第六話 研修前編
ラボの一日は朝礼から始まる。
三人がそろった時点で朝の挨拶、業務内容やイベントの確認をしてから業務に入る。
今日は予定通り、午後から回収部門での研修が行われるようだ。
俺とC君はそちらに参加するため文書管理を空けることになるが、その間の手伝いなどは来ないらしい。
「なんかビビ君、機嫌悪くない?」
BLESSの挙動を見ながらノートをとっていると、C君が不安げに俺の顔を覗き込んでいた。
「え、なんで?」
「いつもより顔が険しいから」
「それを言ったらC君だって、ちゃんと休めてるのか?目の下、クマになってる」
「あ、バレた?昨日あんまり眠れなくて……でも今日はバイトないから休めるし、大丈夫大丈夫」
会話はそこで終わった。
部屋の中が静かになると、昨日帰り際に司書と話したことが嫌でも思い出された。
なるべく報告書には触れないよう、BLESSの観察に集中する。
暫く観察を続けて気づいたのだが、0と1の切り替わりには、どこか不思議な一体感が感じられた。
絶対的な法則性がある、というわけではないのだが、動きに傾向があるような気がするのだ。
ある個所が切り替われば、連動して他の場所も切り替わる……上手く分析すれば掴めるかもしれない。
そのためにはもっとたくさんのデータと、分析のためのツールなどが必要になると思うのだが……残念なことに、俺にはその手の専門知識はなかった。
司書は、俺の様子など気に留めていないのか、それとも敢えて泳がせているのか、手が止まる時間が増えているにも拘らず注意の一言もなかった。
試しに、席を立って部屋の奥の棚に向かった。
文書管理室の棚は、決して整理されているとは言えなかった。
棚の中のファイルは順番が不規則で、どんな法則に従って収まっているのか、司書以外には不明のようだ。
棚の横に、司書の字で張り紙がされている。
『この棚はこれで正しい順番です。勝手に並べ替えないこと。司書』
随分と昔に貼られたもののようで、紙はやや変色し、ふちの部分も破れかかっているのを、セロハンテープで補修している。
張り紙の下には、こちらもまたテープで補強されながら、付箋のメモが連なっていた。
『せめてMIMOと人間は分けろ。層別。田島』
『層別の必要はない。何の問題もありません。司書』
『探しにくいから整えろって言ってんの。田島』
『なら声をかけてください。僕が取ります。司書』
『属人化。』
『僕は休みません。』
『仕事が好きだから。じゃねぇよ!』
やりとりのメモは目線付近から始まり、床近くまで続いているようだ。
下に行くに連れて、口調や文字が乱雑になっている……。
たまに思うのだが、司書と田島は案外仲がいいのではないだろうか。
メモの内容は次第にどうでもいい口論へと脱線して行ったため、途中で読むのを切り上げた。
棚の前に立ち、端から端までじっくりと背表紙を読んでいくと、俺の名前が目に留まった。
ファイルの中には、俺の履歴書や適性チェックのテストの結果、面接での評価などが挟まっていた。
……なぜか、履歴書は一度破られたような跡が残っている。
どきりと胸が痛むような気がして、ろくに確認もしないまま元の場所に差し込んだ。
少し離れたところに点々と、知っている名前も見て取れる。
C君や田島、司書の名前も見受けられたが、アンや所長の名前は無いようだ。
時間をかけて見て回ったのだが、やはり司書から注意はない。
俺はそこで確信する。
司書は今この時も、俺を観察しているのだ。
『好奇心は猫をも殺す』
ふと、お客様相談室のエレベーターで見た言葉を思い出した。
ここがネズミの巣窟なら、MIMO嫌いでありながら好奇心に駆られてやってきた俺は、確かに猫と呼ばれるのに相応しいのかもしれない。
だが、果たしてどちらが猫なのだろう。
好奇心、すなわち知性とは、誰もが持ち合わせているものだ。
探る側と、探られる側。
そして猫と鼠は、狩る側と狩られる側の関係でもある。
一通り棚を見て回った後、デスクに戻るとC君が慌ただしく書類整理に励んでいた。
あまりサボりすぎるのも申し訳なく思い、手伝うよ、と声をかけて作業に入った。
◇
午後、広めの会議室に案内された俺たちは、回収部門の主任が到着するのを待った。
既にスクリーンが張られており、プロジェクターやPCが用意されている。
昼休みの間に準備された物だろう。
数分と立たないうちに、その人物は現れた。
明るい茶髪とも金髪ともとれるような髪を一つに束ね、堀が深く鼻の高い三、四十代の女性のようだった。
スリムではないが余分な肉感は感じさせず、女性にしては筋肉質だ。
そして何より特徴的なのは、海のような深い青色の瞳。
「こんにちは。私が回収部門の主任、マリアナよ。今日はどうぞよろしく」
ニコリともしないまま、簡潔に、しかし流暢な日本語で自己紹介を済ませる。
彼女の背はまっすぐに伸びていて、ラフな服装だがどこか威圧感を覚えた。
「食べたばかりで眠いかもしれないけど、まずは映像を見てもらうわ」
マリアナの操作でスクリーンには回収部門の紹介映像が流れ始めた。
MIMOIDの一生、回収後の処理と再生、大まかな業務体制など、少し調べればわかるような簡単な内容が淡々と流れていく。
十分にも満たない退屈な動画であった。
隣ではC君が俯いて、こっそりとあくびをしていた。
つられて出かけたあくびを慌ててかみ殺す。
「はい、お疲れさま。今見てもらったのは概要だけど、今日はもう少し詳しいお話をしましょう」
マリアナはPCを操作し、先ほどの映像とは別のスライドを開いた。
MIMOIDの内部構造の図解のようなものがイラストで示されている。
「回収部門では、MIMOIDのメンテナンスなども行っています。特に多いのは、彼らに人間の食べ物を与えることで起こる胃袋ユニットや排出ポケットの汚れね。エネルギーの変換効率がぐんと下がるし、中で腐敗すれば異臭や事故、故障の原因にもなるわ」
赤いレーザーポインターがMIMOの内部イラストの、胃袋の周りに円を描く。
確か、サキコはチョコレートを好んで食べているようだった。
マリアナの説明によれば、電力の供給が不可能な状況や現場でもMIMOを動かせるよう、飲食物を分解しエネルギーを取り出す仕組みが搭載されたそうだ。
「エネルギー変換効率が良く、排出物もほとんど出さないMIMOID専用のタブレットがあるんだけど、今日はその試食もしていただきます」
「え、食べられるんですか?」
C君が驚いて訪ねると、マリアナは彼の前に白くて丸い、板状の何かを置いた。
特に匂いはなく、表面はざらざらしているように見える。
「MIMO専用と言っても、原材料は砂糖でできているから。ただ、とても甘いから気を付けてね」
C君は恐る恐る、掌より少し小さいくらいの白い塊を手に取ると、二つに割った。
断面からはぽろぽろと破片が落ちる。
C君から半分受け取り、試しに一口齧ってみる。
「……ラムネみたいな味がしますね」
食感としてはじゃりじゃりとした角砂糖のようだが、風味はよくあるラムネに似ているようだった。
特別美味しいということもないが、不味くて食べられないほどではないようだ。
しかしC君は、一口齧った直後に猛烈に咳き込み始めた。
「あッま!甘いです、甘すぎて舌の感覚がない……ッ!」
涙目になって訴えるC君を横目に、俺は貰ったタブレットを完食していた。
少し粉っぽいが、やはり甘さに関してははむせるほどではない。
「あなた……平気なの?」
「あ、はい。甘党なので」
怪訝そうな表情を浮かべるマリアナの姿に、自分の感覚がおかしいのかと不安が掻き立てられる。そんなに驚くような甘さなのだろうか。
「……まあ、いいわ。人間用じゃないから、食べ過ぎには気を付けて」
「はい」
タブレットにはいくつか等級があり、今食べたのは最も密度が小さいタイプらしい。
糖分の密度が上がるほど表面が滑らかになり、硬くなるのだそうだ。
今度、どこまで食べられるかやってみようか、なんて言ってみたら、C君は勢いよく首を横に振った。付き合ってはくれなさそうだ。
「MIMOに与えてはいけないものと言えば、油分の多いものやたんぱく質、食物繊維ね。極端な話、肉を与えてもエネルギーに変換すること自体は可能よ。ただし、リスクの面から推奨はできないわ」
「あの、飲み物はどうですか?ジュースなら糖分を液状で摂取できますけど……」
と、C君が手を挙げて訊ねる。
「ええ、与え過ぎには注意が必要だけど問題ないわ。水分は冷却液としても利用されるけど、吸収には時間がかかる。タブレットと少量の水を与えるのが最も効率的となるのよ」
飲食物からエネルギーに変換するという試みには、純粋に興味がそそられた。
生体部品は、現代の技術力でも夢のような領域とされている。
その領域に、一歩踏み込んだ技術に思えてワクワクするのだ。
制限が多く不自由そうに思えるが、彼らにとって嗜好品など何の意味もないのだから、十分だろう。
高い技術力を誇ると言われるのは、人格や感情などという不確かなものではなく、この機能が評価されている面が大きいのではないだろうか。
「良き隣人として扱ってもらえれば嬉しいけど、あくまでMIMOはMIMOでしかない。彼らには本来、食事は不要です。正しい知識を持っていただくための活動の継続……それも、我々回収部門の活動の一環なのです」




