第七話 茶番とカピバラ
◇L10年10月29日(木曜)
朝、見送りに来たE1-02にもう一度、外にだけは出ないようにと伝えた。
昨日のように突然雨が降って壊れてしまうとか、悪者がやってきて連れ去られるかもしれないと、少し大げさに言って聞かせた。人格があるように振舞うのなら、脅しも通用すると睨んだのだが、効果は抜群だった。ミミをへにゃりと畳んで怯えている。いい気味だ。
今日から追加の課題として、家事を任せることにした。食器洗いと洗濯物、乾いたら取り込むこと、床の掃除機掛けなど、簡単なものだ。抵抗がないわけではないが、便利な家電だと思えばまだマシだった。
とはいえ、通勤時間も含めれば俺が家を空ける時間は長く、その間でこなすタスク量としてはまだ少ない。書くという行為は気に入ったようだから、字の練習をさせるのも手かもしれない。時間が潰せるものはもう少しあった方がいいだろうと、色々と思考を巡らせた。といっても、折り紙、積み木、ビー玉やおはじきにお手玉。その程度しか思い浮かぶ玩具はないのだが。
ふと、足元に黒い塊が横切った。昨日、E1-02が遊んでいたネコだった。ツンと気取った顔で優雅に道を横断していく。
「ツクダニ」
しゃがんで呼び掛けるも、彼はこちらを見向きもせずに草むらの中に飛び込んだ。彼はそのまま河川敷を下り、高架下に集まる浮浪者たちの元へ向かったようだった彼らに可愛がられている野良猫でもあるらしい。なんだか無性につまらない気持ちになった。
◇
朝礼の後、再び司書に呼び止められた。なんでも、BLESS中毒の再検査の日程が明日に決まったらしい。
「本当は一週間空けた方がいいんですが、BLESSの動きが活発になってきたので無理を言って早めてもらいました」
「助かります、俺も早く復帰したいので」
「ええ、頼りにしていますよ」
デスクに戻り、書類整理を始める。手に取った書類の一番上のタイトルは、夏祭り完全攻略ガイドとなっている。書かれた日付は今年の六月末ごろで、かなりの期間埋もれていたらしい。
この街から数駅先にある中華街で開催される七夕祭りに向けた内容になっており、飾りの見どころや屋台の並び予想、混雑予想、持ち物や注意点などがことこまかに記載されている。ガイドによれば、浴衣での参加は猛暑などを理由に推奨されていないようだ。
昔、何度か行ったことのある祭りだった。
催し物の内容や飾りつけの様子などは、記憶から大きく変わっていないようだった。大通り、赤ちょうちんに並んで吊り下げられた地面まで届く七夕飾りが思い出された風になびく紙のカーテンの中を何度もくぐりながら、飾りを見上げて何往復もしてへとへとになっていた。今思えば、それの何が面白かったのかはわからない。けれど、高い建物に囲まれ薄暗いいつもの街並みが少し明るくなったように思えて、飾りの隙間から見える空が白くて明るかったことを鮮明に覚えていた。
懐かしさを感じながら、夏祭り完全攻略ガイドをファイルに綴じる筆者は研究部門に所属するLv.3職員だった。彼のファイルには夏祭り以外にも、クリスマスマーケットの出店完走の記録、ハロウィンの人気コスプレ予想、コンビニスイーツ特集など、季節に応じたイベントを分析した自由研究が多く目についた。
司書とC君は、今日も昨日に引き続きBLESSの対応に追われていた。正確には異常を起こしたBRAINに対する処理作業だが、今日も立て続けに二回、三回とわかりやすく荒れている様子で、見つけた研究を共有できる空気ではなかった。
◇
「目がしょぼしょぼする……」
「頑張って、もう少しで中庭だから……」
九月も過ぎ去り、日中でもそれなりに過ごせる程度には気温も落ち着いてきていた。外気に触れ、凝り固まった身体を大きく伸ばす。ベンチに座ったC君はあまりにも遠くを見つめているので、今度は彼が中毒を起こすんじゃないかと不安がよぎった。
今日も、芝生の上でチャッピーが日向ぼっこをしている。田島はまだ来ていないようだ。
「チャッピー」
呼び掛けてみると、彼は耳をぱたりと動かしたが立ち上がる気は無いようだった。今朝のツクダニもそうだが、動物に無視されるのはどうにも堪える。
「よしなよ、田島さんに見つかったら面倒だよ……」
C君が掠れた声で呟いた。確かに今の状態で田島に会うのは危険だ。彼のおしゃべりに付き合うのもそうだが、彼がC君の顔を見れば間違いなく殴り込みに来るだろうそしてC君は文書管理から品質保証へと異動になり、残された俺は司書と二人BLESSの対応に追われることになるのだ。
そろそろ引き上げようかと弁当を持った時だった。もう一度、中庭に目を向けると、そこにチャッピーの姿はなかった。
「きゅう」チャッピーがC君を見上げていた。
「えっ」
「きゅるるる」
チャッピーは、ふす、と大きく鼻を鳴らしながら、C君の足に被さるようにして横たわった。
「チャッピー!!」
C君は静かに悲鳴をあげた。俺はなんとか立ち上がってもらおうと体に触れるが、分厚い毛皮がわずかに持ち上がるのみでびくともしない。というか、触るのが怖い。
「……ビビ君、行って」
「え?」
「ここは僕だけでいい、せめてビビ君だけでも食堂に行くんだ……」
「無理だ、そんなこと俺にはできない……ッ!」
俺は再び、チャッピーの背中に手を伸ばす……
その時、B棟の扉が開いた。餌の入ったバケツを持った田島だ。
彼は芝生にチャッピーがいないことに気づくと顔を上げ、俺とC君と、その足元に横たわるチャッピーを発見した。
「終わった……」
C君は真っ白に燃え尽きて呟いた。
◇
「お前たち、ここで何してんだ?」
バケツを持った田島が片眉を上げて不思議そうに尋ねてきた。C君の足元には相変わらずチャッピーが覆いかぶさっており、彼はそのままの姿勢で田島に向かって「ボフ」と聞いたことのない鳴き声で鳴いた。
「おう、今日も来たぞ。飯食うか」
「ボフ」
聞き間違いではなかったようで、チャッピーは再び変な声で鳴いた。大型犬の鳴き声のような、しかしどこか間の抜けた鳴き声だ。俺とC君は顔を見合わせる。
「で、お前ら何してんだ?」
「ええと……外の空気でも吸おうかなって……」
「そうか。まあ、気持ちいい場所だからな」
田島はバケツを地面に置くと、ラジオ体操のような大きな動作で身体を伸ばした。
「食堂じゃあんまり休めねぇだろ、ここで食ってけよ」
「は、はい……」
どちらかと言えば、田島がいる昼休みの方が気が休まらないのだが、俺たちは三人、渡り廊下のベンチに並んで昼食をとることになった。
狭いベンチに男が三人……と、大型げっ歯類が一頭。ここが日陰で、いくら過ごしやすくなってきたとはいえさすがに暑苦しい。
田島はやはり、C君の疲労具合を見て憤慨していた。
「司書の奴、うちの職員Cをなんだと思ってやがる!散々こき使ってくれやがったな」
「あの、俺文書管理です……」
「いや、お前は絶対うちが引き抜く」
「あの、C君が大変なのは俺がまだ作業に入れないってのもあるんで……」
「そうだ!お前倒れたんだってな。司書の奴、新人に無理させ過ぎてんだ。今度怒鳴りこみに行ってやる」
「絶ッッッ対にやめてください?!余計に大変なことになりますんで!!」
C君が叫び、俺も全力で頷いて見せたのだが、田島も引くつもりは無いようだ。
「なんでも我慢すりゃいいってもんじゃねぇんだよ。環境改善も品質活動の一環だから気にすんな、俺たちは嫌われてナンボな職種だからよ」
「いや、そういう話じゃなくて……かもしれないけど、わかんないけど……」
「いや、そういう話だ。昔から文書管理は人が定着しなくてな。定着しないってことは、職場環境に何らかの問題があるからだ。お前らの顔見てりゃ、どれだけ無理してるかすぐわかる」
「……あの、そもそも田島さんと司書さん、どうしてあんなに仲が悪いんですか?」
一つ、ずっと気になっていたことだった。書類のやり取りで顔を合わせるのも嫌がるほどで、会えば必ず喧嘩に発展し、毛繕い係による回収が必要になる。棚の張り紙とメモ合戦を見たときは微笑ましい、なんて思ったりもしたが、今思えば二人とも、直接話せばいい場面でもわざわざメモでやりとりをしていたのだ。大の大人が、だ。仲がいいわけがない。
「あー……その話か……」
田島は前傾姿勢をとり、手を組んだ。なんだかとても嫌な予感がする。
「あれは、俺が初めて奴の不正に気付いた時の話だ……」




