第七話 研修後編
「ラボと回収部門はMIMOIDに対する考え方に違いがあるの」
マリアナはスクリーンの前に白板を持ち出してペンをとった。彼女はどう見ても日本人ではないようだが、お手本のような文字を書き記した。
『ラボの理念:わからないから、研究をする』
以前、あの怪しげなサーバールームで所長が言っていた内容だった。それを読んだ途端、胸が悪くなるようだった。これから話される内容は恐らく、俺にとって最も不快な内容になる。
「MIMOIDのことを、私たちはまだ何もわかっていない。身体の仕組みは説明できるし、製品として製造の手順も決まっているし、数は少ないけど実際に商品として売り出されてもいる。だけど彼らが実際には何を考え、どういったやり方で自分の行動を決めているのか、私たち人間と同様の心や感情を持つのか持たないのか、それらは解き明かされていないのよ」
俺は堪らず手を挙げた。マリアナがどうぞ、と片手を差し出すので、まだまとまり切らない言葉を急いで組み上げる。
「MIMOIDはもともと所長が作り出したものですよね。あの人ならわかるんじゃないですか? 理解できていないものは作れない。違いますか」
「色々と言いたいことはあるけど、まず一つ訂正しなさい。所長を人間として扱う表現は不適切よ」
確か、初心心得の一つに含まれていた。所長を人間扱いしてはならないとか、そんなような記述があったが、それが話の腰を折るほど大事なことだろうか。むしろ、人間扱いをされないことの方がよっぽど重大な問題だ。
「どうでもいいことです。この場に所長はいません」
「関係ないわ、ラボのルールよ。訂正しなさい」
マリアナは一歩も引かない姿勢を見せ、鋭い目で俺を睨みつけた。理由は不明だが、ラボとして譲れない舞台設定の一つなのだろう。
「……わかりました、訂正します。所長なら、MIMOIDがどうやって動いているのか説明できるんじゃないですか?」
言い直した後も、マリアナは数秒間冷たく睨みを利かせたのち、浅く頷いた。
「所長は確かにMIMOIDの基礎的なプログラムを一から作り上げたわ。けど、彼が作ったのはあくまで仕組みのみで、そこに何が発生するのかは予測の範囲外だった。だから作ることはできる、動作の確認もできる。けれどその外郭の中で起きていることまでは、直接観測することは出来ない。私たちは、直接観測が出来ないものを真実だと断定してはいけないの」
わかったかしら、と念を押すように言われ、アンと対峙した時のような居心地の悪さを覚えた。はい、と答えると、マリアナは再びペンを走らせる。
『回収部門の理念:わからないから、在るものとして扱う』
「これが私たち回収部門の理念です。MIMOはただ人間を模倣する機械なのか、はたまた感情を持ち実際に何かを感じているのか、それがわからないからこそ、在るものとして最期まで接する。MIMOの終わりを見届ける死神としての心構えよ」
マリアナは神妙な顔つきで言い切って、ペンを置いた。どうやら研修はここまでのようだ。
「さて、質問があれば答えるわ」
手を挙げかけて、やめた。つい昨日、所長と似たようなやり取りをしたばかりだ。マリアナから返ってくる答えも、焼きまわしたような返答に違いない。質問の代わりに立ち上がり、頭を下げる。
「質問はありません。ありがとうございました」
「あ、ありがとうございました」
俺に続いてC君も立ち上がり、礼をする。この場は解散となり、俺たちは文書管理室に戻ることになった。扉を開けると、白い何かが雪崩れるように倒れこみ派手な叫び声を上げた。
「うぎゃっ!」
どうやら扉に体重をかけ聞き耳を立てていたらしい、我らのお手伝いロボットがバランスを崩したようだ。
「あ、研修終わった?お片付け必要だなと思って待ってたんだけど」
「うん、今終わったよ」
床に座り込んだ邪魔な機械に、C君が手を差し伸べて答えた。サキコは立ち上がってお礼を言うと、マリアナに向かって駆け寄っていく。すると、研修の間一度も笑顔を見せることのなかったマリアナの表情がふと和らぎ、かすかだが微笑んでいるのが伺えた。冷たい深海のような瞳が、どこかあたたかな雰囲気を纏っている。
「ビビ君、忘れ物?」
人間よりも動物が好きな人間はごまんといる。
そして彼らが、人間よりも動物を大事に考えることと同じように、MIMOを特別扱いしたい人間もいるというだけのことだ。決して珍しい光景でも何でもない。分かり合えない人間なんてどこにでもいる。ただの事実に、露骨に触れてしまったに過ぎない。
「いや、なんでもない」
扉をそっと閉めて、数歩先で待っていてくれるC君のもとに急いだ。そしてふと、いつの間にか耳に添えていた手を下ろした。
◇
残りの仕事も終えて、司書に挨拶を済ませて文書管理室から退室した。その足で、例の壁へと向かってみる。扉が出現したその場所は、何の変哲もない壁にしか見えず、触れてみても、確かな硬い感触だけが返ってきた。昨日見たようなノイズやグリッチが現れる様子もない。どうやら、いつでも開かれている場所ではないようだ。
とはいえ、所長に会えたとしても、昨日以上の収穫は得られないだろう。
今俺がするべきことは、もっとMIMOIDについて知ることだ。知らなければ、会話や反論のとっかかりさえ得られないままだ。
定時を過ぎたラボのトラップは解除されている。探索にはもってこいの時間だ。振り返れば、夕焼け前の落ちかけた陽の光が廊下を照らしていた。しかし、廊下の向こうからある人物がこちらに向かってきていた。
「C君、忘れ物?」
「ううん、そうじゃないんだけど……ビビ君、このあと時間ある?」
◇
俺とC君は食堂に移動し、給湯器で水を汲んでいつもの席に座った。
「で、話って?」
「ええと……ビビ君ってさ、MIMO嫌いなの?」
あまりに直球な問いかけに面食らっていると、C君は慌てて付け足した。
「いや、だから何って話じゃないんだけど。今日の研修のビビ君、ちょっと怒ってるような気がしたし……サキコさんとも仲悪いのかなって気になってさ」
「まあ、隠すようなことじゃないけど……好きではないよ。機械なのに、変に特別扱いされてるのが違和感あるなってだけ」
「あー、なるほど……嫌いなら何かきっかけとか」
「ないよ」
割り込むように言ってしまい、後悔する。反射的に飛び出した言葉が、事実だと裏付けているようなものだった。
「そっか、まあうん、嫌いだったらそもそもラボに勤めたりしないよね。変なこと聞いてごめん」
「いや……こちらこそごめん、変な空気にさせて」
微妙な沈黙が流れ、気まずくて何度も紙コップを口に運んでしまう。
「あ、そういえばビビ君さ、あの壁やっぱり何かあるの?」
「え?」
「ほら、文書管理の隣。ビビ君も何か見たんでしょ」
さっき、壁に触れていたところを目撃されていたらしい。そしてそこに何かある、ということには、C君も気付いているらしかった。あの部屋の存在を彼に教えていいのか判断がつかず、返答に悩んでいると、C君の方から切り出してくれた。
「信じてもらえないかもしれないけど、俺、あの壁をすり抜ける所長を観ちゃってるんだよね……」
空調が効いているはずの食堂が、何故だかじわじわと暑くなってきたように感じた。
緊張から、身体が火照っているのだろう。
「……実は俺も、同じ光景を見たんだ。何かあるんだろうなって思ったんだけど、触っても普通の壁だったから不思議で」
「だ、だよね。よかった、俺の目がおかしかったわけじゃないんだ……」
「ま、いわゆるラボ七不思議ってやつだねッ」
突然、しゃがれた声に割り込まれ俺たちは悲鳴を上げた。食堂の入り口に、清掃部隊の女性が立っていた。確か名前は……
「さ、さっちゃんさん……脅かさないでくださいよ」
「脅かしてやろうと思ったわけじゃないよッ!今から掃除するんだからさっさと帰んなクソガキども!」
クワッ、と細い目を見開いて怒鳴られ、俺たちは慌てて荷物を持って立ち上がった。
「先にゴミ回収ッ!ほら、さっさと飲んじゃいな!」
残っていた水を急いで飲み干し、さっちゃんが広げたゴミ袋の中に入れさせてもらう。
「あ、あの、ラボ七不思議って……」
「アンタたちそんなことも知らないのかい」
ラボ七不思議、確かどこかで聞いた事があるような気がしていた。しかしその詳細も、どこで聞いたのかも定かではなかった。さっちゃんは大きくため息を吐くと、皺だらけの右手を突き出してきた。
「タバコ」
「え?」
「なきゃ金でいいよ」
「お金取るんですか」
「タダだと思ったのかい?失礼な子だねッ」
勢いに負けて、C君が鞄の中に手を入れて財布を探しだした。揶揄われているだけだよ、と小声で伝えると、さっちゃんはやはり意地悪そうに笑い始めた。
「おやおや、Cちゃんはやっぱり素直だねぇ」
「だってつい……」
「意地悪はこのくらいにしてやるかね。七不思議なら手帳に書いてあるよ。よぉく探しておくんだね」
フン、と勝ち誇ったように笑うと、さっちゃんは掃除の仕事に戻ったようだ。給水機の周りに設置されたゴミ袋の回収を始めていた。
「……邪魔しちゃうから、帰ろうか」
「そうだね」
お疲れ様です、と声をかけ、俺たちは食堂を出て解散した。
さっちゃんは見ての通り、近所のクソガキを怖がらせるのが趣味のおばあちゃんです。
怖い怪談話をたくさん知っています。




