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君のための世界  作者: 宇宙ネズミ
第四章 メイプルシロップ

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第三話 打ち明ける

「……来ちゃった」


そう言ってふにゃりと笑うE1-02の姿に、俺の頭は真っ白どころか散り散りに弾け飛んでしまった。家で着せていたTシャツから品のいいワンピースに着替え、髪もハーフツインにアレンジされている。E1-02の両隣にはサキコとマリアナが立っており、どちらもくどい程の笑顔を浮かべて俺を見ている。正面には黒いオーラをまとった司書と、ニヤニヤと笑う先輩達。

終わった。逃げ場、ナシ。

俺は潔く両手を上げた。


「……白状します」


◇


「一旦、話を整理しますね」


司書は絵に描いたような笑顔を浮かべたまま、ゆっくり丁寧に言葉を紡いでいく。が、表情はどこか引き攣っていて、手に持ったボールペンを何度も何度も適当な書類に打ち付けていた。

トン……トン……と、間隔を開けて硬い音が響く。打ち付けられた紙面には黒い点が斑に打たれ、それぞれが結合し、不規則な形の歪な染みを形成していた。


「まず、彼の身体は回収部門から持ち出されたE1-02で間違いないんですね?」

「はい……」

「持ち出したのはビビさん。あなたですか?」

「はい……」

「自宅に置いていたら何故か突然起動して、サキコとは別個体として振舞っている」

「はい……」

「自分が何をしているのか、わかっていますか?」


司書は、一際強くボールペンを叩きつけた。先端が歪むどころか、本体の軸が折れてしまいそうな勢いだった。


「……はい」

「何故起動したことを報告しなかったんです」

「司書、そこじゃない」


ぴしゃり、とマリアナに突っ込まれた。咳払いをして仕切り直す。


「あなたがやったことは犯罪行為です。法律だけじゃなく、倫理の面でも大きく逸脱している。本来ならここで処分、きつく処罰されてしかるべき場面です」

「承知しています」


重い沈黙が流れる。倫理面での大きな逸脱。理屈はわかっている。回収部門ではMIMOをただの物として扱っていない。人格の可能性を検討し、大事に扱う人たちの手の中から、盗み出した。それ即ち、死体の盗難に匹敵する行為だ。そこに、俺個人の思想なんて関係ない。


「なんで、ビビが怒られてるの?」


E1-02は、いまいち状況を理解できていない様子でマリアナに尋ねた。しかし彼女は、厳しい表情で静かに首を振るだけだった。


「……ビビさん。あなたと紛失したE1-02に対しては、所長からの”観測命令”が出ています」


司書は、さっきまで打点していた書類を表に返し、俺に差し出した。所長のサインと思われる文字の羅列が記載されたそれは、E1-02を持ち出した日の日付で作成された文書だった。


「これには、あなたの行動をただ観測し、非干渉を貫けと書かれています。観測命令は、ラボでは最上級にあたる命令なんですよ」


説明を聞いて、妙に納得した気分になった。考えてみれば、これまでお咎めの一つもなかったことの方が不自然なのだ。明らかに一線を超える場面は、これまでに何度もあった。少し調べれば証拠は充分に集まっただろう。


上層の決定により、マリアナは行動したくてもできなかった。司書もまた、情報統制に徹したのだろう。バレなかったのではない、泳がされ飼育されていただけだった。好奇心に招かれた猫は、まんまと鼠の餌になってしまった。


「組織全体であなたの行動を黙認していました。ですが、彼はここに来てしまった。僕らとしても対応せざるを得ないわけです。ここまではわかりますか?」

「はい」

「よろしい。そこで、今日はあなたに一つ提案があります。E1-02は回収部門で正式に引き取らせてください。あなたにとってもそれが良いのでは? 手に余っているでしょう?」


提案、というよりほとんど決定事項のような口ぶりだった。ただ一言で、すべて綺麗に収まってくれる夢のような状況だ。立場がどうだとか、今更心配するような内容ではない。ただ、目の前の大きな障害が一つ片付く。何の問題もない。


「預けたら、どうなりますか」

「研究対象として扱われます。前例のない事象ですから、丁重に扱いますよ」

「そうそう。僕も可愛がるよ、妹みたいなもんだしね」


しかし、紡ぐべき言葉が何一つ浮かんでこなかった。急なことで混乱しているからだろうか。たった一言でいいはずだ。言え。言ってしまえば全て終わるだろ。


「嫌だ!!」


沈黙を破ったのは、E1-02だった。


「ビビ、この人たち悪い人だ! 捕まっちゃった! 家に帰らなきゃ!」


振り返ると、せっかく綺麗にしてもらった髪を振り乱して、マリアナの拘束から逃れようともがくE1-02の姿が目に入った。


「帰っておりがみ教えてもらうの! 放して!」

「大人しくして、いい子だから」

「嫌だ!」


E1-02はマリアナの腕に噛みつき、拳で何度も叩き、暴れ続けた。その勢いに圧され、一瞬拘束が緩んだ。E1-02は腕から逃れるとマリアナを思い切り突き飛ばし、俺の腕にしがみつくように飛び込んできた。


違う。悪いのはマリアナじゃない、司書やサキコでもない。俺なんだよ。


「マリアナ!」

「わかってる!」


一瞬のことで、俺には何もわからなかった。気付くとE1-02は目を閉じて、床に崩れるように倒れていた。その向こう、マリアナが何かのリモコンのようなものを突き付けていた。


「司書、間に合った?」

「ええ、崩壊には至っていません。修正します」


キーボードを叩く音がする。カタカタ、カタ。


「処理は私とナノがやるよ。大人は大人の話進めたら?」

「仕方ないから働くよぉ、後輩のやらかしだもんね」

「……お願いします。頼みますね」


了解、と声が重なった後、キーボードの音が再開した。俺は、ただ突っ立って現実味のない文書管理室を眺めていた。


足元に転がる、停止したE1-02。冷たく乾いた無機質な物体。


司書とマリアナの言葉は聞き取れないほどに遠く、ぼやけて聞こえた。

耳鳴りがしている。

水の中にいるみたいだった。


ただ、サキコがいつもと変わらない笑顔で俺を見ていた。E1-02より少し濃くノイズ交じりの青色が、俺を見つめている。

うるさい。そんなに見るなよ。

全部俺のせいだってわかってるから。


「そんなに睨まないでよ。僕悪くないよ?」

「責めてない。悪いのは俺だろ」

「自覚あるんだ」


そんな会話をしたような気がする。でも、それが声に出して起きたことなのか、確証が持てなかった。


◇


E1-02の処遇は、休み明けまで保留という形で合意した。本人の強い要望により、今日は連れて帰ってもいいということになったのだ。意識の戻ったE1-02を連れ、ラボを出た。


いつの間に雨が降ったのか地面は黒く濡れていて、街灯をてらてらと反射している。見上げると、空もまだどんよりとした雲に覆われていた。


『明日からの休日、よく考えてきてください。何が最善か、良い答えを期待しています』


「しゃがむと洋服濡らすぞ」

「うん」


地面の反射光を触ろうとしゃがんだせいで、スカートの裾がやっぱり少し濡れていた。サキコに着せてもらったそうだが、後日きちんと洗濯して返さなければなるまい。なるべく、綺麗にしていてほしい。


「腹減ったな、何か買ってくか」

「ジャム!」

「買わない」


さっきまでただの人形に戻っていたとは思えないほど、E1-02の表情は豊かで、自由な振る舞いを見せている。物を考えるには、今は少し疲れすぎてしまった。憎たらしさも不快感も、まともに取り合うことができなかった。


「……ビビ、毎日あそこにいるの?」

「そうだよ」

「じゃあ、毎日意地悪されてるの?」

「それは違うよ。あとできちんと説明する」

「手、繋いでもいい?」

「どうぞ」


荷物を逆の手に持ち替えると、E1-02は小さな手で俺の手を取った。人形の癖に少し暖かくて、指先は少し濡れている。握り返すことはしなかったが、それでもE1-02は満足そうだった。


「マリアナとお姉ちゃんがね、こうしてたの」

「ふうん」

「このお洋服ね、お姉ちゃんのなんだって」

「そう」

「動きにくいからあんまり着ないんだって。くれるって」

「もらえないよ、新しい服買ったら洗って返すからな」

「靴もね、もらったの」

「借りてるだけだ。月曜には返すよ」

「ん。でも、二人ともちょっと怖かった。司書さんも」

「ああ……それは、俺が悪いことをしたからな」

「だから怒ってたの?」

「そう」

「だから、離れなきゃいけないの?」

「そう。でも、今日はこのまま帰れるから。帰って折り紙やるんだろ」

「うん」


E1-02の耳は力なく畳まれていた。どこまで理解しているのか定かではないが、どうせあとで全部説明しなくちゃならないことだ。とにかくお腹が空いている。

こいつも、家からここまで歩いて来た上に大暴れしたのだから、エネルギーが必要なはずだ。ただでさえ眠そうな目が、余計に重そうに見えた。


コンビニに、E1-02を連れて立ち寄った。目についたものを片っ端から籠に放る。菓子パン、割引のついたプリンやヨーグルト、チョコレート。

この時間、他の客はいなかった。初めて見る大量の食べ物に囲まれ、E1-02は興味深そうに棚を見て回った。大きなネズミミと奇抜な髪色にも関わらず、店員は淡々と会計の処理をこなしてくれて、ありがたかった。


帰宅してまず、玄関に鍵がかかっていないことに悲鳴をあげた。E1-02には鍵を持たせていないから、当然と言えば当然なのだが。E1-02も自分の失敗に気づいているようだから、もう、叱るのもやめにしてしまった。

テーブルの上にはやりかけのドリルや謎の三角形の折り紙が大量に置かれていたが、コンビニ袋から食べ物を取り出して並べた。スティックタイプのチョコチップパンを開けて、真ん中に置く。


「お前も食べろ」

「うん、いただきます」


味気ない素朴なパンだ。別に好きではないけど、一番安くて量がある。


「あのさ、俺がした悪いことの話、聞いてくれるか」

「うん」

「サキコっていただろ? あいつはお前と同じMIMOIDなんだけど、その身体を、ラボから勝手に持ち出したんだ」

「らぼ?」

「ネズミミ研究所」

「ん、さっきのとこだ」

「そう。で、盗んだ身体は家に置いてた。それがお前なんだよ。だから、ラボはお前を回収したがってる」

「泥棒したの?」

「そう」


ふうん、と小さく呟いて、E1-02はパタパタと足を動かした。


「でも、ここにいたいな」


いていいとも、悪いとも、言えなかった。それを決めるのは多分、俺じゃない。文書管理で司書やマリアナに囲われてから、ずっと、無力感を感じていた。何の権限もなく、力もなく、何かを決めることも、意思表明すらもままならない。


「食ったら折り紙やるか」

「うん」


折り紙、と言うとほんの少し、E1-02の声が明るくなったように聞こえた。こんなことで安心しようとしている自分が、どうしようもなく惨めだった。


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