第十二話 ない
※暴力的な描写を含みます。
◇L10年10月24日(土曜)
司書に頼まれ、書類を運んでいる時だった。懐っこい声と態度で、あろうことかサキコが自ら駆け寄ってきた。
「ビビ!ドーナツ余ってなぁい?」
あれだけ無視してやったというのに、健気にも甘ったるい声と上目遣いで取り入ろうとしてくる姿に、呆れを通り越して感心していた。さすがはプログラムされた機械だ。
行動が一貫しているし、傷つくということが出来ないのだろう。
「もう全部食べましたよ」
「あれ?今日はお話してくれるの?」
「気分がいいので」
「え、きっも。ビビらしくない……」
思いがけない言葉に立ち止まり、サキコを見つめる。それはきょとんとわざとらしい表情を浮かべ、首を傾げている。
「今、なんて言った?」
「今日はお話してくれるの?」
さっきと全く同じ音声を再生するような声に、身震いする。
「そのあと」
サキコは途端に困ったような顔をした。何も言ってないけど、と言い淀む姿は、嘘を吐いているようにしか見えなかった。俺の耳にははっきりと、サキコの声が残っている。
「いや、言ったよな今。きもい、俺らしくないって」
「え、言ってないよ!ビビっぽくないなぁとは思ったけど、そういうこと人に向けて言っちゃいけないんだぞ!」
「確か、人間に危害を加えることはできないんだっけ?暴言もそこに含まれるのか?」
「そうだよ!だからそんなこと口が裂けても言わないんだから!」
「けど言っただろ、今」
「ちょっと、怖いよビビ……」
詰め寄ると、その分だけサキコも後ずさっていく。何かのストッパーが外れたみたいに、身体が自由に動く感覚があった。状況がよく見える。
ここには俺しかいないし、このエリアはトラップ用のダミー部屋が続いている。ちょっと騒いだところで、誰も来ない。
窓際まで追い詰めたところで、サキコは俯いてしまった。大きな耳が俺の胸に当たり、途端に、猛烈な嫌悪感が沸き上がる。
「気持ち悪いのはどっちだよ。何も感じないくせに生き物みたいに振舞って。今も傷ついたような顔をして、俺を責めてるのか?」
サキコは勢いよく首を横に振り、否定する。ノイズにまみれたそれの顔は、今にも泣きだしそうな表情をしていた。
「いいよな、そうやって被害者ぶっていれば馬鹿な人間が保護者になってくれるんだろ。かわいそうだって。俺がMIMOを虐める悪者扱いされるのをみて笑ってるんだろ」
「違う……」
「お前はそうやって俺のことを虐めているんだ。人間に危害を加えているんだ。おかしいな、MIMOにそんなことはできないはずなのに。お前も俺を人間じゃないって思うのか?」
「そんなこと言ってないよ」
「言葉で言わなくても、お前の振る舞いがそう言ってるんだよ」
言い終わると同時に、サキコは俺の横を無理やりすり抜け、走り出した。逃げ出したのだ。それはつまり、自分の非を認めたということだ。
長いツインテールが目に入った瞬間、俺は考える間もなくそれを掴んでいた。
「いッ」
髪を引っ張られ、サキコはバランスを崩し尻もちをついた。
「あーあ、かわいそう。今叫んでたけど痛いの?」
サキコは何も言わず、俺の手から逃れようと髪を引っ張っている。パッと手を放してやれば、それは自分の勢いに乗ってすっ転んでしまった。わかりやすく玩具のような挙動をするのが可笑しくて、愛らしささえ覚えてしまうほどだった。
本当に可哀そうなやつらだ。
「これ、田島さんまでお願い。手伝ってくれるんだろ、それが仕事だもんな」
司書から預かっていた書類のファイルを地べたに座り込んだままのサキコに押し付けると、それは力なくこくんと頷いて見せた。おかしいな。仕事ができて嬉しいんじゃないのか?
サキコは書類を持って立ち上がり、品質保証に向かった。
「給湯室にいるから。何か預かったら持ってきて」
聞いているのかいないのか、サキコは一度立ち止まった後、再びとぼとぼ歩きだした。
◇
田島からの書類を持って戻ってきたサキコは、既にいつものテンションに戻っていた。これだけ切り替えが早いのも、やはりこれは機械で、傷つく心がないことの証明だ。
「はい、これ田島からね。不思議がってたよー、ビビはどうしたんだって」
「誤魔化したよな?」
「うん。ドーナツ食べ過ぎてお腹痛いってことにしといた」
「なんでだよ。他に何かあるだろ」
「思いつかなかったんだよー」
けらけらと悪びれる様子もなく、おびえる様子もなく軽く笑っているサキコを見ていると、何度でも、やっぱりこれは生きていないんだと実感できて嬉しかった。
そうだ。これがポンコツなのも、生きていないから仕方がない仕様なのだ。そう思えた途端、サキコのこれまでの振る舞いの全てを許せるような気がしていた。
書類を受け取ると、コーヒーを飲み干して席を立つ。洗い物をするように命じれば、元気よく返事をしてすぐに取り掛かった。白衣を脱ぎ、長いパーカーの袖を捲って、コーヒーカップを洗い始めた。
やっぱり、仕事を与えられたら嬉しいんじゃないか。
なら、さっきは何故あんな表情で、あんな目で俺を見たのだろう。
それの後ろ姿を見ていると、ふと思い立った。洗い物はたった一つだ。迷っている時間などなかった。
サキコの後頭部を掴み、勢いよくシンクの中に押し込んだ。後頭部に流水が当たると、持っていたコーヒーカップを滑らせ、床に落とした。がしゃん、とカップが割れる音がした。
サキコは無抵抗のまましばらく震えたり痙攣していたが、強く抵抗することはできないようだった。
今騒げば、さっき言ったように俺が悪者として虐められるから、守ってくれているのだ。
MIMOは自己保存よりも人間の安全を優先する。黙って耐えることで、俺という人間を守るしかない。
作り物の髪も、ネズミのミミも、水をよく弾いていた。昔誰かが、捕まえたネズミは水につけて窒息させるのがいいと言っていたのを思い出した。確か、学校の理科室で。
サキコは一言も声を上げることなく、やがて力が抜けたように倒れ、ずるりと床に落ちた。
◇
「これ、田島さんからです」
「ご苦労様です」
表情一つ変えないまま書類を受け取ると、司書はすぐにPCのモニターへと視線を戻した。
「司書さん、FAIRYの記録を見てもいいですか」
「ああ、先ほどサキコさんと争ってましたね。その記録でいいですか?」
「はい」
今更、司書が知っていようといまいとどうでもいいことだった。FAIRYが記録しているのは会話の文字起こしレベルのもので、行動を監視するものではない。俺がサキコを破壊したことまではわからないだろう。
司書が印刷してくれたFAIRYの記録を受け取り、席に戻る。記録にはばっちり、あのやりとりが記されていた。
こうして読み返すと、俺は随分と支離滅裂なことを言っていたように思えて気恥ずかしい。でも、気分はすっきりしている。反省は次に生かすとして、肝心な部分を確認する。サキコが呟いていたあの言葉だ。
だが、何度確認してもFAIRYの記録には、どこにもその言葉が載っていなかった。記憶の中では確かに言っている、ハッキリと思い出せるのに、記録だけが抜け落ちている。
『あれ 今日はお話してくれるの』
『気分がいいので』
『今 なんて言った』
「司書さん、FAIRYの記録って修正できるんですか」
「できませんね。僕にもその権限はありません。何かおかしなところでも?」
「……ないんです。確かに覚えているのに、ハッキリ思い出せるのに、サキコさんの言葉が抜けているんです」
「そうですか」
司書はあっさりとした声で呟いて、すぐに仕事に戻ってしまった。
まるで、何も特別なことじゃないかのようだった。




