第六話 MIMOID
昼休みが終わり、俺たちは文書管理室へと戻ってきた。
休憩に入る時も思ったのだが、トラップがないだけで移動はとてもスムーズだった。
最短ルートを通れるというだけで、こんなにも快適なものかと感心するほどだ。
司書は休憩前と変わらない姿勢でPC画面を見つめていた。
お互い特に挨拶もなく、俺たちは仕事に戻った。
まだぎくしゃくしてしまう俺とは違って、C君は慣れた様子でPCを操作している。
さすがは先輩だなと感心しながらも、彼の内心もまた、俺と同じでぎくしゃくしたままなのかもしれないな、とも感じていた。
人は本当には慣れていなくても、慣れているように振舞えるのかもしれない。
俺も、C君と並んでPCを操作し、BLESSを監視するためのDr.Sシステムを開きいてログインを済ませた。
BLESSの値に大きな変化こそ見られないものの、0と1の切り替わりや、桁数に若干の増加が見られる。
「あ、また動いてる……」
C君の呟きを聞きながら観察してみると、数字の切り替わりに合わせて球体の表面にはさざ波が立っているのが見て取れた。
波が全体に伝わっていく様子を見つめていると、胸の内が空っぽになるような感覚があった。
雑音が消えて、妙にすっきりとしたような感覚。
すると、球体は一瞬、大きく膨らんでしぼむような……それこそ呼吸をしているかのような動きを見せた。
「ん、異常はなさそう。書類の整理、がんばろう!」
C君に声をかけられ、現実に引き戻される。
目の錯覚だったのか、BLESSの青白い球体の表面はなだらかで、その大きさも変化はないようだった。
胸につかえるような感覚を残しながらも、C君とともに書類の整理を再開した。
仕事をしていてわかったことは、文書管理室に立ち入る人間はとても多いということだった。
そして、書類を持ってやってくる彼らは総じて、ノックをせずに入室してくる。
扉に貼られていたあの注意書きは、既に形骸化しているようだった。
持ち込まれる書類は二種類に分けられる。
ファイリング待ちの書類と、司書による編集が必要な書類だ。
前者は既にある紙の山のどこかに積まれ、後者は直接、司書のデスクに提出される。
整理とファイリングが必要な書類は明らかに作業が追い付いていないのだが、業務に支障はないのだろうか。
支障があるのなら急がなければならないし、そうでないなら、わざわざ時間をかけて整理する理由がわからない。
昼休み、C君と話していた内容についてもう一度考えていた。
手間がかかるだけの仕事であれば、市販のアンドロイドにやらせる方が早い、というのが常識になりつつあるのが現代だ。
紛らわしい識別番号やロット番号なんかも読み間違えることなく整理できて、人の手でやるよりずっと、時間もミスも削減できる。
ましてここは、アンドロイドの中でも唯一無二の性能だと謳われるMIMOIDの研究施設だ。
導入するのも運用するのも、難しいことではないだろう。
「あの、司書さん。この作業、MIMOに手伝わせたら早いんじゃないですか?」
「うん、普通のアンドロイドなら早いでしょうね。ビビさんはMIMOIDについてどの程度知っていますか?」
「対人目的で作られている、とは聞いた事があります。アンドロイドの中では一番人間に近いとか……でも、アンドロイドであることには変わりないじゃないですか。人間よりも、こういった作業は得意そうに思いますけど」
「皆さんよく誤解されるところですね。彼らの情報処理能力は一般的な人間と同等か、少し低いくらいなんですよ」
予想を大きく下回る性能に、思わず顔をしかめた。が、妙な納得感も感じていた。
サキコの言動を思い返してみれば、とても利口そうには思えないし、わざとかと疑うほどのポンコツ仕様となっていた。
彼女が倒したパイプ椅子や半開きの扉が思い出される。多少、他のアンドロイドに比べてお喋りが人間らしいね、と言える程度のものでしかない。
MIMOIDの開発には各先進国からの莫大な支援がなされている、なんて噂もあるが、彼らは人間以下の存在に何を求めているのだろうか。
そんなものにお金をかける位なら、他にもっと便利な道具がいくらでも作れるはずだ。
わざわざ人間のまがい物を作るというのは、所詮は金持ちの道楽で、これといって意味はないのかもしれない。
「人類は完璧な奴隷を手に入れた……」
「確かに、そうとも言われていますね」
司書は穏やかな声で返答した。ただ事実を肯定するだけの、何の感情も読み取れない声色だった。
「なら、なおのことMIMOIDに任せてみては?」
「所長曰く、そんなことのために作ったわけじゃない、だそうです」
どうやら所長にとっては、人間よりもMIMOIDの方が可愛いらしい。
彼からすれば人間の方が玩具のようなもので、トラップだらけのラボは実験施設を兼ねた飼育カゴだと考えているのかもしれない。
そう考えると、様々な試験を強いられる実験動物にでもなったような気分だ。
「世間とは真逆の場所なんですね」
「少し違います。所長にとっては世界のすべてが観測対象ですから」
観測対象、という言葉にはどうにも嫌な響きが含まれていた。
このラボにいる限り、自分の言動のすべて、内面のすべてを誰かに見張られているかのような。
午前中に感じていた確かな居心地の良さは、またしても嫌悪と不快に変わってしまった。
司書は手に持っていた書類の端を整えると、それをクリアファイルに入れて俺を呼んだ。
狭い部屋の中を回って司書のもとまで行くと、彼はそのファイルを品質保証室に届けるようにと言いつけた。
「気分転換にもなるでしょう。昼休みと違ってトラップが動いていますから、職員手帳を見ながら行ってきてください。急ぎではありませんから、ゆっくりで大丈夫ですよ」
「……わかりました。行ってきます」
余計なことを話して、休憩が明けたばかりだというのに追い出されたような気分になった。
納得のいかないことだらけだが、今はこれ以上食い下がる言葉もない。
司書が言うとおり、気分転換だと思い直すことにして、手帳を片手にトラップ位置を確認しながら品質保証室を目指した。




