第一話 出会う
「私の役割を設定してください」
『それ』はくり返し、俺に伝えてきた。それが何者なのか、どうして動いているのかわからないまま、俺はただ見つめる事しかできなかった。
こてん、と重そうな頭を傾げる。
何がそんなに疑問なんだ。聞きたい事があるのは俺の方だ。
「ふざけてるのか? ラボから持ち出したのは悪かったけど、なんでお前、動けるんだよ」
「ラボ……」
「お前、覚えてないのか?」
『それ』は少し考える動作をしたのち、ふと顔を上げた。その目が、何も映っていない空洞のように見えてぞっとした。
「頭部パーツに異常があります。クリーニングを行ってください」
「質問に答えろ。何か、覚えていることは?」
「えっと、ない……」
空洞の目はふと和らいで、淡く光が差した。さっきから表情や振る舞いが不安定で、受け答えもあやふやだ。敬語で話しているのは仕様上の定型文か何かだろうか。
記憶がないのは結構だが、だとしたら目の前にいるこれは何だ。元はサキコのはずなのに、見た目も振る舞いも、どう見ても同一個体ではなかった。
「……ねぇ、私の役割は」
「ない。そんなものはないよ」
大きくため息をついて、ひとまずはベッドに腰かけた。気分が悪い。役割だって?
俺は、動くMIMOIDなんて望んでいないんだ。死んでいたから持ち帰ったのに。
「……死ねよ」
「ええと……どうやったらいい?」
「……やっぱり、いい」
「じゃあ、名前」
「は?」
「名前を付けて」
「……考えておく」
名前をつけるということは、相手に居場所を与えるということになる。呼ぶ名前があれば、関係が成立する。名づけと言うのはそんなにいいものでも、神聖なものでもないのだ。
適当にあしらったつもりだったのに、『それ』は嬉しそうにふにゃっとした笑顔を見せて、俺の隣に座った。喋り、表情を変化させるたびに顔にこびりついていた硬化ジェルが割れ、ぽろぽろと落ちて床やベッドを汚していく。
「やめろ。座るなら床に座れ」
「うん」
言われた通りに座り直すと、何がそんなに嬉しいのか、頭の悪そうな笑顔を浮かべて俺をじっと見つめている。視線が鬱陶しくて、何か逃れる術を探して部屋を見渡した。さっき落としたペットボトルと、水溜りが目に留まる。
「暇なら掃除でもするか? 零した水、片づけろ」
「わかった」
座り直したばかりなのに、それは素直に立ち上がって嬉しそうに倒れたボトルに駆け寄っていくが、困った顔で振り返った。
「……あの。お掃除の道具、どこ」
頭を抱えた。
◇
まず、動いてしまったからには仕方がないと割り切ることにした。
だからと言ってラボに返却するわけにもいかないし、こっそりとでも申告できそうな相手は誰一人としていなかった。つまり、うちで匿うほかに選択肢がない。
次に、部屋に置いておく以上、俺の快適性を損なわないような工夫が必要になる。汚れた身体で歩かれて、あちこちにジェルをばらまかれてはたまらない。まずは奴が言っていた通り、クリーニング作業を行うことにした。
長いツインテールは袋に詰まっていた時の形状に曲がったまま硬化していて見苦しいし、特徴的な髪型のままでは一目でサキコだと気付かれてしまう。ということで、切ってしまうことにした。
椅子に座らせた『それ』の前に姿身を置き、髪切り鋏で毛束の片方を切り落とした。途端に、とろんとした目を見開いてきゃああと叫びだす。
「なんだよ、仕方ないだろ」
「わ、私の髪の毛……」
絶望し切った顔で放心している間に、俺はもう片方の毛束も切り落とした。これで、少しは洗いやすくなった。
「見ろ、毛先がかなり傷んでる。無理して洗ったりすると綿みたいになってたぞ。諦めろ」
「でも、でも……」
「大体、なんで髪がそんなに大事なんだよ」
「……わかんない」
わかんないのかよ。
レオナから聞いた話によると、MIMOのパーツ移植は前の持ち主の影響が発現することがあるとかなんとか。全身が中古個体のこれにも、サキコだったころの影響が出てもおかしくはないだろう。そう思うと、日ごろの憂さ晴らしの続きができたみたいでほんの少し気分がよかったが、鏡を見つめながら頭を左右に振ると何故か表情を明るくした。
「頭軽くなった。気に入ったかも」
なんて自由な奴だ。
首元には、よく見ると継ぎ目があるのが確認できた。顎と首の付け根と、植毛されたすぐ下を通って一周回っている。取り外せるのかもしれないが、分解して再度組み立てられるような技術も知識もないので、諦めた。
大きなネズミミは袋で覆い、継ぎ目はテープで養生を済ませ、風呂場に押し込んだ。
水を怖がるそいつを無理やり寝かせ、洗面器を使って洗髪を開始する。
塞いだから水は入ってこないと何度説明しても、死んじゃう! と喚き抵抗するので手を焼いたが、一度ぬるま湯に漬けてしまえば今度は心地よさそうに目を細めていた。ヘッドスパとは何ともいいご身分だ。
「だから、大丈夫だって言っただろ」
「えへへ……」
ドライヤーで髪を乾かしてやると、何も聞こえなくなった、と言い出し、壊れてしまったのではと慌てた。送風をやめると再び聞こえるようになったので、恐らくノイズキャンセル機能によるものと考えられる。耳元での騒音はミュート状態になってしまうようだ。
髪の根元は案外綺麗で、毛束交換などのメンテナンスはしなくてもよさそうだった。
乾かし終わると、さらに頭が楽になったと嬉しそうだったが、まだ仕上げを残している。
ゴミ袋を開いて敷いた上に椅子を置き直し、座らせて鋏を握る。と言っても、所詮は素人だ。前髪を揃える要領でまっすぐ切ることしか出来ないが。
人間とは違い、一度切れば伸びないから失敗はできない。緊張を感じながら、慎重に櫛を通し、鋏を入れた。
出来上がった髪型は、ふわふわとしたサキコの髪形とは打って変わり、ぱつんと切りそろえたシャープな印象で、案外悪くはなかった。
「どう?つっても、この髪形にしかできないけど」
「か……」
椅子に座ったまま、そいつは目を輝かせて俺を見上げた。
「かっこいい……!」
「そう」
髪を切り終わると、養生していたテープを剥がし、継ぎ目の確認を行った。ジェルがしみ込んでいたようだが、テープを剥がす際に一緒に剥がせてしまったようで、処理をする必要は無さそうだった。
不思議なことに、内部へのダメージには至っていない。
「何ともないのか?」
「うん、異常ないよ。どこも壊れてない」
尋ねると、へへん、と偉そうに腰に手を当てて答えた。謎は深まるばかりだ。今度、レオナあたりに訊いてみてもいいかもしれない。
回収部門は答えをくれないだろうし、彼女なら快く答えてくれそうな気がしていた。
サキコのトレードマークである紫パーカーを脱がせ、顔や体に付着したジェルも濡れタオルで拭き取って、俺のTシャツを着せておいた。
切った髪とパーカーなどは全てゴミ袋に詰め、口を結ぶ。
『それ』は、すっかり自分の変化を受け入れ、あんなに喚いていた髪にも執着はない様子だった。次のゴミの日にまとめて処分しても大丈夫そうだ。
「さて、この家で暮らす上でのルールを決めよう」
「ルール?」
「そう、まず……」
「役割!」
「だ、か、ら。役割はないし、名前もまだ考えてない。まずは俺の話を聞け、いいな?」
「ん」
「まず、お前ひとりで外に出るな。家の物を勝手に触るのも駄目だし、ベッドとクッションは俺のだ。お前には必要ない」
「うん」
ポンコツそうな振る舞いがどうにもサキコを連想させ、苛立ちが募った。かと思えば、ふにゃりとした笑顔は似ても似つかない。頭が混乱しかける。
これをどう扱ったらいいのか、俺はまだ掴み切れていないのだ。
「お前が何なのかも確かめなきゃいけない。それがわかったら、役割でも名前でも決めてやるから」
決めてやる、と聞くと、『それ』の表情がぱああと明るくなった。単純な性格をしている分、わかりやすくて助かる。
「……腹減ったな」
昨晩、食べてきたものはあらかた吐いてしまったようだし、朝からコイツの世話を焼いていたせいで何も食べられていなかった。
「私も……お腹空いた」
「それはどういう意味?充電が足りないってこと?」
こくん、と頷いてそいつは自分の腹に手を当てた。コイツに出会ってから何度目かもわからないため息をつきながら、二人分の食事の準備に取り掛かった。




