第九話 警報
「お勤めご苦労様でした」
文書管理室に戻ると、司書は俺の頭部に装着された猫耳を見て、瞬時に状況を理解したようだ。
遅くなってしまったことを怒られるようなこともなく、彼はすっと視線を逸らして業務を再開した。
「すみません、これ田島さんからです」
持ってきた書類を司書に渡すと、張り付けられたメモ付箋を読んで新しい報告書に糊付けし、何やら書き込んでからファイルに綴じた。
随分と丁寧に保管しているが、読み返すことはあるのだろうか。
自分の席に戻ると、C君から同情の目を向けられた。
「早速行ったんだね、相談室……俺あの場所は苦手なんだ」
「うん……棚を整頓しようとしただけなんだけど、何故か連れていかれちゃって」
「理不尽だよね、ラボのトラップ。せめてもう少しわかりやすくしてほしいよ」
雑談もそこそこに、PCを操作し再びBLESSの監視画面を開いた。
離席するたびに開き直す必要があるのは面倒だが、MIMO個体に直接干渉できるようなものを放置するわけにはいかないのだろう。
といっても、肝心の操作方法なんかはパッと見ただけではわからないのだが。
BLESSは、もう膨らんだりしぼんだりはしなかった。
やはり、あの時に見たのは思い込みによるものだったのだ。
異常がないのを確認して、書類の整理に戻った。
静かな文書管理室では、鈴の音はよく目立った。
書類を手に取る度に鳴り、目にかかる前髪を振り払う度に鳴り、整理の終わった書類を綴じるファイルを探そうと立ち上がる度にちりんちりんと鳴るのだった。
すでにその音に慣れてきた俺にとって鈴は煩わしいだけだったが、時折くすっと堪えきれないように笑う声が聞こえてきて、最初はC君だと思っていたのだが、どうやら笑っていたのは司書のようだった。
何度目になるか、前髪が目にかかり首を振って視界を開いた。その瞬間、ついに司書が吹き出してわら合いながらデスクに突っ伏してしまった。
「すみません、仕草があまりにも、猫そのもので……」
司書はそう言いながらさらにツボにはまってしまったようで、暫くそのまま肩を震わせた。
癖でもう一度首を振ってしまった際、今度はC君の耐久が崩れた。
二人のくつくつと笑う声と、何度もすみませんと謝られるうちに、感じないように無視していた羞恥心が沸き上がってきて、俺もそのままデスクに突っ伏してしまった。
ちりん。
三人同時に突っ伏してしまったのがいけなかったのか、単なる偶然なのか。
突如、警報のサイレンが鳴り始めた。
顔を上げると、放送用のスピーカーの隣に設置されていた赤いランプが点灯しており、司書とC君はPCのキーボードを叩いていた。
BLESSの監視画面には警告文が流れ、数値の桁数は最大値に向かって上昇する最中だ。
球体の方は表面に大きな波紋が広がり、津波を引き起こしている。
円を描く波の中心は一際強く発光しており、サイレンのせいか、美しいのに悲鳴を上げているように思われた。
「特定しました、識別番号E1-01です!」
C君が読み上げると、司書は深く息をついたのちに警報を解除した。
「安心してください、これは自然に落ち着きます。本来操作入りませんが、指示を出すのでやってみてください」
司書の指示に従い、キーボードを叩いてBLESSの内部へとアクセスした。
識別番号とともに、BLESSへの影響度合いを示した数値が表示され、一覧になって並んでいた。
一覧の中からE1-01を探し出し、選択する。
すると、リアルタイムでのデータが表示されたようだったが、どれだけスクロールしてもすべての桁が目まぐるしい速度で0と1の切り替わりを起こしており、ランダムな位置の数値が0に定まっていく最中であった。
引き続き司書の指示でキーを叩くと、ガラス化信号というタブが開いて送信用の赤いボタンが表示された。
「それがガラス化信号です。システムを凍結し崩壊を防ぐための信号です。エンターキーで送信してください」
指示された通りにキーを叩いた。
カチ、と軽い音がして、タブの背後で点滅を繰り返していた数値はピタリと動きを止めた。
そして新たに、Dr.Sという名前のタブが開き、プッシュボタンやレバーなどが描かれた操作盤が表示された。
操作盤には種類があるらしく、タブの右端にはその一覧が表示されている。
「動きが止まったら報告」
「あ、すみません。止まりました」
「うん、信号は問題なく受信したみたいだ。今回は処理することはないから、操作盤には触れずに閉じて……そう、もう一回エンターを押せば解除されます」
キーを叩くと、ガラス化信号のタブも閉じられ0と1は再び点滅し始めた。
やがて全ての数字が0で固定されると、それ以降変化は見られなくなってしまった。
「良いでしょう。ガラス化中の操作についてはまた次回から教えて行きますが、もし僕がいないときに警報が鳴ったら、ガラス化した状態で待機するようにお願いします」
「わかりました」
E1-01が完全に停止すると、BLESS全体への影響もまた0を示していた。
大学ノートを開き、忘れないうちに司書からの指示と流れを書き留めておく。
管理画面を閉じる前に、もう一度識別番号のリストをスクロールする。
ほとんどの項目がEから始まるのに対し、一つだけAから始まる項目があった。
「A0-00」の番号が与えられたその項目の影響度合いは、全体に対し三割ほどと、かなり多くを占めているようだった。また、E1の項目は-10まで存在するようだが、稼働しているのは三つだった。それ以外の項目に関しては、E5-01、E17-01……と、所々間を開けて稼働している。
仮説の通りこれがMIMO個体のリストであるならば、停止している個体は何らかの不具合が起きたか、廃棄か、単に再稼働するのを待っているのか。
いずれにせよ、この画面を長く見つめているのは気分が悪くなるようだった。
特にA0-00の個体は明らかに特別な個体のようだが、その正体がわからないということ、ここまでのデータ量を保有しながら今もなお正常に動いていることなども相まって、余計に不気味だった。
デスクの引き出しから電卓を取り出し、E1に分類される個体のデータ量も合計してみると、こちらもまたAの個体に負けず劣らずの数値が算出された。
BLESSの大半はA個体とE1個体が占拠していることになる。
特別な二体のMIMOIDと、その他のそうでないMIMOID。ラボの中で自由奔放にふるまうサキコは、きっとこのどちらかだ。
ここまでの予想と計算した値をノートに書き記した。
隣でC君が不思議そうに首をかしげていたが、特に何かを訪ねてくることはなかった。
BLESSの監視画面へと戻り、俺たちは再び、通常の業務へと戻った。




