第五話 ネズミとネコ
◇L10年10月28日(水曜)
新しいノートと鉛筆をE1-02に与えた。アニメのプレイリストに収録されている話数には限りがある。
少しでも時間を稼ぎ、またコイツが何を考えているのか知る必要があるからだ。考えてみれば、E1-02との生活はMIMOを詳しく調べるための絶好のチャンスだった。
自宅に研究室を持ったと思えば、この機会を逃すわけにいかない。
「いいか、一話見たら話の内容と、お前が考えたことを書くんだ。それが今日の命令だ」
「うん、わかった!」
元気よく返事をして、E1-02は席に着いた。
ふと、それの服装が気になったが、深く考える前に頭の中から追い出した。みすぼらしく見えるのは、少しよれた服を着せているからだ。残念ながら俺に人形遊びの趣味はない。服を買い与える位なら、思い切ってコーヒーメーカーでも買った方が生活の質は格段に向上するだろう。
「じゃ、行ってきます」
「ん!」
俺が玄関に向かうと、E1-02はやはり俺のあとを追って来た。どうやら、俺を玄関まで送りだすのはコイツにとって大事な仕事の一環になっているようだ。
「ビビはいつもどこに行くの?」
「仕事だよ。しゃけおじさんはおにぎりを作って皆に配ってるだろ?そうやって誰かの役に立つことをして、お金をもらうのが仕事だ」
「ふうん?」
「じゃ、時間ないから」
「はぁい、いってらっしゃい!」
◇
昼休みがあけて、猛烈な眠気に襲われる時刻のことだった。文書管理室のブザーが鳴り、司書とC君は慌ててPCのミニターに噛り付く。きっとまたE1シリーズ、サキコだろうと思ったのだが、今日は様子が違った。
「特定しました!E65-1です」
「了解、そのままガラス化信号送信して」
「送信します……受信しました。ガラス化完了です」
短いやり取りの後、C君はふう、と息を吐く。俺のPCは電源すら点けておらず、状況は一切わからなかった管理画面から遮断するため、C君のモニター周りにはついたてが立てられていて、覗き見ることも叶わなかった。
「まだですよ、処理始めます」
司書は緊張した声でC君を叱咤し、高速でキーボードを叩く音が響いた。操作の様子はC君のモニターにも表示されているようで、彼の目は画面にくぎ付けになっている。
「早い……」
あっという間に処理を済ませると、司書はざっと内容を見直して頷いた。
「もう大丈夫です、職員C、解除信号を」
「あ、はい。解除信号送信……受信しました。解凍されます」
C君と司書は再び緊張した面持ちでモニターを見つめ、異状が起こらないことを確認する。
「……いいでしょう」
司書の呟きで、ようやく二人は深く息をついた。
「……珍しいですね。E1以外で起きたのは初めてじゃないですか?」
「ああ、そうですね。ビビ君は初めてですか」
頷くと、司書は大きく背伸びをして緊張をほぐす。
「再検査を急ぐよう、トンに言っておかないといけませんね。これから増えますよ」
「わかるんですか?」
「ええ、繁忙期です」
司書は詳しい説明をするつもりは無いようだった。この仕事に繁忙期も何もあるとは思えないが、司書が言った通りその日はもう三度、同じことが起こった。
異常をきたすのは毎度違う個体のようで、ブザーが鳴る度、文書管理室に緊張が走った。
終業後、司書は心配そうな顔をするC君を笑顔で見送った。俺もこれから帰宅というところだが、その前に一人残る司書のデスクに向かった
「司書さん、今いいですか」
「はい、構いませんよ」
司書はキーボードに手を置いたまま、画面を見つめたまま頷いた。画面が見えない位置に立ちながら、疑問を突き付ける。
「いつもここで処理しているのは、異状が起こったMIMOのBRAIN……ですよね」
「それを知ってどうするんです?」
「いえ、ただ考えていることを確かめたいだけです。どうするも何もないですよ」
司書は依然モニターを見つめたまま少し考えたのち、口を開いた。
「……いいでしょう、いずれ教えなければならないことです。あなたが言うとおり、ここで処理しているのはMIMOのメインプログラム、BRAINです。ガラス化信号はプログラムを凍結させる信号だと思っていただいて構いません。そこから手動で、プログラムが再開できる状態になるよう調整するのが文書管理の仕事です」
「何故わざわざそんなことを?」
「壊れてしまうのを防ぐためです。異常が起きたBRAINは、何もしなければそのまま自壊してしまいますので」
言いながら、司書は時折キーを叩いていた。報告書を作っているのか、今も、何らかの処理を続けているのか。この場所からは判断がつかなかった。
「……MIMOは、個体の死がそのまま全体の死につながります。終了の処理は適切に行う必要があるんです。そのための回収部門であり、文書管理室でもある。彼らとは仲良くやっていただきたいものですね」
司書がMIMOに対し死という生物的な表現を使ったことに驚いた。彼は元々言葉数の多い人ではなかったが、そのような言葉を使うのを聞いたのは初めてのことだった。司書はようやく顔を上げ、俺の顔を覗いた。
「回収部門に出入りしていると聞いています。マリアナとも、できる限り穏便にお願いしますね」
今更何を知られていても驚きはしないが、それでも彼女の名前を聞くとどきりと心臓が跳ねた。ラボは依然、失踪したサキコ個体について何の発表もしていない。マリアナの真意としては一刻も早く回収したいはずだ。
「……回収部門で聞きました。サキコさんの身体が一つ、無くなったそうですね」
「えぇ、盗まれたそうです。犯人や盗まれた身体はまだ見つかっていないそうですよ」
そういえば、と司書がわざとらしく考え込むポーズをとった。
「あなたのノートも破られたままでしたね。猫が一匹、紛れ込んでいるみたいです」
「二匹以上いるかもしれませんよ」
ラボらしい表現にふと笑みがこぼれ、俺はその比喩に乗った。E1-02を持ち出した俺は確かに猫だろうそれなら、俺のノートを破ったのもどこぞの猫の仕業だ。
「……そうですね。何にせよ、用心する必要がありそうです」
◇
帰宅すると、朝に見た通りの景色ではなくなっていた。洗い物も、ベッドも洗濯物も今朝見たままになっていたが、一番重要なものの姿が見えなかった。
E1-02の姿が消えている。荷物を置いて慌てて部屋を飛び出したが、それはすぐに見つかった。
猫の鳴き声と、はしゃいだ声がアパートの裏から聞こえてきて、声のする方に向かうと、駐車場の角でE1-02は野良猫と戯れていた。
「お前……」
「あ、ビビおかえり」
E1-02は悪びれる様子もなくふにゃりと笑ったが、その側で腹を見せていた痩せた黒猫は立ち上がり、俺に向かって短く威嚇したのち、枯れかけた草むらの中へと消えていった。
「あ。行っちゃった」
猫の消えた方角を見つめるE1-02の腕をつかみ、俺は無言のまま手を引いた。そのまま部屋の中に戻り、玄関に鍵をかけた。サイズの合わないぶかぶかの靴を脱がせ、リビングに引き上げる。
「なんで外にいた?」
強い口調にE1-02も気付いたのか、しょんぼりと俯いた。
「黙るな、説明しろ。今日やることは指示に出してあったよな」
「うん、けどおにぎりくんの動画、終わっちゃったから……」
ノートパソコンは長時間放置されていたようでスリープ状態になっていた。再起動し、動画サイトを確認する。確かに、プレイリスト内の動画は全て視聴済みになっている。
「勝手に外に出たら駄目だって、言ってあったよな?」
「うん……でも、どうして駄目なの?」
「お前がMIMOだからだよ」
正確に言えば、E1-02はラボから盗み出したMIMOで、通常の個体とも異なるからだ。当然、そんなことは説明するわけにはいかないし、するつもりもない。しかしE1-02はまだ納得がいかない様子で首を傾げ、俺の服の袖を掴んだ。上目遣いで覗き込むとろんとした目に、俺の顔が反射して映りこんでいた。
「MIMOとビビはどう違うの?」
咄嗟にE1-02の手を振り払い、掴まれていた部分を手で覆った。
「何もかもが違うじゃないか!俺は人間だ。お前の持ち主で、MIMOは持ち主の奴隷なんだよ。MIMOに何かを決める権利はない、自由もない。ただ言われたことだけをこなせばいい、それがお前らにとっても幸せなことなんだろ?」
そう捲し立てても、E1-02は怯えるどころかふと何かを思い出した様子で、ニコニコ笑いながら、胸に抱えていたノートと鉛筆を差し出した。鉛筆の芯は先が潰れていて、丸くなっても無理やり使用した痕跡が残っている。
「命令はちゃんとやったよ!」
俺はそのノートを受け取ると、中を確認することもなく床に放った。
「あっ」
E1-02がノートに向かって動き出そうとした瞬間、その頬を叩いた。
E1-02は呆然と立ち尽くし、叩かれた側の頬に手を添えた。
両耳にイヤホンを差し、適当な音楽を流す。鞄の中を整理して玄関に向かうと、E1-02は俺のあとを追いかけてきた。それは何かを繰り返し呟いていたが、聞こえてくることはなかった。




