第十一話 いきもの
※本作はこの話以降、暴力的な描写、死体に関する描写、および精神的苦痛を伴う表現を含みます。
しーちゃんとは、一階に降りたところで別れた。サキコの回収で離れていた現場に戻るらしい。
C棟に入る時に使った搬入口を目指して歩いていると、クリーニングルームが目に留まった。電気も消えて、誰もいない部屋。しーちゃんが運び込んだ台車ごと、サキコの残骸が安置されているはずだ。
俺はこっそりと、クリーニングルームへと足を延ばした。
幸い、周りには誰もいなかった。
鍵のかかっていない不用心な扉を開けて、侵入する。遮光カーテンで遮られているようで、扉を閉めれば中は完全な暗闇となった。スマホを取り出してライトをつける。床に貼られたテープの囲いの中に、その台車は置かれていた。
黒い袋は絶縁仕様で耐火性も高く、くり返し使われるものらしい。袋は既に皺だらけで傷や伸びた痕があるが、破れてはいないらしい。固い結び目を開いて中を照らすと、サキコの明るい髪色がよく反射した。スマホを置き、袋の中へと手を伸ばす。
初めて、MIMOに触れた。
髪も肌も作り物で、いくら見た目や動作が人間にそっくりだと言っても、髪は一本一本が少し太く、肌も硬いシリコンでできていた。ネズミのミミは短い毛足の布で覆われている。無機質で、乾いていて、冷たくて、どうしようもないほど人工物であった。
MIMOの感触を確かめたその手で、俺は自分の髪に触れた。肌に触れた。耳に触れた。
俺は人間だった。
MIMOに比べ細い髪が高密度に生えていて、触れた肌はじんわりと汗ばんでいてやわらかい。
思わず笑みがこぼれた。ほら見ろ、やっぱりお前たちは生き物じゃない。
開けた袋の口をもう一度結び直した。スマホのライトを切り、袋を引きずって廊下に出る。
搬入口の前で靴を履き替え、外に出た。夕方の空は少し目を離すと、あっという間に表情を変化させている。
まだ明るかったはずの空が、夕焼けを過ぎ、もうすっかりと夜の支度を済ませていた。
◇
すれ違う人々が、怪訝そうな顔で俺を見ていた。
それはそうだろう、大きな黒いゴミ袋を担ぎながら、楽しそうににこにこと笑って家路を急ぐ俺は、誰がどう見ても不審な人物だ。アパートに帰ると、階段を登り、リビングへの扉を開け、今朝見た景色が変わっていないことを確かめた。
ベッド、机、ビーズのクッションと、本棚代わりのカラーボックス。そして、ミミのないネズミのぬいぐるみ。
すっかり汗だくになりながら、俺は持ち帰った袋の口を開け、中に手を入れ、触れた。
◇L10年10月23日(金曜)
いつもより、食欲があった。
朝はいつも牛乳やヨーグルトだけで済ませていたのだが、今日はどうにもお腹が空いて、貰ったドーナツを三つも平らげてしまった。しかし、朝も昼もずっとドーナツばかりの生活には少し飽きが感じられていた。
「せめて総菜系があればな」
昼休み、これで何個目になるかもわからないチョコレートドーナツとコーヒーを交互に口に運びながら、同じくドーナツを食べるC君に愚痴をこぼした。
「サム君、いつも甘いやつしか買ってこないんだよね……甘党なんだよ。ビビ君ともいい勝負なんじゃない?」
「いや、さすがにそろそろ飽きてきた。焼肉行きたい」
「今日のビビ君、元気だね。今度食べに行く?それこそほら、例の七不思議の件も話したいし」
「いいね。行こうよ」
明日、C君と焼き肉に行く約束を取り付けて仕事に戻った。昨日、C棟のクリーニングルームを出てから、ずっと気分がよかった。胸につかえていたものが綺麗に取り去られたようにすがすがしい気持ちでいっぱいだった。
昨晩、俺はサキコの身体を家に持ち帰った。持ち帰らずにはいられなかった。
大事件が起きたというのに、今日のラボでは大した騒ぎになっていないようだった。C君も、司書も、田島も、食堂のおばちゃんも、すれ違う清掃部隊のおばちゃんたちでさえ、普段通りの様子で仕事をしていた。
今朝、サキコが何事もなかったように稼働しているのを見た。
アレは壊れた自分の身体をどんな風に考えるのだろう。
BLESSのログや現在稼働中の個体の番号を見れば、昨日壊れたサキコはすぐに特定ができた。E1-02。それがあの個体の名前だった。
俺の心は、すっかりMIMOに奪われていた。いや、最初からそうだった。
だからこのラボに潜入したんだ。一度触れてしまったら、溢れる好奇心は止めることが出来なかった。
MIMOの壊れた身体は、修理をすれば動くようになるのだろうか。一度死んだら終わりの人間とは違い、彼らは修理すれば何度でも動き、生命であるかのように振舞うのだろうか。
なんてよくできた玩具だろう。
終業後、俺は再び回収部門を訪ねていた。昨日、ここで彼らの大事な死体が一つ消えたというのに、相変わらず不用心にも鍵はかかっておらず、クリーニングルームの電気も消えていた。
俺はそのまま少し、C棟の中を歩いて回ってみた。職員たちの顔に見覚えはなかった。
C棟には社食こそ提供されていないものの、食堂や休憩スペースが用意されているから、わざわざA棟に顔を出す機会も限られているのだろう。
「あらま、今日も来たの?」
「お疲れ様です」
しーちゃんは、休憩所を掃除をしているところだった。
「よく一人でここまで来れたわね」
「悪いことはしてませんから」
「で、今日はどうしたの?」
しーちゃんはテーブルを拭きながら、穏やかな声で訊ねてきた。何でもない世間話をするようなトーンで、安心感のある声だった。
「昨日のサキコさん、どうなりました?」
「ああ、簡単な処理で済んだみたいねぇ。修理も終わって、今は予備の身体として保管されているはずよ。倉庫にあるはずだけど……見に行く?」
わかりやすい嘘だった。そこにE1-02が保管されているはずがない。
「いえ、大丈夫です」
「そう。気を付けて帰ってね、今日は送れないけどまっすぐ帰るのよ」
「はい。ありがとうございます」
礼を言い、早速休憩室を後にする。背後でしーちゃんが何か呟いていたようだが、聞き取ることはできなかった。
俺が向かう先は当然、サキコの身体が保管されているという倉庫だ。ただ、見るだけ。それだけなら付き添いもいらないだろう。
◇
不愛想な人形愛好家の女性は、倉庫の扉の前で俺を待っていたようだった。俺は彼女の姿に気づく、とすぐに目を伏せ、引き返した。
「清掃部隊から連絡が来ているわ。あなたね、昨晩サキコを盗んだのは」
マリアナは言いながら、立ち去ろうとする俺のあとを追いかけてきた。背の高い彼女の足はすぐに俺に追いつき、横に並んだ。
「盗まれたんですか?知りませんでした、騒ぎになっていなかったので」
「いい度胸ね。けど賢明じゃない。あなた、サキコの何が知りたいの?」
清掃部隊からの連絡というのは、間違いなくしーちゃんからの通報だろう。まっすぐ帰ること、それが今回の警告だったのだ。
下手を打った。清掃部隊は回収部門の所属だ。信用するべきじゃなかった。
「俺が知りたいのはMIMOのことです。個体についてはどうでもいい」
「同業のスパイかなにか?」
呆れたような声と冗談だった。この人も冗談を言うのかと苦笑が漏れる。
「だったら面白いですね、でも違いますよ」
肩を強く掴まれ、足を止める。怒ったマリアナから睨まれても、不思議と恐怖を感じることはなかった。
「ここは、あなたのような思想の人間が来ていい場所じゃないの。墓荒らしは許さないわ」
「墓ですって?あの袋が、あんなに無造作に置かれた台車の上がMIMOの墓なんですね」
そうだ。あれが所詮、物でしかないMIMOの墓だ。そして俺は、あれよりももっと酷い景色を知っている。
「うちにはうちのやり方があるの。あなたにどうこう言われる筋合いはない」
「玩具によくそこまで感情移入できますね。よっぽど豊かな心をお持ちのようです」
「そうね。けどあなたは違う」
「よく言われます。俺は人間じゃないって。でも、俺は確かに人間でした」
「サキコを返しなさい」
「俺じゃありません。何か証拠でも?」
彼女はさっき、「あなたね」と言っていた。その言い方から察するに、特に証拠という証拠はないのだろう。であれば、しらを切ればやりすごせるはずだ。
「手、離してください」
彼女の手を振りほどき、踵を返す。それ以上、彼女が追ってくることはなかった。
ビビを一人にするとろくなことがない……




