第二話 初心者心得
衝撃的な入所を果たしたのはいいものの、最初の数日はやれテストだの、やれ研修だの、連日仕事らしい仕事は一切触らせてもらえずにいた。前にいた場所では、拾われたその日から即戦力として働き詰めの日々を送っていたので、緩やかに過ぎていく時間に内心焦りが募っていた。
今も談話室などという小部屋に閉じ込められ、何もない白い壁を見つめているところだ。
暇。
圧倒的暇。
できることが何もなく、配布された社員証を弄ぶ。
俺の社員証には、『Lv.1(仮) ビビ』と書かれていて、入所日はあの最終面接の日付だった。謎のLという頭文字は、ラボ歴というこの研究所独自の表記らしい。L10年9月10日……この研究所は、創設から今年で十周年になる。
「ビビ、今日も忙しそうだな?」
半開きのドアから、銀髪の少女がひょっこりと顔をのぞかせていた。彼女は頭から生えた嘘みたいなネズミミをぴこん、と動かし、意地悪そうに笑っている。こいつは、研究所で使用されているMIMOIDだ。MIMOIDとは、この研究所が開発したアンドロイドの商品名で、一般的にはMIMOと呼ばれ親しまれている。
俺は、どうにもこのMIMOというものが苦手だ。
本物と見分けがつかないほど精巧に作られたボディと、まるで本当に生きているかのような振る舞い、話し方。それでいて、持ち主や利用者に対しては完璧に服従する。その存在に不快感を抱かずにはいられなかった。
「あー、また無視するんだ。いじわる」
返事もせず社員証を弄っていると、彼女は許可もなく堂々と部屋の中に入ってきて、向かいの席に座った。
「入っていいなんて言ってませんが」
「ダメとも言われてないもんね」
皮肉屋で揚げ足取り。これが彼女の得意技らしい。生意気な態度にも一々腹が立ちそうだが、物にあたっても仕方がない、と、堪えることにしている。ここは、人間側が一歩譲るべき場面だろう。
「確かにそうですね。せっかくなので何か頼まれてくれますか?」
まともに取り合うことはやめて、MIMOにはMIMOらしく仕事をしてもらうことにする。サキコはやはりMIMOらしく、大きな耳をぴんと立てて身を乗り出した。
「頼み事?なになに?」
彼らの存在意義なんて、所詮はこんなものである。仕事をするために作られ、人間に媚を売り、暇ができればこうしてすり寄ってくる。望みどおりに仕事を与えてやれば、喜んでそれを遂行する不自由な奴隷だ。
彼女の顔に走るノイズが、きらきらと光るエフェクトを思わせる。
「ここで待つように言われたのですが、アンさんが戻ってこないんです。様子を見てきてもらえますか?」
「任されり!」
意味不明な掛け声とともに、サキコはおもちゃのような敬礼をして談話室を飛び出していった。立ち上がる時の勢いのせいで倒れたパイプ椅子と、中途半端に開いた扉はそのままだった。
ため息とともに立ち上がり、椅子を直しにかかる。人間の手伝いをするための存在のくせして、わざわざ仕事を増やすなんてお粗末なことだ。
正直なところ、MIMOIDの何がすごいのか、何が便利なのかこれっぽちも理解できなかった。市販されている他社製品の方が、いくらか利口にさえ思える。
扉を閉め自分の席に戻っても、やはりすることがないので職員手帳とやらを開いた。掌程度の大きさでそこそこ厚みがあるのだが、こちらもまた、内容はほとんど理解できなかった。
初級心得がどうとか、ラボ七不思議とか、まるで中学生が考えた物語の設定資料のような怪文書で、どうにも痛々しく真面目に読む気にもならない。パラパラとページをめくってみても、ぎっしりと詰まった文字の羅列がブロック状に積み重なっている、としか思えなかった。
俺は、職員手帳を白衣のポケットに戻した。なんでも、この手帳は常に持ち歩く必要があるらしい。手が空いてしまった俺は、再び社員証を手に取った。使用されている写真は、最終面接で吊り上げられた際のものだった。逆さになった俺が無表情のままこちらを見つめている。せめて、あの時目を閉じていればよかった。目を見られたくないから伸ばした前髪も、しっかりと重力に従っている。
苛立ちを感じて、俺は自身の耳たぶをつまんだ。ひやりと冷たく、何とも言えない絶妙な柔らかさを感じていると少しだけ落ち着くようだった。
ふと、あの日声をかけてくれた眼鏡の青年を思い出した。名前や眼鏡以外の特徴などは忘れてしまったが、彼もまたこの施設のどこかに居るはずだ。あの時、好意的に接してもらえたのは少し嬉しかった。
こんこんとノックの音が響き、顔を上げた。
「お待たせしました、ビビさん」
色素の薄い髪を一つに束ね、おっとりとした顔つきの女性が入室し、俺の前に座った。彼女は、毛繕い係のアンという。面接などの採用試験での案内や、ここ数日間も世話になっており、その姿には安心感があった。
「さて、これから配属先への移動になるのですが……その前にいくつか、簡単な質問をしますね」
「あ、はい。なんでしょうか」
「ええと、サキコにはもうお会いしたみたいですね?」
「はい、会いましたね」
「どんな子でした?見た目とか印象とか、何でもいいですよ」
「そうですね。ニコニコしていて可愛らしい印象です。髪色とか目の色とか、まさにアンドロイドの女の子って感じですよね。彼女、頼んだらすぐ行動してくれるし、背も低くて小動物っぽくて、見ていると癒されます」
「顔についてはどう思いますか?」
「顔ですか?そうですね、大体中学とか高校生くらいの顔つきかなと思います。あと、何といっても目が大きいなと。結構目力ありますよね」
意図のわからない質問が続き、ほんの少しだけ不安が顔を出す。彼女の見た目が、いったい何だというのだろう?
アンは俺の回答をすべて記録に取っているようだが、今のところ大事なこととは思えない。
「そうですね。ところでビビさん、手帳は確認しました?」
俺の不安をよそに、アンは和やかに話を進める。
「一応、読んではいますが難しくて……」
「そうですか。では、以前一緒に確認した内容については……?」
「すみません、よく覚えてません」
言われてみれば、面接の後やこの研修期間の間にも手帳を確認していたような気がするが、頭の中には何一つ残っていなかった。
「ですよね、それじゃもう一度手帳を出してもらえますか?」
言われた通りに手帳を取り出し、指定されたページを開いた。
ラボ職員初級心得のページのようだ。
「ひとつずつ、読んでみてもらえますか?」
「は、はい。一、社員証と職員手帳は必ず持ち歩くこと。二、サキコの容姿に関して詳細な描写をしてはならない……あっ」
「気づきましたか?」
「いや、でも今訊かれたから……」
「ええ、訊きました。ですが心得に反していますから、答えないのが正解でしたね」
依然、和やかな笑顔を浮かべるアンだったが、胸の中にざらざらとした嫌な感覚がして舌を噛んだ。
「最後の項目も読んでもらえますか?」
「八、人間の職員及びあらゆる生命体、稼働中のMIMOID個体について言及する際、使用する三人称は生物学的性別、性自認を問わず、『彼』『彼ら』に統一すること……」
「そう。つまり、女の子に見えても人に話すとか記録につけるときは、彼って言わなきゃいけないのね」
「……何の意味があるんですか?」
「あら、質問なら何度も訊いたはずだけど?わからないところはないか、ってね」
「……すみませんでした」
つい、目をそらしながら頭を下げた。何が大事で何がそうではないか、なんて、最初から判別できるわけがない。長ったらしく説明がされていたとしても、結局自分が気を付けるべきことを拾って覚えられるわけがないのに、随分と意地の悪いテストをやらされた気分だった。
「細かいことは仕事をしながら覚えてもらいますが、ラボには特有のルールが多いので、心得だけでいいですから確認しておいてくださいね」
「わかりました」
結局、質問の答えは教えてもらえなかった上、何度も念を押されているようで少々気分が悪くなる。言われなくても、もう一通りは確認しようと思っていたのだがが……おとなしい見た目に反して、かなり気が強い女性なのかもしれない。
アンは、記録していた用紙を取り外し、ファイルに綴じる。用紙には、あらかじめ穴があけられていたようだ。
「はい、これ室長さんに渡してね」
受け取ったファイルの背表紙には、俺の名前が記載されている。もちろん、本名ではなくビビの名前だった。
「それじゃ行きましょうか」
アンはすぐに立ち上がり、椅子を丁寧に片づけて扉を開けた。ファイルの中身を確認する間もなく、退室を命じられる。
「これから向かうのは文書管理室。そこが、あなたの所属先です」




