第十話 先輩登場!
退勤時間が近づいてくると、C君はそわそわと落ち着かない様子で何度も時刻を確認していた。
仕事が終わった後もアルバイトの予定が入っており、急いで向かわなければならないらしかった。
「ビアガーデンだからもう少しで終わっちゃうんだけど、よかったら今度遊びにおいでよ」
と、C君は話してくれたのだが、アルコールや脂っこい食べ物は苦手だったので、機会があればと断った。
五時のチャイムまで残り数分というところで、廊下からばたばたと走る足音と、黄色い笑い声が近づいてきた。
すると、C君の様子は一転し、みるみるうちに顔色が悪くなっていく。
どうかしたのか、と声をかけようとした瞬間、勢いよく扉が開かれた。
「やっほー!ミハリが来たよー!」
「ナノも来たよぉ」
扉が開かれた衝撃で、積まれた書類が少し揺れたような気がした。
元気な声とともに入ってきたのは、どう見てもまだ十代の少女たちだった。
一人は黒髪にカラフルな差し色が混ざったツインテールの少女で、もう一人は黒色の猫耳パーカーを羽織った金髪の、可愛らしい顔つきだが声の低い少年のようだ。
「二人とももう来たんですか?あと三時間は余裕がありますよ」
「だって新人が来るって聞いたんだもん」
「そうそう、ニンジンが来るって聞いたんだもん」
ねー、と、二人は顔を見合わせた。
年端のいかない少年少女に見えるが、彼らはラボの白衣を着て社員証を提げている。
彼らの目が俺たちの方に向けられると、隣でC君が勢いよく立ち上がって姿勢を正し、先輩!お疲れ様です!とお辞儀をした。
「よ。元気か少年」
「げんきか~古ニンジン~」
人を少年呼び出来るような歳には見えないが、ミハリと名乗った少女は片手をポケットに入れたままニッコリと笑い、ナノという少年の方もまた、ふわふわとした口調でおちょくるように語りかけた。
わざとらしく媚びるような喋り方にはどことなく苦手なタイプのそれであり、彼の社員証の表面には大きく、「減給処分!」という赤いスタンプが押されていた。
わかりやすく問題児二人組、という装いで、積極的に関わりたくはない人たちだ。
「あ、ねえ司書さん充電器使っていい?切れちゃったの」
ナノはポケットから小さなゲーム機を取り出した。
もう随分と昔に流行った携帯ゲームのようだが、彼の言う通り電源はついていなかった。
司書が一言どうぞ、と言えば、少年は充電器のプラグをデスク上のたこ足コンセントに繋いでいた。
「あの、どちら様で……?」
一人状況が読み込めず、司書に助けを求める。
「ああ、彼らは文書管理室の夜勤さんです。本当は八時からの勤務なんですが、今日は早く来たみたいですね」
「そゆこと!君が新人だよね?先輩だぞ、挨拶しろ!」
「しろ~!」
キャッキャとはしゃぐエネルギーの塊が迫ってきて、C君に倣い慌てて立ち上がり頭を下げた。
明らかに年下の彼らに頭など下げたくはないのだが、新人と先輩の関係であることに間違いはない。
あと数分の我慢だと思うことにした。
「ビビと言います。よろしくお願いします」
言いながら、頭上でちりんと鈴の鳴る音がして、あの可愛らしい猫耳を装着していたことを思い出す。
ナノが嬉しそうに、お揃いだ~と呟いた。
「ビビ!こう見えて私たち、Lv.3だから。子ども扱いするんじゃねーぞ」
ミハリの丸い目は大きく見開かれ、サキコとはまた違った種類の目力に圧倒されそうになる。
近くで見てもやはり幼いのだが、夜勤を任せても大丈夫なのだろうか。
困惑していると、ミハリはその大きな目でジッと俺を見つめたと思ったら、かくんと首を傾げ、唐突に胸に飛び込んできた。
「えっ、あの?!」
「しっ!静かにして」
ミハリに窘められ、口を閉じる。彼女は俺に抱き着いたままぴったりと小さな耳を俺の胸にあてがった。犯罪的な構図にたじろぎ、かといってどうすることもできないまま司書の方を振り向いたが、彼は黙って肩をすくめるだけだった。
C君の方も、今は喋れないよ、と口元に指でバツを作っている。
「へえ……なるほど」
暫くしてミハリから解放されると、嫌な汗とともにどっと疲れが押し寄せてきた。
「司書、私この子気に入ったわ」
「だと思いました」
俺は、気に入るどころかすっかりと彼女のことが怖くなってしまった。逆らえば平気な顔でとんでもないことをしでかすような危うさがある。
タイミングよく終業のチャイムが鳴り響き、待ってましたと言わんばかりにC君が荷物を抱えて飛び出していった。
「すみません司書さんビビ君ミハリ先輩ナノ先輩、お先に失礼します!」
「はい、気を付けて」
司書の返事も聞かないうちに、C君はバタバタと走り去っていく。
俺も、このタイミングを逃すまいと帰り支度を済ませて鞄を手に取った。
「俺も帰ります、お先に失礼します」
「じゃあね!また会おうね!」
「はい、気を付けて。初日、慣れないことだらけだったろうけどご苦労様」
「ええ。また明日、よろしくお願いします」
と、恐ろしい先輩たちから逃げるべく、俺は速足で文書管理室を後にした。
振り返ったら彼らが追いかけてきていそうで、ホラーゲームの主人公にでもなったような気持ちのまま、とにかく前を向いて足を進めていった。
◇
更衣室へと向かう途中、清掃員と思われる装いの女性が黒い大きな袋を台車に乗せて運んでいるのを見かけた。
袋はあちこちが不規則に出っ張っていて、何とも形容しがたい形状をしている。
清掃員ということから、中身はなんであれ不要になったゴミなのだろう。
清掃員と黒いゴミ袋のことは早々に頭の中から消し去って、帰路に就いた。
ラボがある丘を下り、工業地帯に出る。そこから少し離れたところの住宅街を通り過ぎ、河川敷に出るころにはすっかり陽が落ちかけていた。
まだ夏の暑さは残るが、陽が沈む時刻は次第に早まっている。
夕日を反射しきらきらと輝く水面を眺めながら、自分のアパートへと向かった。
途中、橋の付近で数人の浮浪者を見つけた。彼らは俺がこの街に来る前からここにいて、俺がいようといまいと変わらない毎日を送るのだろう。
俺と彼らはねじれの位置にいるのだ。決して関わることはない。
先月借りたばかりのアパートに戻ると、今朝家を出たときから何の変りもない部屋の様子に安堵した。
階段を登れば台所があり、今朝食べた朝食の食器とマグカップが水に浸かっている。
扉を開ければ、広くはないが狭くもないちょうどいい広さのワンルームが広がっている。
ベッド、机、ビーズクッションと本棚代わりのカラーボックス。
ただ一つ、ミミのないネズミのぬいぐるみだけが異質な空気を纏っていたが、それ以外は全て、俺が俺として生きていくのに必要な最低限のものだけで構成されている。
通勤用の鞄を置いて、ベッドに倒れこむ。
夏用のシーツは最初ひんやりとして気持ちよかったが、それもすぐにぬるくなっていく。
当たり前のことが当たり前のようにそこにある。当たり前のことしか起こらない部屋。
すっかり力が抜けてしまった俺は、着替えもしないまま、疲労に誘われるまま眠りに落ちていった。
なぁんと、第一章が完結しました。やった~!
なんかずっとお仕事してますね。頑張れ社会人たち。
ちなみに作者が一番好きなのは司書と田島ですね。彼らの対立について、いつか深堀したいものです……




