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傭兵カイウスの放浪譚  作者: フルツ好き男
一章 豊穣の村と赤髪の少女

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11/29

1-11. 望まれぬ帰郷

 豊穣祭《ほうじょうさい》を目前に控えたノルヴィア村は、昼間から活気に満ちていた。


『年に一度、女神様に今年の実りを感謝する、ノルヴィアで一番大切な祭りらしいぜ。夏に刈った麦を一斉に脱穀するから、村の大きな節目でもあるんだ』

 

 以前、ヴォルトが話していたのをカイウスは思い出す。

 

 祈《いの》りの大樹《たいじゅ》の根元には、すでに麦束がいくつも積まれていた。農夫たちは畑で最もよく実った一束を額に当て、深く頭を垂れてから大樹へ捧げていく。最良の麦は人の口に入れず豊穣神トリィヤへお返しする。古くから続くノルヴィアの習わしだという。

 村の女たちは若葉色の織物で軒先を飾り、青年たちは豊穣を祝う輪舞の稽古に励んでいた。子どもたちがその足元を笑いながら駆け抜けていく。


 賑わう村を、カイウスはリアと並んで歩いていた。

 

 彼女は一言も発さない。フードを目深にかぶり、手まで外套の袖に隠している。長い脚は小刻みな歩幅で進み、高い背は目立たないように丸まっていた。村人とすれ違うたび、その肩がビクリと小さく跳ねる。


「……少しだけ顔を上げた方が歩きやすいぞ」


 なるべく軽く声をかけると、リアはおずおずと顔を上げた。だが向こうから村人が来るのを見るなり、またフードを引き下げてしまう。


「……す、すみません。ちょっと……」

「謝ることじゃないさ」


 カイウスはそれ以上言わなかった。隣を歩いてやることしかできなそうだ。


 風《かぜ》の壺亭《つぼてい》の前まで来ると、広場で子どもたちが手を繋ぎ、輪になって踊っていた。中心にいる麦わら帽子の少女が胸いっぱいに息を吸い込む。

 

「あかいけもの あらわれて〜

おおきなたいじゅ ひきさいた〜

さいたら めがみさま おこりだし〜

みのりのはたけも かれました〜」


 子どもらしい明るい旋律に、物騒な詞。そのちぐはぐさが妙に耳へ引っかかり、カイウスは足を止めた。

 

「……いまの歌」

 

 カイウスが歩み寄ると、少女は歌を止めて大きな目を瞬かせた。

 

「やぁ。君、ずいぶん歌が上手なんだな」

「ほんとに? ありがとう! まぁ、よく言われるんだけどね!」

 

 ませた返しにカイウスは苦笑いした。

 

「それ、なんていう歌なんだ? 聞き馴染みがなくてな」

「えぇー! さてはお兄さん、外から来たんでしょ?」

「お。よく分かったな」

「だってノルヴィアの人ならみんな知ってるもん! 『あかいけもの』って歌だよ!」

「……へぇ」


 カイウスはしゃがみ、少女と目線を合わせた。


「物知りなんだな。名前は?」

「ミラ! ミラ・フェーン!」

「ミラか」 


 これから村人たちと向き合うなら、リアが村でどう語られてきたのか知っておきたい。カイウスは一度だけ振り返った。フードの奥でリアがかすかに頷く。


「お願いがあるんだけど、その歌、最初から聞かせてもらってもいいか?」

「いいよ! ちょうどもう一回歌おうと思ってたし!」


 ミラがぱんと手を叩く。子どもたちが再び手を取り合い、輪が回り始めた。


「あかいけもの あらわれて〜

 おおきなたいじゅ ひきさいた〜

 さいたら めがみさま おこりだし〜

 みのりのはたけも かれました〜


 ごはんのぱんも なくなって〜

 おとなもこどもも なきました〜

 むぎほをそなえて ひざをつき〜

 どうかゆるして トリィヤさま〜


 それでもけものは やってくる〜

 あめのよるには かげのなか〜

 だからよるには でかけるな〜

 おまえをつれてく あかいけもの〜」

 

 歌い終えたミラが得意げに胸を張った。

 

「どう? おばあちゃんが教えてくれたの! 最後まで歌うと、あかいけものが村に入ってこられないんだって。だから途中でやめちゃ駄目なんだよ!」

「……そうなんだな」


 カイウスは笑みを保った。


「ありがとう。すごく印象に残る歌だったよ」

「えへへ」


 頭を撫でると、ミラは嬉しそうに輪へ戻っていった。


 立ち上がったカイウスの目に、先ほどと同じ場所に立つリアの姿が映る。フードの奥は見えないが、震える肩と握りしめた袖口の歪みは見て取れた。


 子どもたちは何も知らない。ただ大人から教わった歌を、遊びながら口ずさんでいるだけだ。だがリアにとっては違う。この歌は彼女がいなかった六年間、この村がリアを厄災として語り継いできた証なのだ。


「……行くか。オルドの屋敷まであと少しだ」


 リアはすぐには動かなかったが、やがて小さく頷く。二人が歩き出した背後で、童歌がまた始まった。


「あかいけもの あらわれて〜」


 遠ざかるにつれ歌声は小さくなっていく。軽やかなその旋律だけは、いつまでも背中に纏わりついてきた。


***


 ほどなく二人はオルドの屋敷に着いた。

 木組みの門をくぐると、開け放たれた窓から何人もの話し声が聞こえてくる。どうやら豊穣祭の準備で村人たちが集まっているらしい。


 カイウスが扉の鉄環を打ち鳴らすと、見覚えのある青年が顔を出した。エルンだ。


「カ、カイウスさん!? 無事だったんですね! 森へ入ったきり連絡がなかったから、皆で心配していたんですよ!」


 驚きが安堵へと変わる。だがその視線はすぐカイウスの肩越しへ移った。


「あれ? その……後ろの人は?」


 答える前に、屋敷の奥から声が飛んできた。


「エルン! カイウス殿なのか!? すぐに通しなさい!」

「……だってさ。入れてくれるか」

「わ、分かりました。案内しますね」


 応接間では、数人の男女が長卓を囲んでいた。農夫組合の代表や、豊穣祭の取りまとめ役だろう。卓には村の見取り図のほか、麦穂を編んだ冠や、顔の無い女神像が並んでいる。

 

 中央の席にいたオルドはカイウスを見るなり目を見開いた。すぐに表情を綻ばせ立ち上がる。


「おおぉ……! 戻られたか、カイウス殿! その後、便りがなく皆で案じておったのだ。よくぞご無事で!」

「ご心配をおかけしました。報告が遅れてしまい申し訳ありません」

「いやいや、よいのだ! こうして戻られたことが何よりの収穫よ。さあさあ、まずは腰を掛けてくだされ」

 

 卓を囲む人数を見て、カイウスはわずかに眉を寄せた。リアの話をするには多すぎる。先に巨狼のことを報告し、人払いを頼んでから切り出した方がいい。

 

「お気遣い感謝します。ですが、先にお伝えしたいことがあります。森の異変、その正体についてです」


 室内のざわめきが止んだ。オルドも椅子を勧めた手を止める。


「巨大な狼と遭遇しました。大きさは通常の個体の十倍……あるいは、それ以上。非常に凶暴で、何より狡猾な奴です」


 長卓の向こうで誰かが息を呑む。


「一度は退けましたが、仕留めてはいません。食料を求めて村まで下りてくる可能性もあります。ここまで来られたらひとたまりもないでしょう。早急な対応が必要です」

「な、なんと……!」


 不安げな声がいくつも上がった。オルドは腕を組み眉間に皺を寄せる。


「……放置はできませんな。しかし豊穣祭もある。延期してでも、アルヴェイン辺境伯殿へ援兵を願い出るべきか……」


 そこでオルドの言葉が途切れた。視線がカイウスの背後に向いている。

 リアが身じろぎした拍子に、フードから赤い髪が一房こぼれていた。


「……そ、そいつは……!?」


 椅子がぎしりと軋むと、オルドが勢いよく立ち上がった。


「お、おい! なぜ、そいつを連れてきた!? い、一体何を考えている!」


 卓を囲む者たちもオルドの視線を追った。戸惑いは、赤髪に気づいた者から順に強張りへ変わっていく。


「……あ、赤い髪……?」

「そ、そんな、まさか……」

「嘘だろ……」


 エルンはフードから覗く横顔を食い入るように見つめていた。


「……リ、リア?」


 予定が狂ったな。カイウスは胸の内で舌打ちし呼吸を整える。

 

 リアがどれほど恐れられているかはさっきの童歌で嫌でも分かった。彼女が萎縮している今、自分が冷静でなければ話し合いにならない。


「オルド殿、どうか落ち着いてください。彼女は俺の命を救ってくれたんです。森で動物を襲っていたのは彼女ではありません。あの化け物を退けられたのも、彼女のおかげです」

「だ、黙れ!」


 怒声がカイウスの言葉を断ち切った。


「その女がどれほどの禍を村にもたらしたか、貴殿にも話しただろう! それでもこの村に雇われた身か!?」


 オルドの指が、震えながらリアを射抜く。


「そいつは赤獣《せきじゅう》なんだぞ! トリィヤ様の御身を裂き、村を飢饉に追いやった災厄そのものなのだ! あの飢饉で、一体どれだけの命が失われたか……幼子を看取った親も、一人や二人ではない。貴殿はそれを知らぬから、いけしゃあしゃあとそんなことが言えるのだ!」


 オルドの言葉に、長卓を囲む者たちの顔も険しくなる。拳を握り締める者。唇を固く結ぶ者。リアを睨みつける者。

 カイウスは反論を呑み込んだ。彼らが味わった悲しみまで否定するつもりはない。だが、その全ての責任をリア一人に負わせていい筈もなかった。


「……わ、わたし……」


 背後から乾いた声がした。

 リアが身を縮め、カイウスの裾を握りしめていた。怯えた顔をカイウスの背から覗かせ、必死に言葉を探している。

 

「わたしは、あ、謝ることしか、できません。で、でも……」


 刺すような視線を浴びながら、彼女はどうにか声を絞り出した。だが、その言葉にオルドの怒りが燃え上がる。


「謝るだと!? 今さら戻ってきて何を望む! 謝れば赦されるとでも思っているのか!? 大樹のことも! それに——」


 オルドは荒く息を吸った。怒りに濁った目に、一瞬だけ別の痛みが浮かぶ。


「貴様が殺めた、実の祖父——我が友、アベルのことも!!」


 室内から音が消えた。

 リアの肩がビクリと跳ねる。俯いていた顔から表情が抜け、裾を握る指まで凍りついたように動かなくなった。


 カイウスの喉が、ごくりと鳴った。


(リアが……自分の祖父を殺した?)


『かけがえのない、とても大切な人です』


 森小屋で祖父を語ったときの柔らかな横顔が浮かぶ。あの笑顔が嘘だったとはとても思えない。だからこそ、オルドの言葉をすぐには理解できなかった。


 カイウスはリアを見つめた。何か言うのを待ったが彼女は俯いたまま動かない。その沈黙を肯定と受け取ったのか、一人の男が立ち上がった。


「お前さえいなければ、あの飢饉は起きなかった! 俺の弟も冬を越せたんだ!」


 一瞬、誰も続かなかった。だが。


「そ、そうだ……!」


 やがて別の声が上がる。


「神罰を招いたのは、いったい誰だと思ってるんだよ!」


 今度は、間がなかった。


「今すぐ村から出てってよ、この疫病神!」

「豊穣祭を前に、トリィヤ様のお膝元へ穢れを持ち込むな!」

「赤獣め! また凶作を呼び込むつもりか!?」

「その巨狼だって、お前のせいじゃないのか!? トリィヤ様がお怒りになって、また村に神罰を下されたんだ!」

 

 エルンだけは罵声に加わらなかった。青ざめた顔で口を開きかけては何も言えずに閉じている。

 

 怒りも、嘆きも、憎しみも。すべてが罵声となってリアへ押し寄せていた。

 カイウスは一歩踏み出し彼女を背に庇った。鋭い視線が自分へと集まる。これでいい。激情の矛先を、少しでもリアから逸らせるのなら。

 

「皆さん、頼むから落ち着いて話を聞いてくれ!」


 声は思ったより強張っていた。カイウスは奥歯を噛み締める。

 

「六年前のことを軽んじるつもりはありません。飢饉で大勢が苦しんだことも、彼女を恐れる理由も分かります。ですが、何か誤解があるはずなんです」


 背後を窺う。リアは俯いたまま、身じろぎひとつしない。


「彼女は理由もなく誰かを傷つけるような人じゃない。俺はこの目で見ました。リアは命を懸けて、見ず知らずの俺を助けてくれたんです。だから腹を割って話し合えばきっと——」

「黙れ! この恥知らずの傭兵が!」


 罵声が言葉を叩き潰した。背後でリアが息を呑む。伏せていた顔がわずかに持ち上がった。

 

「金儲けのために赤獣を連れ戻したんだろう! 争い事で飯を食うんだもんな!」

「ち、違う! 俺はただ——」

「そいつに誑かされたんじゃないのか!」


 別の男が嘲るように吐き捨てる。


「薄汚いならず者と、神罰を招いた害獣か! 卑しい者同士、さぞ気が合うことだろうよ!」


 カイウスの眉がぴくりと動く。

 熱くなるなよ。そう自分に言い聞かせるためにゆっくり息を吐いた。


 そのとき、背後で鼻をすする音がした。

 振り返らなくても誰だか分かる。リアだ。彼女は何ひとつ言い返さず、ただただ罵声を受け止めている。

 見ず知らずの自分を助けてくれた、まっすぐで誠実な少女。そんなリアの純粋さを、誰もろくに見ようともしない。六年前の不確かな過去だけを突きつけ、寄ってたかって責め立てる。

 

 どうして、リアだけがこんな目に遭わなきゃならない。

 どうして誰も、彼女の話を聞こうとしない。


 ——このクソどもが。

 奥歯がぎり、と軋んだ。


「……おい」


 自分でも驚くほど低い声が出た。正面の男が悲鳴を漏らし、半歩下がる。

 

「お前ら、もういい加減にしろよ」


 カイウスはゆっくりと顔を上げた。もう理解を乞うつもりはなかった。

 

「俺は傭兵だ。ならず者だ。どうとでも罵ればいい。だけど、リアまで同じように貶すのは違うだろ!」


 一歩、前へ出る。


「ここはリアの故郷なんだろ!? あんたらだって、昔はこいつと一緒に暮らしてたんだろうが! 誰か一人くらい、リアの底なしの人の良さを覚えてる奴はいないのか!? それも全部、忘れちまったっていうのかよ!」


 村人たちを見渡す。誰か一人くらい頷いてくれるかもしれない。だが返ってくるのは、憎悪と怯えの入り混じった視線だけだった。

 最後まで残っていた何かが、それでぷつりと切れた。


「だいたい、飢饉が神罰で起きただと!? ふざけるな!」


 拳が長卓を叩いた。


「実りが続けば土地は痩せる! 雨が途切れれば麦は枯れる! 病が広がることだってある! 大樹が裂けた直後に不作が来たからって、どうして全部リアのせいになるんだ!」

「き、貴様! トリィヤ様を愚弄する気か!?」

「愚弄してるのはそっちだろ!」


 カイウスは即座に怒鳴り返した。


「神の名を盾にすれば、一人の少女を袋叩きにしても許されるのか!? それがあんたらの言う信仰なのかよ!」

「な、なんという無礼……!」

「女神様を畏れぬ、よそ者めが!」

「今すぐ村から出ていけ! 二度とトリィヤ様の地を踏むな!」


 激しい罵声が殺到する。こちらも退く気はさらさらない。さらに一歩踏み出す。


 ぐい、と袖を引かれた。


「……?」


 振り返ると、リアが必死に首を振っていた。身体を縮め、目を固く閉じている。自分への罵声には黙って耐えていた彼女が、今はカイウスを止めようと指先に懸命に力を込めている。


「リア? ど、どうしたんだ?」

「……や、めて……」

「なんでだよ。だってコイツら——!」

「も、いや……! カイ、ウ……さん……っ……なにも、悪く、ないのにっ!」


 その声に、頭に上っていた血がすっと引いた。

 リアは自分への罵声には耐えられた。それでもカイウスが罵られるのは耐えられなかったのだ。こんな時ですら、彼女は誰かの心配をしている。


 ——ああ。やっぱりリアだ。

 もうこんな言い争いどうでもいい。今は彼女をここから連れ出して、少しでも休ませてやりたい。


「……分かった」


 カイウスは袖を掴むリアの手を取り、しっかりと握った。


「行こう、リア」


 その手を引き、戸口へと向かう。


「そうだ! 出ていけ!」

「疫病神め! 二度と戻ってくるな!」

「貴様らには、必ず天罰が下るぞ!」


 罵声が矢のように背中に突き刺さる。振り返れば今度こそ抑えが利かなくなる。カイウスは前だけを見た。


 リアの手が離れないように。それだけを確かめながら、二人は屋敷を後にした。

 

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