↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
傭兵カイウスの放浪譚  作者: フルツ好き男
一章 豊穣の村と赤髪の少女

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/29

1-13. 過去への旅路

 エルンの家は村外れの小高い丘、その中腹にひっそりと建っていた。

 決して大きくはないが、戸板も窓枠も丁寧に磨かれている。窓辺には香草の束が吊るされ、清涼な香りが漂っていた。炉でくすぶる熾火《おきび》が、薄暗い室内をぼんやりと照らしている。


 その部屋の隅で、リアは身を縮めていた。

 膝を胸元まで抱き寄せ、そこへ顔を埋めるように俯いている。安全な場所まで来たはずなのに、心だけはまだオルドの屋敷に取り残されているようだった。


「恩に着るよ、エルン。本当に助かった」


 戸口から戻ってきたカイウスが外套を軽く払う。どうやら周囲を見回ってきたらしい。


「誰も追ってきてない。この辺りなら今夜はひとまず落ち着けそうだ。面倒に巻き込んで悪かったな」

「いえ、そんな……俺はただ、家に案内しただけですから」


 そう答えながらも、エルンの視線は落ち着かない。

 何度もリアへ向かっては戻ってくる。声を掛けたいのだろうが、何から話せばいいのか決めかねているようだった。


「そういや、さっきの口ぶりだと、エルンとリアは昔から仲が良かったのか?」


 カイウスが椅子に腰を下ろすと、エルンは小さく頷いた。


「はい。リアがまだ村にいた頃、家が隣同士だったんです。物心ついた時から毎日のように一緒でした。川で遊んだり、畑を駆け回ったり……」


 遠い日の残像を追うようにリアを見る。


「背はずいぶん伸びたけど、中身は昔のままなんだな。真っ直ぐで、不器用で、少し怖がりで。でも、誰よりも人に優しい。俺、ちゃんと覚えてるから」


 膝を抱えるリアの腕に、ぎゅっと力がこもった。


「……久しぶりなのに、ごめんね。エルちゃん」


 伏せたままの顔から、細い声が漏れる。


「わたし、あんなことしたのに……勝手に村に戻ってきて。きっと、迷惑だったよね……」

「め、迷惑なわけないだろ!」


 エルンが思わず声を張る。


「生きてるのかさえ分からなくて、もう二度と会えないって諦めてたんだぞ! それが、こうして戻ってきてくれたんだ! 迷惑どころか……俺はずっと、リアに会いたかったんだよ!」

「エルちゃん……」


 リアがゆっくりと顔を上げる。不安げに揺れる赤い瞳を、エルンも逸らさずに受け止めた。

 六年越しに二人の目が寄り合う。お互いの眼差しは、少しも変わってはいなかった。その一瞬、二人は大樹の下を駆け回り、麦の香る野で笑っていた幼い日々へ戻っていた。

 

 その静かな時間へ、床板の軋みと小さな咳払いが混じった。


「エルン、帰ったの? こんな時間にお客さんかしら」


 奥から年配の女性が姿を見せた。

 袖を肘までたくし上げ、腕には濡れた布巾を掛けている。働き慣れた手をした、穏やかな顔立ちの女性だった。

 

 リアを認めた途端、その足が止まる。


「……あら? あなたは……」

「母さん。この子、リアだよ。ほら、昔うちの隣に住んでた」

 

 促されたリアがおずおずとフードを外す。赤い髪がさらりと肩へ流れ落ちた。

 女性は目を見開き、胸元へ手を当てる。


「まあ、リアちゃん。アベルさんのお孫さんの」

「……ご無沙汰してます。エレノアさん」


 リアは視線を床に落としたまま、小さく頭を下げた。エレノアはそのまま吸い寄せられるようにリアに歩み寄る。


「お顔、よく見せてちょうだい」


 そっと頬へと手を添える。


「あぁ……言われてみれば、面影があるわぁ。そう、あんなに小さかったリアちゃんが。本当に、大きくなったわねぇ」


 懐かしむように指先を滑らせてから、少しだけ声を落とした。


「その……今まで、元気にはしていたの?」

「……はい。なんとか」

「ノルヴィアを離れてからは? どこか別の村で暮らしていたのかしら」


 リアは一瞬だけ口を閉ざした。


「……村の西にある森にいました。ちょうど廃屋があって……ずっと、そこに」

「まあ……じゃあ、その……ずっと、一人で……?」


 少しの間を置いて、リアがこくりと頷いた。


「……そうなの」


 エレノアはそれ以上尋ねなかった。炉へ薪を焚べると、乾かしていた香草を湯で煮出し、木椀へ注ぐ。それをリアの両手へそっと預けた。

 リアは立ち上る香りに顔を伏せ、ゆっくりと口をつける。何口か飲むうち、強張っていた肩から少しずつ力が抜けていった。


 それを見届けてから、エルンが静かに口を開く。

 

「……リア。もちろん無理にとは言わない。けど俺は……どうしても知りたい。六年前のあの夜、何があったのか」


 赤い髪に埋もれた肩が、びくりと跳ねた。


「あの嵐の晩、母さんの風邪が急に悪くなったんだ。咳も酷くて、顔色も悪くて……もしかしたらこのまま死んじまうんじゃないかって、怖くてどうしようもなかった。それで俺、アベルさんのところへ駆け込んだんだ。どうしても薬のことを相談したくてさ」


 薪がぱちりと爆ぜる。その小さな音に後押しされるように、エルンが顔を上げた。

 

「アベルさんは話を聞くなり、『私がなんとかする。君はお母さんのそばにいてあげなさい』って、俺を家まで送ってくれたんだ。それが……俺が最後に見た、生きてるアベルさんだった」

「その翌朝、大樹の下で亡くなってたって聞いた。すぐそばにリアがいたことも……君が、その……そうしたってことも、リアが去ったあとで、オルドさんから聞かされたんだ」


 そこで、きゅっと唇を結ぶ。


「……でも、そんなの……信じられるわけないだろ」


 抑えていた声が、一気に熱を帯びる。


「虫一匹も殺せなくて、怪我した鳥を見つけただけで泣いてた、あのリアだぞ?! アベルさんを殺すなんて……そんなこと、するわけない!」

「……私も同じ気持ちよ、リアちゃん」


 今度はエレノアが言葉を継いだ。リアの正面へしゃがみ込み、不安そうに垂れた眉を見つめる。


「リアちゃんは毎日、アベルさんの後ばかり追いかけてたもの。村でも有名なおじいちゃんっ子だったじゃない。そんなリアちゃんがアベルさんを……なんて、する筈がないのよ」


 懐かしげだった表情が、ふっと曇った。


「……でも、あの時は怖かった。何があったのか分からなくて、みんながあなたを責めて……私まで、ほんの少し迷ってしまったの」


 エレノアは目を伏せ、腕に掛けていた布巾を強く握り締める。


「……追いかけなきゃって思った。まだあんなに小さかったあなたを、一人にしちゃいけないって、分かってたのに……!」

「それなのに私、何もしなかった……! たった一言、『ノルヴィアにいていいのよ』って……どうして言ってあげられなかったんだろうって……ずっと、ずっと後悔してたのよ……っ!」


 堪えていた涙が、頬を伝う。

 

 リアがぱっと俯いた。逃げ込むように顔を膝に埋め、袖口を掴む。その指先は、痛々しいほどに白い。


「……違うの」


 ——ぽそり。囁きにもならない声だった。

 けれど沈黙が深い分、その一言は不思議なほどはっきりと響く。

 

「……違うの。誰のせいでもないの」


 顔を伏せたまま、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。


「おじいちゃんは……自分で、そうするって決めたの。誰かに頼まれたからじゃない。感謝されたかったわけでも、……悲しませたかったわけでも、ない」


 涙が混じり、次第に不揃いになる声。


「ただ、エレノアさんを助けたかった。それだけだったの。でも、わたしがそれを話したら、おじいちゃんの純粋な想いまで変なふうに汚してしまいそうで……わたし、それが……いちばん、嫌だったの」


 エルンは思わず息を詰めた。

 ようやく見えた、六年前の真実へと繋がる糸口。やはり自分が知らない何かがそこにある。

 だがそれを手繰れば、リアの傷をさらに抉ることになるかも知れない。現に涙声を必死に絞り出す姿は、見るからに辛そうだ。

 

 ——それでも。

 エルンは下唇を強く噛み、迷いを振り切るように首を振る。


「……頼むよ、リア。きっと俺たち、このままじゃ駄目なんだ。ノルヴィアは誰も、あの日のことを何も知らない……いや、知ろうともしなかった」

「俺だってそうだよ。リアが何を背負って村を出たのかも知らずに、ただ悲しくて、寂しくて……三日三晩、泣くことしかできなかった」


 俯きかけた顔を上げ、真っ直ぐにリアを見つめる。


「俺はもう、何もできない子供ではいたくない。だからリアが勇気を出して戻ってきてくれた今日は、きっと最後のチャンスなんだ。ノルヴィアがちゃんと、あの日の真実と向き合うための」

「エルちゃん……」


 リアがおずおずと目だけを上げる。震える睫毛には、小さな雫がしがみついていた。


「リアちゃん。辛かったら、全部じゃなくていいの」


 エレノアも急かさないように、ゆっくりと言葉を置く。


「あの時の私は、周りの言葉に迷ってばかりだった。だから今度は、ちゃんと聞きたい。話せるところまででいい。あなた自身の言葉と想いを、聞かせて欲しいの」

「エ、エレノアさん……っ」


 緋色の瞳が大きく揺れた。ついに涙が落ち、膝へ小さな染みを作る。


 そこで初めて、カイウスも腰を上げた。リアへ数歩だけ近づき、それ以上は踏み込まない。

 

 辛い記憶なら、これ以上抉り返さなくていい。今すぐそう言って止めてやりたい気持ちもあった。

 けれど、話すかどうかを決めるのは自分ではない。守りたいからといって、懸命に前へ進もうとする彼女から、選ぶ権利まで奪いたくはなかった。


 それを選ぶのは、リア自身であるべきだ。

 ——ただ、その前に一つだけ。どうしても伝えておきたいことがあった。


「……リア。勝手を言ってすまない。だけど俺も、知りたい」


 赤い髪が、ふわりと揺れる。


「オルドたちは、君がアベルさんを殺したと言っていた。でも俺は断言できる。君は決して、そんなことをする人間じゃない」

「……っ」

「俺は今のリアを信じてる。それは誰から何を聞いたって変わらないよ。だから、もしよければ……君の過去を、俺にも少し分けてくれないか? リアが何を守ろうとして、何を抱えて、今まで生きてきたのか」


 灰色の瞳は、ただ真っ直ぐに彼女を見つめていた。


「もしそれが、今もリアを苦しめてるなら……そのまま一人で背負わせておくなんて、俺にはもう、できないんだよ」

「カイウスさん……」


 リアはカイウスを見つめたまま動かない。

 しばし、沈黙が落ちた。


 やがて、膝へ食い込んでいた指がぴくりと動く。一本、また一本と離れてゆき、抱え込んでいた膝が、ゆっくりと下りた。

 リアが顔を上げる。エルン、エレノア、そしてカイウス。三人を一人ずつ、確かめるように見つめていく。


「……わかりました」

 

 その声はまだ弱い。けれど、震えてもいない。


「わたし、話します。あの夜に起こったこと……その全てを」


 炉では、新たな薪へ火が移り、赤々と燃えていた。

 もう、熾火ではない。


 静かに揺れる炎の中、リアは六年前の夜を、ぽつり、ぽつりと語り始めた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。