第四話 お出かけ
◇L10年10月31日(土曜)
朝食のトーストには、たっぷりと蜂蜜をかけた。街へと外出するのに、エネルギー切れなんて起こされたらたまったもんじゃない。最悪、タブレットとやらを買えばいいとはわかっているのだが。
「ビビ!これ!美味しい!」
黄金色の蜜で手や口元を汚しながら、E1-02はここ一番の笑顔を見せた。
「よかったな。でももう少し綺麗に食べろよ」
「えへへ」
「ところで、一匹のミツバチが一生かけて集める蜜の量はスプーン一杯分らしいぞ。今、何匹分の蜂蜜を食べたんだろうな」
途端に、E1-02の顔が青ざめた。
さて、この時期はちょうどいい服装と言うものがどうにもわかりにくい。上着で調整するか、多少暑くても荷物を減らす方向で行くか……。
少し悩んで、やっぱり上着を着ることにした。E1-02にも、カーディガンを一着用意する。
「おい、出かけるから口元洗ってこい」
「うん……」
ミツバチの話がよほどショックだったのか、E1-02はまだ大きなミミをへにゃりと下げている。いつもならそれで良かったのだが、胸に何かがつかえているような気持になってしまった。せっかく楽になった呼吸が、また苦しくなってくる。
どうせ、休み明けにはマリアナに引き渡すことになっている。たかだか一週間、ここで過ごしただけだ。愛着なんてすぐに消える。
サキコから借りているワンピースに着替えさせると、その上に薄手のカーディガンを羽織らせた。色味が絶妙に合わないが、貸せるものが他になかった。寒色のレースっぽいさらりとした夏物のワンピースに、焦げ茶色のカーディガン。
「ビビ、これ動きにくい……」
「我慢しろ。半袖じゃ見てるこっちが寒いんだよ」
「うん……」
家を出て、駅までの道を歩く。いつもの河川敷。毎日見ているというのに、いつの間にかすっかり殺風景になったように感じられた。草は枯れて、白っぽい茶色の土手が広がっている。吹く風は冷たく、どこか悲しくなってくる景色だ。
E1-02は、俺のあとを歩きながらたびたび立ち止まり、何かを探すようにキョロキョロと見渡している。気にせず先を歩けば、E1-02ははぐれないように必死に追いかけてきた。
「ビビ、ビビ」
「何」
「友達がね、いないの」
あの黒猫のことだろうか。名前はツクダニ。
「大丈夫だろ。どこかの家でごはん貰うとか、上手に生き延びてるはずだ」
「ほんと?」
「ああ」
確か、あの猫を可愛がっている浮浪者がいたはずだ。あの男も見かけないが、温かいところに移動したのかもしれない。これからの季節、河原で過ごすのは猫にとっても人間にとってもあまりに過酷だ。どちらもきっと、過ごしやすい場所と新たな餌場を見つけている。
少し安心したのか、E1-02の表情がやわらいだ。
「ビビ、手繋いでもいい?」
「ダメ」
しょぼん、と少し俯きながら、それでもトコトコあとをついて来る。昨日は許したが、今日は許す理由がない。
駅に着くと、電車の切符を一人分購入する。MIMOやその他のアンドロイドは、荷物と言う扱いになるため切符を購入する必要はない当然だが、椅子に座らせることもできない。
離れないように言いつけて、改札を通る。いくら荷物扱いとはいえ、切符なしに通させることにはほんの少しの罪悪感が伴った。そのうち、アンドロイドにはアンドロイド用の切符などが始まるかもしれないな、などと考える。人間は罪悪感の扱い方もヘタクソで、不器用だから。
いつも通りエスカレーターに乗った。しかし、E1-02は初めて見るエスカレーターに困惑し、乗るタイミングを失って立ち止まる。
「避けて待ってろ」
「う、うん……」
一旦ホームに降りてから、反対側のエスカレーターに乗り込む。合流し、人の流れが落ち着くのを待ってから乗り方を教えようとして、少し困ったことになった。タイミングの言語化が難しく、結局、手を取って乗り込む羽目になってしまった。
「一回で覚えろよ?」
「うん」
なんとか、二列に並んで乗り込んだ。
エスカレーターは二列に並んで、立ち止まって移動しましょう。なんてポスターが貼られているにも関わらず、せっかちな人間は片側を歩いて進みたがる。
チッ、と舌打ちが聞こえて、一段降りてE1-02を右側に詰めさせた。
E1-02は不思議そうに、こてん、と首を傾げている。ホームに降りる際にも、手を引いて立ち止まらないように誘導する。小さな子供ならまだしも、エスカレーターや電車の乗り降りに一喜一憂する暇はないのだ。
「電車の中では静かにすること。いいか?」
「うん」
先頭の車両に乗り込み、運転席の近くに並んで立った。席はまばらに空いていたが、座る気にはなれなかった。
「……ねぇ、あのミミってさ」
「やめなよ、聞こえるよ」
若い女の声が聞こえてきて、振り向いた。制服を着た二人の女性がひそひそと話している。
「やべバレた」
「だから言ったじゃん」
二人は小突き合いながらくすくすと笑って、手元のスマホに目線を落とした。メッセージを送り合って話の続きを楽しんでいるのだろう。
E1-02のカーディガンを脱がせて、頭部に掛けた。移動中だけでも、隠しておきたくなったのだ。しかしE1-02は頬を膨らめて、これは嫌だと抵抗する。
「人目があるから、被ってろ」
「なんで?」
「なんでって、目立つだろ」
「なんで?」
E1-02のミミは、さっきの学生たちの方に向けられていた。被せたカーディガンを外すと、窮屈そうにパタパタ動かした。背後からは視線と、再び笑い声が聞こえてくる。
「お前も嫌だろ」
「ううん、平気」
「なんでだよ」
「私は変じゃないから」
言葉に詰まると、E1-02は車窓から外の景色を見るのに集中してしまった。静かになった車内に、アナウンスが流れる。
「次は……駅、……駅」
電車が止まる直前、さっきの学生たちが立ち上がった。
「……あの、MIMOちゃん可愛いですね」
「は?」
「ばいばい」
学生たちは電車を降りたあとも、E1-02に手を振って見送った。手を振り返しながら、E1-02はふにゃりと笑った。
「可愛いだって」
「うん……」
もしかしたら気を使ってくれたのかもしれない。真意は定かではないが、ほんの少し、毒気を抜かれたような気分だった。
「……座るか、空いてるし」
「うん」
あと二駅程度、席はがらんと空いている。別に、文句を言う人間もいないだろう。
くすんだ赤いシートに腰を下ろすと、足元に温かい暖房がかかっていた。E1-02はくすぐったいと笑って、足をぱたぱた動かしている。ゆっくりと流れる景色を見ていたら、コーヒーが飲みたくなってきた。緊張がほぐれて、少し眠気が出てきたせいかもしれない。
目的の駅で降りると、ハロウィン仕様の飾りつけやイベント情報の張り付けられた掲示板、店頭にはお菓子の詰め合わせが並んでいた。怪しげな音階のポップなBGMが流され、仮装した子供を連れた家族なども見受けられる。
そういえば、今日はハロウィン当日か。あまり遅くならないうちに帰らなければ。
E1-02を連れて、駅直結のショッピングセンターへと向かった。今日の目的はE1-02に着せるための服をワンセット購入することだ。そう時間のかかるイベントではない。と、思っていたのだが……
「これやだ」
「首がちくちくする」
「……動きにくい」
さまざまな理由をつけて、提案する服全てが却下されていく。Tシャツもワンピースも、文句なく着ていたはずなのに。一体どこから不満が出てくるというのか。知らないうちに、E1-02の中に拘りや価値観が生まれたみたいだった。なんて、考えついては否定を繰り返す。
「着られれば何でもいいだろ?」
「でも、嫌なんだもん……」
安い量販店から流行を取り入れたセレクトショップ、興味を示したプチプラブランドなど何店舗も見て回ったのだが、お気に召してもらえる服は一着も見つからなかった。半ば絶望しながら、休憩を挟もうとコーヒーショップを目指していると、隣で大きなミミがぴんと立てられた。
「あの服気になる!」
E1-02が指さした先には、優しい水色を基調とした外装の店舗が構えられていた。高級感のある白やアンティーク調のラックが並んだその店は、部屋着やパジャマの専門店のようだ。
一目見ただけで理解する。あの店はダメだ。見た目の可愛さに反して値段が最悪に可愛くない。そもそも今探しているのは普段着であって、部屋着じゃない。
制止する暇もなく、気付けばE1-02は店舗に向かってまっしぐらだった。
「いらっしゃいませ」
「お洋服、試着できますか」
「できますよ。こちらにどうぞ」
手触りのよさそうなルームウェアを手にとって、やや興奮気味に試着室へと向かっていった。いつの間にそんな対人スキルを……俺のやりとりを見て覚えたのか?
「彼氏さん……ですか?」
「あ、いえ……」
もこもこのパジャマを着た店員から慎重に声をかけられ、返答に困る。どう見てもMIMOと人間なのに……と考えたが、店員がつけた猫耳を見て気が付いた。今日はハロウィンだ。奇抜な髪色もネズミのミミも、仮装だと思われているのでは。そもそも、MIMOIDはまだ数が少なく流通量は限られている。本物のMIMOがその辺を歩いているなど、誰も思いはしないのだ。となると、俺は彼氏に見えるのだろうか。今朝の学生たちからも?
そう思うとなんだか恥ずかしくなって誤魔化し方を考えていると、C君とサキコの顔が浮かんだ。
「あ、兄……のようなものです。保護者というか」
「そうでしたか、失礼しました。今ご試着されてますから、よかったら見てあげてください」
「はい……」
店員は曇りのない笑顔を浮かべていたが、失敗だったかもしれないと不安が押し寄せる。素直に、あれはMIMOIDで、俺は預かっているだけですと、今からでも説明したくなってきた。が、今更言っても余計に意味が解らないし、混乱を招くだけだった。
逃げ場を失くし、試着室の前に案内される。普段なら絶対に立ち寄ることのない雰囲気が落ち着かず、そわそわと店内を見渡した。パジャマ、カーディガン、ルームウェア……優しい色合いに可愛らしいイラスト。ワンピースタイプのものもあるみたいだが、あれはE1-02には大人すぎる。
「ビビ、どう?」
不意にカーテンが開いた。E1-02は、薄いピンク色の生地にデフォルメされた恐竜の絵がプリントされた部屋着のセットアップに身を包んでいる。悔しいが、似合っていた。
「お似合いです~」
「えへへ」
「すみません、今日は部屋着じゃなくて普段着を見に来たんです」
断りのつもりだったのだが、店員は変わらず笑顔をだった。
「そうなんですね。この子も上に何か羽織ってあげれば、ちょっとしたお出かけには問題ないんですけど……」
「いえ、今回は試着だけで……」
「でもビビ、これちくちくしないよ。動きやすいし、これがいい」
見るからに肌触りはよさそうだ。それに、引き渡したあとのE1-02が外出するようなこともないだろう。ずっと室内で過ごすのなら部屋着は最適だろう、という考えが頭をよぎる。
「少し触ってみてください」
店員にも促され、E1-02が着ている服の袖に触れていて、後悔した。滑らかできめ細かい、柔らかな生地は上質なデザートのような感触がした。思わず感嘆の声を漏らすと、店員とE1-02にくすっと笑われてしまった。
葛藤しながら、とりあえず元の服に着替えるようにと指示を出す。その間に、値段の方を確認してもらった。
「一万五千円です」
わかっていたけれど、高い。高すぎる。でも、他の店はほぼ全滅だ。何着も買うわけじゃないのだからここで終わりにしてもいいだろうが、想定していた値段のはるか上を行っている。
似たようなデザインやコンセプトの部屋着なら、量販店にも売っていた。
が、手触りは雲泥の差だ。代替案を提示したところで、E1-02は納得しないだろう。無理やり納得させるのにかかる時間と、値段を天秤にかける。
「……わかりました、いただきます」
自分が欲しいくらいだが、この際仕方ない。お金を払ってでもここで終わりにすることを選択した。




