第十話 内緒
ラボは一瞬にして、甘い砂糖の香りに包まれた。食堂も、廊下も、どの部屋からも、砂糖の香りが充満している。
ドーナツを運んできた男はサムと名乗った。正式にはラボの職員ではないのだが、縁あってたびたびラボを訪れては大量のドーナツを配っているのだそうだ。
俺とC君は食堂で、既に十個以上のドーナツをぎちぎちに詰められた箱を受け取ったのだが、文書管理室に戻ると、デスク上のPCをわざわざ避けたところにドーナツコンテナが二段積まれていて、司書はひとり、ドーナツの個包装作業に追われていた。
「これ、全部でいくつあるんですか」
「コンテナ一つにつき百個前後でしょうか……クリーム系は消費を急がないといけませんね」
「えぇ……」
「司書さん、またコンテナのサイズ上がってません?」
「ええ。上がってますね」
どうやらこの甘味災害は、やってくる度に威力を増しているようだ。甘党を自覚している自分でも、こんなにも大量のドーナツに囲まれては嬉しいを通り越して恐怖さえ覚える。
「ビビ君わかった?食堂でもらったドーナツはボーナスだからね……」
「もっと早く逃げるべきだった……」
「さ、お喋りは構いませんが手伝ってください」
俺とC君は司書から食品用のビニール袋を受け取り、ドーナツの個包装作業を開始した。三人がかりでなんとか包装を終えると、司書はリモコン型の隠しボタンとやらを押した。俺とC君の背後にあった棚が音もなくスライドし、冷蔵庫が現れる。
「ミハリもナノも食べ盛りですからね。本当はバランスのいい食事を摂ってもらいたいんですけど」
ドーナツの大半は彼らの食事として消費されるようだ。保存の利くものを優先的に冷蔵、冷凍しておくためのものらしい。
「内緒ですよ。これは僕の私物ですから」
「あの、司書さんと先輩たちの関係って……?」
「それも内緒です」
また、司書に関する謎が一つ増えてしまった。そもそも、どう見てもまだ子供の彼らを夜勤として雇っているラボ自体も謎なのだが。確か、未成年や学生のアルバイトって、時間制限がなかったか?
とにかく、大量のドーナツはそのほとんどが冷凍庫へと収納され、空いたコンテナは回収を待つことになったのだった。
◇
終業後、受け取ったドーナツは一旦自分のロッカーに収納することにした。荷物をしまい、更衣室に設置されている長椅子に腰を下ろした。今日もC君はバイトで不在だが、一人でも探索は可能だ。
ちなみに、今日もあの壁に変化はなかった。所長に呼び掛けてもみたのだが反応はなく、不在だったのか居留守を使われたのかは不明だが、接触は果たせなかった。昨日レオナから聞いた話やBRAINについても聞きたかったのだが、致し方ない。
手帳を開き、今日の行き先を吟味する。最有力候補は回収部門だ。レオナを再び訪ねてもいいが、また昨日のような時間になっては堪らない。ドーナツの援護射撃にも遭遇する可能性がある。しばらくはナシだ。
回収部門のあるC棟は他のどの建物とも繋がっておらず、一度外に出て、それを取り囲むようにして作られた森の中を通る必要があった。森といっても車一台が通れるくらいの道はあり、ちょうどタイヤが通る場所を除いて背の低い草が生えていた。ここ数日は晴れだったのにもかかわらず、C棟へと向かう道はどこか湿っていて、歩くと土の香りがする。
C棟の前には駐車場があり、ワゴン車が何台か停められていた。ラボのマークと、ネズミミ研究所・回収部門という文字が書かれている。
建物を見上げていると、風が吹いて木々がざわめいた。どこか不気味な雰囲気に気圧され、左手が冷えた耳たぶをつまんでいた。C棟の玄関まで近づき、窓から中の様子を探ってみる。が、靴箱と更衣室への扉が見えるのみで、人の気配すらないようだった。
建物の裏手に回ってみると、搬入口と思われる大きな扉があった。シャッターは開かれ、扉にも鍵はかかっていないようだ。中は研究所というより、工場に近い内装となっている。靴を履き替えるブースの向こうに、防虫用のオレンジ色の仕切りが見える。
「あらぁ。新入りさんじゃない?」
突然、背後からおっとりとした声で話しかけられた。振り返ると、清掃部隊のしーちゃんが台車を持って、不思議そうに首をかしげていた。
「ええと、名前は確か……」
「ビビです」
「そうそう、ビビちゃん。どうしたの?何か用事?」
「ええと……」
言い淀んでいると、しーちゃんはとりあえず中に入る? と提案してくれたので、頷いた。台車を搬入し、自身の靴を履き替えた後、来客用の上履きを差し出してくれた。
「靴は空いてるところにしまっていいわよ」
「は、はい」
じゃあ行きましょうか、と歩き出したしーちゃんの台車には、いつか見たあの黒い袋……壊れたMIMOを入れたあの袋が積まれている。
「それ……サキコさんですか?」
「ああ……そうなのよ。可哀そうにねぇ、ついさっき、ジェルトラップで」
「そうですか」
「今日は見学?」
「ええ、どんなところか気になって」
「そう。ここは他の部門と違って厳しい場所だから、私から離れないようにね」
C棟の中は、やはり工場のようになっていて、ガラス張りの部屋の中には見慣れない機械が並び、あちこちで台車を転がす音が響いていた。しーちゃんはサキコの残骸を乗せたまま、クリーニングルームという部屋に向かった。名前の通り回収した個体の汚れを落とす部屋のようだが、今日の業務は終了し、職員は不在のようだった。
「ここはパートさんとか新入りの子が多くてね。みんな早く帰っちゃうのよ」
「清掃部隊の皆さんもかなり遅くまで残ってますよね」
「ふふ、こう見えて私たちも正社員なのよ」
「えっ」
「さ、どんどん行きましょう。一通り案内するわね」
不敵な笑みを浮かべるしーちゃんは、いつもの三人の中では一番若い。まーちゃんもまだ定年という歳ではなさそうだが、さっちゃんはどう見ても還暦をとっくに過ぎたおばあちゃんのようだ。彼女も正社員なのだろうか?フルタイム労働の上、残業までこなすには相当な体力がいる仕事のはずだ。
「さっちゃんねぇ、元気でしょう。確か今年で七十三だとか」
「お、お元気ですね……」
「ね。だから家の中でじっとしてるよりいいんでしょうね」
しーちゃんの案内で、俺たちは一階の工場エリアを見て回った。ここは回収したMIMOやメンテナンスに出されたMIMOを預かり、クリーニングや解体、修理などを行っている場所のようだ。
すれ違う職員に混ざり、病院の患者服のようなものに身を包んだMIMOIDの姿もあった。あちこちから漂う金属の焼けるような臭いに紛れて、微かにアンバーウッドの香りが蘇ったような気がした。
「あまり、楽しい場所ではないでしょう。上も見てみる?」
「……はい、お願いします」
二階と三階は打って変わり、事務的な業務が中心のようだった。随分と細かく班が分かれているようで、大きな事務所が数か所と、小さな部屋が乱立している。特定班、回収班、分析室、取調室なんて部屋もある。
「取調室って、一体何を?」
「さあ、相手はMIMOだったり人間だったりするみたいだけど、詳しい内容は分からないわね。ほら、あの奥が私たちの部屋よ」
しーちゃんが指した先には、清掃部隊待機室と書かれた札があった。見たところ、かなり大きな部屋が用意されている。
彼女の案内で中に入ると、真っ先に目に入ったのは複雑に入り組んだ何かの地図だった。白板に磁石で固定されており、随分と古いもののように見える。
「それは私たちが使う裏ルートよ」
「えっ、見ちゃっていいんですか」
「いいのいいの、見たところで覚えられないし、入り口がどこかもわからないでしょう?」
しーちゃんの言うとおり、地図は一見しただけではどれがどこに向かう道なのか、書かれた記号の意味や出入り口など、読み解くことは不可能のようだ。
「これ、全部覚えてるんですか」
「まさか。担当するエリアは覚えてるけど、他の場所は地図がないと歩けないわね」
しーちゃんは部屋のテーブルに置かれたお菓子箱の中からいくつかお菓子を拾うと、俺の手に乗せた。
「はい、お菓子。余ってるから持って行ってね」
受け取ったお菓子は煎餅のようで、甘味災害に対応して塩気のあるものを選んでくれたようだった。お菓子は白衣のポケットにしまい、しーちゃんが掃除道具を準備するのを見守った。
「さて、一階まで送るわね。その後は自分で帰れる?」
「はい」
装備を一新したしーちゃんとともに待機室をあとにした。
タイトルが内緒、ということで裏話をひとつ。
サムとレオナは血のつながりはないけど兄弟なんですねえ。それぞれ両親がいっぱいいます。
幼少期にみっちり姉弟関係を構築されているので、サムはずっとレオナのことが怖いみたいです。




