が小さく丸まってゆく。

 

 そのときだった。


「……毎度毎度。束になって、よくやるな」


 聞き慣れた声が耳へ届いた。

 それだけで、全身を支配していた震えが嘘のように引いてゆく。

 

 カイウスだった。彼は静かにリアの隣に並び立つ。

 濡れた外套をはためかせ、村人たちを真っ直ぐに見つめていた。


「事実だけ言うぞ。お前たちは知らないだろうが、ここへ向かってる巨狼はもともと北西の森にいた。村まで下りてくる危険は、最初からあったんだ」

「そいつを一度退けたのはリアだ。最初は村へ戻ることさえ怖がってた。それでも危険を知らせるために、自分の意志で戻ってきた。お前たちを襲うためじゃない」


 村人たちが口を閉ざす。

 

「六年前のことも全て聞いたよ。大きな誤解があるんだ。それでもリアは、弁明もせず、まだこの村のために動こうとしているんだぞ」


 カイウスは声を荒らげなかった。しかし、そこに押し殺した怒りを感じれないほど、広場の者たちも鈍くはない。


「さっき、誰か一人でも前に出たか? 狼の群れと聞いて、足がすくんでたんじゃないのか?」


 灰色の視線が、一人ひとりの顔を射抜いていく。


「責めるつもりはないんだ。命が惜しいのは誰だって同じだ。だが、自分たちが動けないからって、動こうとしている者の足まで引っ張るな。お前たちがリアを何と呼ぼうが、彼女が今、何をしようとているかまで見失うなよ」


 村人を見据えたまま、カイウスは問いかけた。


「……リア、教えてくれ。君はいま、何がしたい?」


 リアは驚いて彼を見た。その横顔に、疑いは微塵もない。


 リアは、ミラの母親をそっと見た。

 震える肩に、泣き腫らした目。泥濘《ぬかるみ》に膝をつき、両の手を祈るように、力の限り握りしめている。


「……道を、開けてください」


 言葉が口を突いて出た。覚悟は遅れて追いついた。


「わたしは、ミラちゃんを助けに行きます。怖がられても、責められても構いません。そんなことより、ミラちゃんが無事に帰ってくる方が、わたしにはずっと大事だから」


 まっすぐな、飾らない言葉だった。

 その答えを待っていたとばかりに、カイウスも小さく口角を上げる。


 人垣を、重い沈黙が包んだ。

 一番強く怒鳴っていた男が、握っていた拳を解く。隣の者と目が合うと、気不味そうに視線を逸らす。

 やがて男は、逃げるように俯いた。


「……悪かった」


 男が泥を踏み、脇へ退く。それに続き、一人、また一人と人々が身を引いた。

 人垣が二つに割れ、北へ延びる泥の道が現れる。

 

 リアがぱっと振り返る。カイウスも小さく頷き返した。


「お願い……お願いします!」


 ミラの母親が、遂にリアの腕に縋りつく。


「どうか、ミラを助けてください! 大事な一人娘なんです! 助けてくださったら、何でも差し上げます! だから、どうか……あの子を……!」


 声は掠れ、喉が潰れかけていた。それでも必死に懇願する。


 リアは膝を折ると、その手へそっと自分の手を重ねた。雨に冷えた指先を温めるように包んでやる。


「……大丈夫ですよ、お母さん」


 母親が顔を上げた。リアはその目を見つめ返す。


「ミラちゃんには、帰りを待ってくれている人がいるんです。こんなに温かい家があるんです。だから、わたしが必ず連れて帰ります。だから——」


 不安に染まった顔と、震える肩。

 誰かの帰りを信じて待つ姿が、六年前の自分と重なった。


「——お母さんは、暖炉に火を焚《く》べて、お湯を沸かして待っていてあげてください。ミラちゃんが帰ってきたとき、すぐに温まれるように」


 安心させるように微笑んだ。


「そして、ミラちゃんが帰ってきたら……おかえりなさいって、優しく抱きしめてあげてください。ミラちゃんも、そうして欲しいと思うから」


 母親の顔が、ぐしゃりと崩れた。押し殺していた嗚咽が漏れはじめる。


「……ありがとう、ございます……! ありがとう……!」


 母親の手から力が抜けてゆく。リアは立ち上がると、カイウスの隣へ並び立つ。

 

 目が合うと、二人は頷き合った。そして開かれた道を、同時に駆け出した。


***


 その背中を、鍬を握った若い農夫が見つめていた。


 『助けなければ』。頭ではそう分かっていた。

 ミラは大事な村の仲間だ。誰にでも人懐っこい、向日葵のような未来ある少女。見捨てられるはずがない。


 それでも身体は動かなかった。

 鍬を握る掌には情けなく汗が滲み、一歩を踏み出す勇気はどこにも見当たらない。

 

 ——死ぬかもしれない。

 そう思うだけで怖かった。

 本音を言えば、今すぐ鍬を捨て、自分も大樹の丘へ逃げる人波へ加わりたい。


 けれど、雨の向こうで揺れる赤い髪から、どうしても目を逸らせなかった。


 農夫の知るリアは、ひどい泣き虫だった。

 幼い頃は、エルンを交えてよく遊んだ。けれどリアはいつもおどおどしていて、何かあるたびにエルンの背へ隠れてしまう。そんな臆病な女の子だった。

 

 そんなリアが、逃げなかった。

 村中から憎まれても必死に踏み留まり、自分たちが見捨てようとしたミラのために、誰よりも先に走り出しのだ。


(……俺は、どうするんだよ)


 気づけば、足が一歩だけ前へ出ていた。

 その動きに気づき、隣の男が彼を見た。目が合う。互いの顔に浮かんでいたのは、同じ恐怖——そして、同じ問いだった。


「……おい。俺たちも行くぞ」

「なっ……おまえ、正気か! 化け物が相手なんだぞ! 死ぬかもしれないんだぞ!?」

「分かってるよ。俺だって怖いさ。でも……村を追い出されたリアが行くのに、俺たちがここで震えてるだけでいいのかよ。それに」


 若い農夫は、震える手で鍬を握り直す。


「赤獣《せきじゅう》だろうが何だろうが、それ以前にリアもノルヴィアで一緒に育った仲間だろ。全部アイツに背負わせていいのか?!」

「……っ」


 隣の男が顔を歪めた。奥歯を鳴らし、手にした斧を担ぎ直す。


「……分かったよ。行くしかねえだろ!」


 その声が、さらに隣の男を振り向かせた。


「お、おい! 俺も行くぞ!」

「松明が足らねぇ、誰か追加でもってこい!」

「武器も頼む! 使えそうなもの、全部かき集めてくれ! 俺たちは先に行ってるぞ!」


 一人の決意が隣へ渡り、そのまた隣の誰かを突き動かす。

 怖くない者など、一人もいない。

 それでも、小さくなる赤い背中を追うように、若者たちは次々と泥を蹴りはじめた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。