第五話 昼休み
十二時を告げるチャイムが鳴ると、俺とC君は弁当箱をもって文書管理室を出た。BLESSの監視は二十四時間体制で、当然誰かが残らなければならないのだが、その役目は司書自らが担っているそうだ。
自分たちだけ文書管理の外に出るのは気が引けたが、いつものことですからと、半ば追い出されるようにして部屋を出ることになった。
「なんか、最近は昼休み忙しいみたいでさ。ぎりぎりまで外で時間つぶしておこう」
それは昼休みというのだろうか。司書はあの部屋に残って、たった一時間という短い時間で何をしているのだろう。不正の件もあり、俺達には見せられないような逸脱を犯しているのでは、と不安になる。しかし、それならそれであの部屋にとどまるのは危険だ。知らないことは罪だというが、知らないことで免れる罪もあるはずだ。C君に話してみると、彼もおおむね賛成とのことだった。
「ま、司書さんのおかげで俺たちはゆっくり休憩取れるし、司書さんは司書さんでやりたいことやってるから。いいんだよ、これで」
階段を下りきって右に曲がると、その先は中庭となっているらしかった。ラボには食堂もあるのだが、中庭も気になっていたから付き合ってくれ、というC君からのお誘いだった。
白い窓枠のガラスの扉は、まるで異世界にでも通じているかのような眩さだった。無機質なラボには似合わない、明らかに異質なその扉を抜けると、赤レンガの柱が連なる外通路に囲まれた、芝生の中庭が広がっていた。通路にはベンチが設置され、休憩するには最適な場所のようだ。決して広いわけではないのだが、がらりと雰囲気が変わり、思わずため息が出た。
早速ベンチに向かおうとすると、白衣の袖をぐっと掴まれ立ち止まった。C君が柱の陰に隠れながら、戻ってきて、と手をこまねいている。
「何?どうしたの?」
「あ、あれ見て……」
C君と同じ柱に隠れながら、彼が指さした方向を見る。くの字に曲がった通路の先の扉から、見覚えのある男が銀のバケツを持って出てくるところだった。あの背の高さ、間違いない。先ほど文書管理室に乗り込んできた田島だ。まだ暑い季節だというのに、彼は青みがかったスーツを着込んだまま、陽だまりの中へと向かっていく。
その田島のあとを、茶色くて四角っぽい生き物がトコトコ追いかけている。
「あ、チャッピーだ」
「チャッピー?」
「うん。ラボで飼ってるカピバラだよ」
「カピバラ?!え、なんで?」
明るさに慣れない目をこすりながらもう一度目を凝らしてみると、それは確かに世界最大のげっ歯類、カピバラだった。ごわごわして硬そうな毛皮に覆われる姿は、たわしのようでもある。
のんびりとした顔つきの彼、もしくは彼女は時折鼻をフンと鳴らしながら、田島の足にじゃれつくように体をこすりつけている。
「ハムスターとか、ラットとか、色々飼ってる部署もあるって聞いたよ。ラボ中にげっ歯類がいるらしいんだけど……放し飼いになってるのはチャッピーくらいだから、他は見る機会もないかもね」
「……実験動物としてではなく?」
「うん。所長があちこちから拾ってくるらしいよ」
また、所長だ。トラップといいペットと言い、彼にとってラボはどういう場所なんだろうか。そもそも、『ネズミミ研究所』という名前や、ここで作られているMIMOIDのミミ、最終面接で拾ったネズミのぬいぐるみなど、彼は明らかにネズミという動物に執着している。
きゅるきゅると不思議な鳴き声と、田島がなにか呟く声が聞こえてきた。息をひそめて様子をうかがっていると、日当たりのいい芝生の真ん中に田島が座り、バケツの中からキャベツの葉を取り出してチャッピーに差し出していた。
「はは……美味いか、そうかそうか。たくさん食えよ……」
彼の背中は実際よりも小さく見えて、どこか哀愁が漂っている。俺とC君は顔を見合わせて、頷いた。詳しい事情はわからないが、これ以上、ここにいてはいけないような気がしていた。
「……食堂、行こうか」
「うん。そうしよう」
俺たちはそっと、物音を立てないように来た道を引き返し、ラボの中へと戻った。
食堂はラボの二階の大部屋だった。ちょっとしたホールといってもいい程の広さがあり、席数も十分に思われる。厨房とカウンターがあり、社食を頼むこともできるようだった。カレー、かつ丼、焼肉定食、うどんにそば。定番的な一通りのメニューが揃えられている。
いくら広いと言ってもたくさんの職員が集まっており、あちこちから談笑する声が聞こえてくる。すれ違った職員たちが俺を見ているような気がして、居心地の悪さを感じていた。実際「あの子か」と話す声も聞こえてきた。新人のうちはどこでもこんなものだと思うが、早く馴染んでしまいたい。
ちょうど二人掛けの席が空いていたので、座って弁当を広げた。田島とチャッピーに気を取られていたせいで、残り時間は少し短くなってしまった。
「どうだった?初仕事は」
「正直なところ、ちょっと地味というか……思ってたような仕事ではなかったかな」
今のところはまだ、居心地は案外悪くはないというのも事実だが、仕事の全容を掴めていないのも事実だ。仕事と言っても怪文書の仕分けとファイリング作業がメインでは、やりがいも何も感じられない。自分がした作業が、ラボにとってどのような価値があるのか、お金を生むのかも想像がつかない。単なる雑用作業に思えてならないのだ。
「まあ、そうだよねえ。最先端の技術とか何とか言ってるけど、生活感すごいし。やってることも意味不明だし」
「C君はもう結構慣れてそうだよね」
「あー、サキコさんにもそれ言われたことあるよ。適性があるんじゃない?とか」
サキコ、か。白髪の少女の形をしたMIMOIDのことだ。
ここはMIMOIDの研究施設というくらいだから彼女以外にもMIMOIDの姿があるものだと考えていたのだが、ラボの中で彼女以外の個体を見かけないことにも疑問を感じていた。
「意外と、人間ばっかりだよね。手作業多いし、今時アンドロイドに任せればいいような仕事も多い気がする」
「あ、ビビ君も思った?受付とかアンドロイドがやってくれるようなイメージがあるよね。そういう作品、昔はよくあったし」
「ちょっと楽しみにしてたんだけどな」
「な。俺さ、宙吊りにされてもまあ、何かすごい世界が待ってるんじゃないか?ってわくわくしてたんだよ。でもいざ通ってみたら、上司は怖いし、しょちょ……変な上司から好かれるし。トラップにも巻き込まれるし……」
喋りながら、C君の表情はどんどん暗くなっていった。彼の半年がどのようなものだったのか興味深いが、あまり聞かない方がいいのかもしれない。なんて声を掛けたらいいか悩んでいると、C君はいきなり顔を上げにっこりと引き攣った笑顔を見せた。
「まあでも!俺の場合それなりに手当てとかもらってるし!財布掴まれちゃって、辞められないんだけどな!」
そっか、と返事をしながら、心の中でこっそりと「ご愁傷様です」と呟き手を合わせた。
「ビビ君もきっとすぐ慣れるよ」
「……だといいな」
昼食用に作ってきたサンドイッチを頬張って、冷めてしまった缶ボトルのコーヒーを飲む。それで足りるの?と不思議がるC君の弁当はというと、大き目なタッパーに詰められたチャーハンと、空揚げと、卵焼き、青菜の炒め物といったところか。
「最近やたらお腹がすくんだよね……弁当箱じゃ足りなくなっちゃって」
と、C君は少し恥ずかしそうに笑っていた。




