1-12. それでも、故郷には
陽は西の山際まで傾き、ノルヴィア村は夕闇に沈みかけていた。
村外れの畦道に長い影が伸びる。祭り支度の喧騒はもう届かない。聞こえるのは、土を踏む二人の足音だけだった。
オルドの屋敷を出てから、どちらも口を開いていない。
リアはカイウスの肩に腕を回し体重を預けていた。足を運ぶたび膝が頼りなく揺れる。そのたびにカイウスは腰を支えた。彼女の身体はひどく強張り、震えが止まらない。時折り歯の鳴る音さえ聞こえた。
カイウスは何も言わず彼女を支え続けた。
村人たちの憎悪と怒号はまだ耳に残っている。あの場にリアを連れていったのは自分だ。もっと慎重にできたはずだった。人払いをして、まずオルドと二人で話していれば——。
唇を噛む。口内に血の味が広がった。
今さら後悔を口にしても、リアは「カイウスさんのせいじゃありません」と首を振るだろう。あんな目に遭った直後でさえ、彼女は自分よりカイウスを気遣おうとする。そんなことはもう分かっていた。
カイウスは彼女の肩を抱き直した。リアの指がカイウスの服を弱々しく掴む。身体がぴたりと寄る。わずかな隙間まで埋めようとしているようだった。
「……待って! 待ってください!」
呼び止める声が背後から追いついた。
振り返るとエルンがこちらへ駆けてくる。手にしたランプの灯が、夕闇の中で大きく揺れていた。
「大丈夫ですか!? それに、リアも……」
息を切らしたエルンは、カイウスに凭れるリアを見て眉を寄せた。
「……ごめんなさい。俺、一部始終を見てたのに……何も言えませんでした」
ランプを握る手に力が籠る。
「止めなきゃって思ったのに、怖くて動けなくて……本当に、ごめんなさい」
カイウスは首を振った。
「お前はノルヴィアの村人なんだ。あの場で一人だけ声を上げるのが、どれだけ難しいかは分かってる。責める気はないよ。それよりエルン、頼まれてくれないか」
「え?」
「見ての通りだ。リアはもう歩くのもやっとだ。少しでも早く休ませてやりたい。人目につかず、安静にできる場所はないか?」
リアがさらに深くカイウスへ寄りかかる。
「難しい頼みなのは分かってる。けどこの村で頼れそうなのは、もうお前しかいないんだよ」
「休める場所……」
エルンは一瞬考え、すぐに顔を上げる。
「だったら、うちへ来てください。広くはありませんが、村外れなので人目もほとんどありません。母も、きっとリアを迎えてくれます」
「……いいのか?」
「もちろんです。リアにとっても、馴染みのある場所ですから」
伏せられていたリアの頭がわずかに動いた。
「……その声」
ゆっくり顔を上げる。焦点の定まらなかった赤い目がランプの向こうにいるエルンを捉えた。
「……もしかして、エル、ちゃん……?」
エルンが目を見開く。
「……っ、ああ! そ、そうだよ、俺だよリア! エルンだ!」
「……あぁ……ほんとうに、エルちゃんだ」
懐かしい呼び名にエルンの目元が潤んだ。彼は照れたように頬を掻く。
「ひ、久しぶりだな。六年ぶりか。それにしても、リアはでっかくなったなぁ。昔は俺よりずっと小さかったのに。もう完全に抜かされちゃったよ」
自分の頭に手を当て、リアの背丈と比べてみせる。
エルンの知るリアなら、背丈をからかわれたと頬を膨らませていたかもしれない。しかし今は口元を少し緩めるだけだった。それでもエルンは、ほっとしたように息を吐く。
「……で、でもエルちゃん、大丈夫……?」
「え?」
「わ、わたしを、家に入れたりしたら……その……エルちゃんまで、みんなに責められたり……」
リアの声が途切れ、視線が落ちる。エルンは勢いよく首を振った。
「そんなの気にすんなよ!」
「で、でも……」
「いいんだって。俺はリアが戻ってきてくれて、本当に嬉しいんだから!」
そう言ってエルンは胸元のペンダントを握った。豊穣神トリィヤを象った手彫りの品だった。
「それに俺、ずっと知りたかったんだ。六年前のあの夜、何があったのか」
リアの表情が強張る。
「俺だってトリィヤ様を信じてる。大樹が裂けたことも、その後の飢饉で村中が苦しんだことも、もちろん悲しいよ。でも、あれが神罰だったなんて思わない」
エルンはリアから目を逸らさなかった。
「俺の信じるトリィヤ様は、大樹が傷ついても村を見放したりしない。間違いも後悔も全部受け止めて、何度でもやり直す道をくださる神様だから」
胸元のペンダントを指先が包み込む。
「それに俺は知ってる。リアにとっても、あの大樹は大切な場所だったじゃないか。そんなリアが理由もなく大樹を傷つけたなんて、どうしたって信じられないよ」
「……エル、ちゃん……」
リアの手が迷うように伸び、カイウスの袖をきゅっと掴んだ。そのまま肩に額を預け、身を寄せる。
「……ありがとう、エルン。リアを信じてくれる人がこの村にいてくれて、本当に助かった」
「よして下さい。俺はさっき、何もできなかったんですから。だから今度こそは手伝わせてください」
エルンは自嘲気味に笑い、気を取り直すようにランプを掲げる。
「こちらです。周りは俺が見ますから、ゆっくり行きましょう。足元、気をつけてくださいね」
そう言って先に立つと、時折り周囲を確かめながら歩き出した。




