第八話 お客様相談室
コーヒーを飲みながら待っていると、暗闇の中から扉が開く音がした。
音がした方向で一瞬光が見えた気がしたが、扉はすぐに閉じられたようだ。
コツコツと足音が近づいてきて、座ったまま待つべきか、立ち上がるべきか少し悩んで席を立った。
足音の主は副所長だった。やはり白衣ではなくスーツを着込み、紙袋をさげた手でバインダーを抱えていた。
副所長は俺を見ると顔を曇らせ、ビビさんですね、と少し躊躇うように名を呟いた。
彼に促され、俺は再びソファーに腰かけた。
「さて、ここを出る前に少しお話を聞かせてもらいますね。大した話ではないので楽にしてください」
「わかりました。よろしくお願いします」
「ビビさんはこの部屋について、サキコさんから説明を聞きましたか?」
「いえ……」
すると、サキコがむっとした表情を浮かべて割り込んできた。
「違うよ!お話してたけどビビが聞かないんだよ!僕が悪いわけじゃない!」
サキコは副所長のスーツの袖をつかみ、必死に抗議している。
彼女が仕事を放棄したわけでないのは事実だ。MIMOとして当然の振る舞いをしたにすぎず、そもそもサボるとか、適当にこなすとかの考えは持たないのでそれは疑いようがない。
副所長も、ええ、わかっていますよ、とサキコを宥め落ち着かせた。
「人間としか話したくない、という方もいますから。仕方のないことです」
サキコは頬を膨らめて、納得いかないと不貞腐れて茶菓子の盆に手を伸ばした。
副所長は思い出したように紙袋を差し出すと、途端にサキコの表情が華やいだ。
「チョコだ!」
「一日一個にしてくださいね。回収部門から怒られますので」
「はーい!」
紙袋の中から出てきたのは有名なチョコレートメーカーの菓子折りで、玩具のおやつにするにはもったいない高級品だった。
上機嫌に包装を剥がし、箱を開けると茶菓子の中に個包装のチョコレートを数個移して、テーブルの上に並べた。サキコが新しい飲み物を用意してくれるというので、コーヒーを頼んだ。
「MIMOは苦手ですか?」
「ええ、実のところは。それに、このラボではMIMOは道具ではなく、人よりも上位の存在みたいですね」
チョコレートを一つ取り、体温で溶かさないように包装の端をつまんだ。透明なプラスチックは、チョコレートを香りごと完璧に閉じ込めている。
「あなたにはそう見えましたか」
「それ以外、何だというのでしょう」
「いえ、あなたがそう思うのならそうなのでしょう」
副所長ははぐらかすように首を振り、サキコから受け取ったコーヒーに口をつけた。
「さて、サキコさんに代わってこの部屋の説明をしましょうか。ここはお客様相談室と言って、ラボのセキュリティ設備の一つです。皆さんがトラップと呼んでいるものは全て、侵入者を撃退するための設備です」
「この部屋はともかく、靴が貼りつくとか足つぼが飛び出すとか、そういうのも?」
「ええ、案外役に立っているんですよ」
副所長は涼しい顔で続けた。
「お客様相談室はその名の通り、侵入者のお客様や誤ってここに落ちてしまった職員に聞き取りを行うための部屋です。もちろん、聞き取りが終わったら解放されますのでご安心下さい」
「そうですか。でも、実際役に立つんですか?侵入者なんてそうそういないと思いますが」
「ええ、役に立ちますよ。特に一般公開をしている日や見学に来られた方とか……一番多いのは記者の方々ですね」
それを聞いて、資料室にあった妙に飛び出しているファイルが思い出された。
俺も確かに好奇心が掻き立てられ、手に取って開いてしまったのだ。
特ダネを探して奔走する彼らから見れば、あの部屋も宝の山に映るのだろうか。
ラボの職員の案内を無視した部外者は、たちまちペナルティが発生する、というシステムなのだろう。
「一冊だけファイルが飛び出していて気になったので……本当にそれだけだったんです」
と、言い訳を並べた。アンが言っていた手を触れるなというのは、単なる指示ではなくラボからの警告だったと、今になって気が付いた。
しかし、そうだとしても不親切な仕掛けだ。
「ええ、よく起こる事故ですから気になさらないでください。ですがこれからは、警告には十分気を付けた方がいいですよ。ラボは全てを説明するわけではありませんが、警告は必ず出されていますから」
「……わかりました。肝に銘じます」
副所長は聞き取り内容を記録すると、そろそろ戻りましょうかと立ち上がった。
サキコに靴跡の掃除を命じ、暗闇に向かう。
彼の後を追い、真っ白な床を歩く。
白と黒の切り替わりは、近くで見ると案外はっきりとしておらず、暈けていた。
真っ黒な空間は地面も行き止まりもないように見えるが、先を歩く副所長の足は確かにそこに床があるのだと示している。俺もまた、暈けた境界線を越えた。
しばらく歩いた先にドアノブが浮かんでいた。
黒く塗られてはいるものの、その表面は僅かな光を反射して輪郭を形成している。
扉の先は明るく、ラボと同様の内装の細長い小部屋となっていて、片側には背もたれのない長椅子と、反対側にはエレベーターの扉が待ち構えていた。
小部屋に入る前に一度、背後を振り返った。
相談室はやはり、3Dのゲーム作品のように、白い部屋が浮き上がって見えた。
そう思うと、座り心地の良いソファーと艶のあるテーブルはミニチュアの玩具のようでもあった。
サキコがせっせと床を拭いているのを見ながら、扉を閉じた。
通常のラボと変わらない内装に安堵しながら、エレベーターに乗り込んだ。
しかし、エレベーターの中は相談室のような白一色で塗られていて、扉が閉まるとそこに言葉が彫り込まれていた。
はないが、強い光にあてられ影ができている。
『好奇心は猫をも殺す』
影は確かにそう読めた。これがお客様相談室に落ちた者への警告ならば、ラボについて知ろうとしてはならない、という意味なのかもしれない。
俺は、エレベーターが上がり切り、再び扉が開くまでその文字を見つめていた。
運ばれた先は、施設入り口付近にある小さな小屋だった。
出入りする者を管理するための警備にしては窓がないし、物置にしては建物から離れている上に目立つ場所にあるので気になっていたのだが、まさか地下深くへと通じるエレベーターだったとは。
ペナルティを犯したお客様はここからおかえりください、という意味にもとれる。
小屋を出た先には、既に微笑むこともやめたアンの姿があった。
彼女には悪いことをしたかもしれない。最終面接からずっと世話になりながらも、彼女の話をどこか軽んじてしまっていた。
「おかえりなさい。これがあなたへのペナルティです。今日は一日、装着しておくように」
アンから手渡されたのは、白い猫耳のカチューシャだった。
ふわふわの綿毛と、ピンク色のリボン、ちりんと可愛らしい音の鳴る鈴がついている。
私は好奇心に殺された猫です、という証明なのだろう。
当然、これをつけて歩けば早速新人がトラップにかかったのだとバレることになる。
不機嫌なアンに誠心誠意頭を下げて、猫耳を受け取った。
猫耳をつけてラボに戻ると、最初に向かった品質保証室で田島から大いに笑われて、司書から預かった書類を渡すだけなのに随分と時間がかかってしまった。
「お前、今日は言ったばかりの新人だったよな?早すぎないか?将来有望だな」
がははと笑いながら何度も背中を叩かれ、他の職員が止めてくれなければ危うく体を壊していたかもしれない。
が、田島は司書へと渡す書類を入れたファイルに一筆添えてくれたのだった。
『将来有望につき、大目に見てやってくれ』
粗雑な振る舞いとは裏腹に、綺麗に整った文字だった。




