第十二話 ドーナツホール・後編
「じゃ、次の問題。変化がグラデーションならどうやろ?毎日すこ~しずつ変化したら、最初と最後は同じ人?」
「境界がないってことですか」
「そ。切断はしとらん。あくまで上にかかってるチョコがカラフルなグラデーションになってたらどうやろ?」
「時間の経過によってその本質が徐々に変わっていく……何というか、成長、に近いんでしょうか」
「けど、ウチが知ってるのは赤色やったのに、久々に会うたら黄色になってたんやで?」
「その場合、見た目の変化は関係ないんじゃないでしょうか。継続性のある連続した変化は、どんなものにも起こる当たり前の変化だと思います。その間に何が起きていたのか、それは他人からは見えない。だから突然変わったように見えるのに、地盤になる本質は地続きです」
ドーナツには境界がない。穴は開いていても、ただ一つの面によって成り立つ立体物だ。
どこまで行っても地続きなら、見た目がどれだけ変化しようと、この継続性が保たれている限りは同じ物だろう。
「……つまり、人を人たらしめるものは自分から見ても、他人から見ても継続性なのでは?きっと、赤色からどうやって黄色にたどり着いたのかを聞けば、地続きに感じられると思います」
「は~、なるほどなぁ……」
レオナは、俺たちを囲む巨大な光の天井を仰ぎ見た。内側からでも、BLESS球の表面にさざ波が立っているのが確認できる。
「白と黒は?」
「え?」
「極端な話、白と黒の本質は同じってことになるやろ。他のどの色もそうやね、全部が地続きの変化なら、どこまで変わっても変化していない、そういう話になる」
「それは……」
「なら、生まれたときから君は今の君と変わらんってことやろ?」
「ええと……多分、それは比較する距離が遠すぎます」
「距離?」
「昨日と今日を比べるのと、二十年前と今を比べるんじゃ変化の幅が違い過ぎるんですよ。その間にある情報量に、圧倒的な差が出てしまう」
かなり、頭の中が整理されてきた感覚がある。今なら確信を持てそうだ。
「なら、やっぱりその距離の最大値を取った時の両端は、本質的に同じだと言えるんかな」
「言えると思います。それこそ、ドーナツとマグカップが同じ形だからです。連続した変化を加えると、ドーナツはマグカップの形になる。だから本質的には同じ形といえる……そうですよね?」
「ン、トポロジーね。合っとるよ」
「……だから、色や見た目の形は関係ないんです。継続性が保たれている限り、その人はその人だと言えるはずです」
これで、結論が出た。レオナは口を閉ざし、目を瞑った。終わった。これ以上この場に疑問はない。凪いだ水面のような静けさを感じていた。
「……じゃあ、継続性って何やろ」
「は?」
「どうなったら継続していると言えるんやろ」
「この話、まだ続くんですか」
「もちろん。そのために来てもらったんやし、継続性の定義によっては、君が出した最初の答えを覆す可能性がある」
「どういうことですか?」
「切断前と後は明確に別人。君は最初にそう言い切ったけど、定義によっちゃぁ、継続性があれば同一だと言えるやん?」
「屁理屈だ。こんなの、答えが出るわけがない」
「だから、考え続けるために呼んだんよ。君も、嫌いじゃないんやろ」
レオナの言うとおり、致命的な穴となりうる隙だった。その穴の出現により、水面は再び波打ち始める。
「今のままでは美しくない。そう思わん?」
レオナが言うことは尤もだが、もう頭が限界だ。これは単に、理論練りを強制されているだけだ。
「時間がかかりすぎる。今日はもう、考えすぎて頭がおかしくなりそうだ」
「ええやん、この間は付き合うてくれたやん」
それは、考えるというより一方的に話を聞く側だったから長時間でも耐えられただけのことだ。それに、家にはE1-02がいる。あまり遅くまで放置していれば、何をしでかすかわかったもんじゃない。
「今は、それこそ状況が違うんです。帰らせてください」
空になった紙コップをデスクに置き、席を立つ。
「じゃあこれで最後にするから! 継続性の定義、ほんとにこれで最後やから! 後生だ旦那~!」
叫びながら、レオナはとんでもない瞬発力で俺の足を掴みに飛びかかってきた。引きずられながらも、彼女の手は異様なほど力強く足首を握りしめていて、思わず悲鳴をあげた。
「痛い痛い! わかりましたよ! 放してください!」
足を止めても、レオナはそのまま俺の足を抱え込んだまま目を潤ませて上目遣いに見上げてくる。
「ホントぉ? 絶対逃げへんって約束してくれる?」
「します! しますから離れてください!」
ぞわ、と悪寒が走った。ただでさえ寒い部屋なのに。
「あ。なんやその顔。失礼なやっちゃなぁ」
別に、レオナの年齢についてとやかく言うつもりはない。しかし自分より一応年上で、それなりにいい大人のはずなのだ。行動にもう少し、慎みを持っていただきたい。
淹れ直した温かいコーヒーに癒されたところで、俺とレオナは再び定位置へと戻った。
「で、継続性の定義、でしたっけ」
「そ。どう?」
今の騒動で思考が散らばってしまい、少し時間をかけながら言葉をまとめた。
「例えば、断面がぴったり一致したところで元通りくっつくわけじゃない。断面は断面のままです」
「うんうん」
「……けど、その切断も経験だと見ることができます。一致しない断面を持つドーナツと比べれば、継続性があると言えそうなんですよ」
「うーん」
「断面の一致する割合……でもそうなると、何を繋いでもどこかしらが一致するか、あり得ないだろうけど完全に一致する断面と出会う可能性はゼロじゃない」
「生地の材料なんかはどうやろ?同じ分量、同じロットから作られた生地なら成分的には全く同じになるやん?」
「それは、人間を構成する物質は何かって問いになっちゃいますよ」
「ああ、確かに」
手で円を作ってみる。指の長さは不揃いで、全ての指を繋ごうとすると円は醜く歪んでしまう。けれど、親指と中指だけを繋げれば、さっきよりは綺麗な円形へと近づいた。
何度か二つの円を見比べながら、思案する。
「完全に一致はしなくても、繋がりさえすれば穴は見えるようになります」
「そうやね」
「元通りじゃなくても、大まかな形としては似た形になる。けど、だから継続性があるとは言えないような気がして……」
親指と中指の円は、思い通りに切り離すことができる。断面は断面だ。見えなくても、存在する。
「じゃあ、繋がってるってどういうことやろ」
レオナは、俺と同じように手で円を作ったり、離したりして見せた。
「これは繋がってる。これは繋がっていない」
「……穴が、見えるか見えないか」
「かな。ウチもそんなとこ」
「けど、断面は消えてないんですよ。駄目だ、同じところを回ってる」
「整理してみよか。今、確かなことは?」
「それぞれの半円には継続性がある」
レオナは、半円を少し離したところで手を止めた。
「独立した二つの継続性」
呟いて、ゆっくりとその二つの半円を繋いだ。切断面は不揃いで、完全には一致しない。それでも穴は可視化された。もう一度手を離し、今度は角度を変えて手を近づける。九十度傾けられた指は、接することなくすれ違っていく。親指と人差し指の間の水かきが重なり、穴はできなかった。
あと一歩、ひらめきが足りないようなもどかしさだった。ドーナツホールは相対的に可視化される。つまり、他との関係の中にしか存在できないものだ。惑星の軌道に戸惑う、中世時代の天文学者になった気分だ。
「……他人から見て、二つの半円が繋がりさえすれば、断面がわからなければ継続性はあると言えてしまいます」
けれどそれは、見せかけ上の性質にすぎない。
「歪です。主体にとっては、閉じる場所がないんですから」
◇
「ああ、ダメや。バターになる。終わりや終わり!」
レオナが突然そう叫んだ頃には、連行されてから三時間以上もの時間が経過していた。あれから、二人でどれだけ頭をこねくり回したところで結論は出なかったのだ。同じ問題と仮説をぐるぐると回り続け、出口を見失ってしまったのだ。
辿り着けた事実としては、独立した継続性が二つ、繋がって見えてしまうことで疑似的な継続性を成してしまう、ということだった。それだけでも充分な成果と言えるのかもしれないが、どこか納得できないような、後味の悪い結果となってしまった。
「もし何かわかったら教えてな!ほな、気ぃつけて帰り」
「はい。お話ありがとうございました」
「ン、お疲れさん」
廊下に出ると、窓の外はもうすっかり暗くなっていた。家ではE1-02が待ちくたびれていることだろう。対策はしてきたが、ちゃんと遊んでいるだろうか。
鞄は、文書管理室に置きっぱなしだった。まだ、司書は残っているのだろうか。そろそろミハリやナノが来る頃だな、などと考えながら扉を開く。
「おや、お疲れ様です」
穏やかな司書の声に出迎えられ、俺は軽く会釈をして、硬直した。あまりに普段通りの声だったから、気付くのが少し遅れてしまった。
声は穏やか。表情も穏やか。なのにどこか、彼の周りに黒いオーラのようなものが揺らめいて見える……というのは比喩だが、はっきりと圧が感じられた。何かに怒っているような……
「ビビちお疲れー。先輩に挨拶はー?」
「ミ、ミハリ先輩、お疲れ様です……」
C君のデスクに両肘をついて、ミハリがニヤニヤと意地悪そうな顔で笑っている。俺の席にはナノが座っていて、携帯ゲームをポチポチ弄りながら、僕には~? と呟く。
「ナノ先輩も、お疲れ様です……」
正直今は先輩二人のご機嫌取りよりも、司書の様子の方が問題だった。彼は何も言わず、ニコニコと張り付けたような笑顔を浮かべている。
「あ、あの……荷物、取りに来たんですけど」
「そうですか」
司書はデスクの上で手を組んだまま、ジッと俺を見つめている。やっぱり、怒りの矛先は俺に向いているようだが、今のところは心当たりがない。
「あの、司書さん……何か怒ってます?」
「ええ、それはもう」
さぁっと、血の気が引いていくのを感じた。
「ビビ……」
その時、背後から聞こえるはずのない声が聞こえてきた。違う、気のせいだ。振り返っても、そこにいるのはあの生意気な……
「……来ちゃった」
白い髪に、水色のトロンとした瞳。へにゃりと曲がった大きなミミ。サキコではない。E1-02の姿があった。




