第四話 サーバールーム
部下二人が休憩に出るのを見送り、少し伸びをしてから仕事に戻る。
最近、腰痛が酷くなった気がする。医者からももう少し運動や散歩をするようにと言われているのだが、時間にも体力にも、そんな余裕はない。
朝と、昼休みと、ミハリ達が来るまでの時間。
大して長くはないこの時間に、やるべきことは膨大だった。
◇
BR-R10-09××-A
概要:E1-03、A棟4階で作動中のジェルトラップにより破損。
発見者:ビビ
報告内容:サキコとの会話なし、破損後に発見した。
備考:FAIRYおよび四次元記録機の内容から虚偽の報告であると断定。
会話詳細はFAIRYを参照してください。
意図:ただの雑談であり報告は不要と判断した。また、報告することで手間になると考えた。(本人談)
◇
文書管理室は、個人の思想に善悪の判断をする場所ではない。ラボの三原則にのっとり、観測し、記録し、保管する場所だ。
先の質問に、新人の素行不良を取り締まる意図はない。
罪に対し罰を与えるのは毛繕い係の仕事だ。
彼女が動かないということは、即ち組織が黙認しているということになる。
ビビの虚言は入所当時から目立っていた。
特にMIMOへの態度は明らかだが、自認と行動のズレに、彼自身の自覚はないだろう。
ネズミミ研究所の研究対象は、MIMOだけではない。きっと、所長や研究部門にとっては価値の高いデータとなるだろう。
それにしても、ビビが持つMIMOへの執着とでもいうべき嫌悪感はどうにも引っかかる。心当たりはあるのだが、今のところ確証はない。
『推測:ビビには耳を触る癖がある。彼がMIMOに対し嫌悪感を抱いていることと、何らかの関連があると思われる。』
そこまで書き留めて手を止めた。
個人の推測は事実を濁らせる。報告書から削除して、保存する。
公に残すべきは、やはり事実のみである。
◇
食堂で席に着いた時、コーヒーのタンブラーを忘れてきたことに気が付いた。
C君からは給湯器を使ったら、と提案されたが、味が好みではないのだ。
わざわざでも取りに戻りたい。
文書管理室に向かうと、前方に人影を見つけた。
灰色の髪とフェルトのミミ、すとんと落ちた白衣のラインは、紛れもないこのラボの所長だった。
彼は何故か、何もない壁を見つめている。俺には気付いていないようだ。
文書管理室はA棟最上階の一番端にある部屋だ。
奥にも通路が伸びてはいるが、荷運び用のエレベーターが設置されているだけで行き止まりになっている。
不審に思い見ていると、信じがたい不思議な現象を目撃した。
所長が壁に手を当てると、その手の付近に四角いノイズが走り、壁が文字化けでも起こしたように不鮮明になって、黒い穴のようになって落ち着いた。
彼は、その中へと沈むように消えていったのだ。
手帳で地図を確認しても、そこには何の部屋も存在しない。
小走りで近づくと、点滅するドット抜けに縁どられた黒い窪みの先に、メインサーバールームと書かれた扉が出現していた。
ノイズはじわじわと壁を生成し、普段通りの壁に戻ろうとしている。
このままで塞がってしまうだろう。
扉の横には指紋認証のパネルのようなものが設置されていた。
開くはずもないどころか、最悪何らかのセキュリティが発動するかもしれない。
頭ではわかっているのに、俺はそのパネルに手を伸ばしていた。
ぴ、と短い音が鳴り、扉は自動的に開かれた。
冷えた空気と淡い光を感じる。
俺は、吸い込まれるようにしてその内部へと足を踏み入れた。
薄暗く、寒さを感じるほど冷やされた部屋の空気に、高鳴った胸が冷やされていく。
金属製の足場と手すりは、五階分に相当するであろう広い吹き抜けの部屋を見渡すにはぴったりの場所だった。
目の前には大きな青色の球体……BLESSの管理画面に表示されていたあの球が、ホログラムで浮かび上がっていた。
表面には穏やかな波が立ち、巨大な水の塊や月を思わせる。
球の向こうには、巨大なモニター画面が一つと、その周りを大小さまざまなモニター画面が取り囲むように壁に埋め込まれている。
足場からは右に行けば階段があり、所長の靴音が反響しこだましていた。
手すりを持って部屋を見渡してみると、各階に部屋を取り囲むように足場が設置されていて、ガラスケースに入ったサーバーが並べられていた。まるで巨大な図書館のようだ。
所長の後を追い、慎重に階段を下っていく。
最下層まで降りると、所長は宙に浮かぶBLESS球を見つめていた。
「×××か?」
所長は誰かの名前を呼んだようだが、それは聞き取ることはできない音として拾われた。
彼は俺の姿を認めると、お前か、と呟いて再び球を見上げた。
「所長、ここは何ですか?」
「書いてあっただろう、メインサーバールームだ」
「これはBLESS、ですか。文書管理で見るのと似ています」
最も大きな画面には、無数の0と1が頻りに切り替わるあの画面が映し出されていた。
ただし、普段見ているそれとは少し様子が違っている。
『BLESS稼働率・63.2%』
『圧縮率・3.01:1』
圧縮率。初めて見る表記だ。何かの専門分野で使用されるものだろうが……どれほどの数字が圧縮されているのか、読み取ることができない。
「君は、BLESSが何かわかるか?」
さあ、なんてはぐらかそうと思ったが、所長の瞳はまっすぐに俺を捉えていた。逃げ場がどこにもないような、追い詰められたような気持になって、慎重に口を開いた。
「……合っているかはわかりません」
「話せ」
考えてもみれば、自分の見解と答え合わせができるいい機会かもしれない。
まだ新人の俺が、所長と対面し話せる機会などそう多くはないはずだ。
「MIMOには身体を動かすためのOSが搭載されています。識別番号はこのOSのものですよね」
所長は黙ってうなずいた。
それが肯定の意味なのか、相槌なのかは定かではないが、否定はされていない以上このまま話を進めていいだろう。
「MIMOのOSには、複雑な相互作用がある。それらを総合して見たものがBLESSであり、その球は関係性を3Dモデルに表したもの、といったところでしょうか」
なかでも、E1シリーズは特に繋がりが強いのだろう。
並列稼働が可能だったり、壊れても別の身体で復活できるのは、グループ化でもしているからだと考えられる。
「なるほど」
所長は否定も肯定もせず、デスクから記録用紙を取り出しペンを走らせた。
「俺の見解はどうでしょう」
しかし、所長は答えなかった。
何をそんなに書く事があるのか、ひっきりなしに手を動かしている。
「やっぱり正解は教えてくれないんですね」
「ああ、ここは学校ではないからな。君が何を見てどう解釈し、どんな行動をとるのか。そちらの方がよほど価値があるとは思わないか?」
「思いませんね、正しく理解しなければ、正しい行動はとれない」
所長の目が、再び俺を捉えた。
「私も他人のことは言えないが、自分を過信しない方がいい。仮説はほとんどの場合、誤りだ。真理へ到達できるという驕りなど、今ここに捨てて行け」
「ご忠告、痛み入ります」
「君は、自分の行動は正しいと思うか?」
「何の話でしょうか」
「E1-03の件だよ。君の目の前でトラップにかかったそうだね。あの時の君の対応は聞いているよ。君は自分の行動をどう解釈している?」
司書と言い所長と言い、どうしてそこまで俺の行動に突っかかるのだろう。
ラボとはいえ一企業だ。問題は対処された、それで済む話じゃないのか。
「……俺は間違っていません。サキコはMIMOです。アンドロイドは機械で、道具です。彼らに感情があるように見えることと、実際に感じているかどうかは別のことだ。アンドロイドを扱う人間として、彼らの振る舞いに惑わされないよう努めることは、何の間違いでもありません」
「一般論だな。では、助けなかったことは?」
「既に手遅れと判断しました。トラップの敷地内から連れ出せたとしても、ジェルによってそのうち壊れます」
「なるほど……ではもう一つ君に質問しよう。君は、MIMOは感情を持たないと主張したいみたいだが、それは何故?」
「何故?考えなくてもわかることでしょう。物に心はありません。心は主体を持った生物の特権です。中でも人間が持つ心は特別なものだ、他の生物と比べても明白なことではないですか」
「なるほど、君はそれを証明し突き止めたのか」
「俺はただ事実を言っているだけです」
所長は、再び記録用紙に何かを書き足すと、俺に向かって突きつけた。
「見ろ、君が言った仮説に基づく計算式だ。見ての通り、破綻している」
所長は計算式だと言っていたが、紙面には到底読むことのできない走り書きが連なるばかりだった。
ミミズが這ったような文字、なんて言うが、所長の文字はそれ以上に読解不可能な、解くことのできない糸の絡まりのように見える。
当然、その計算式が示す内容も不明だった。ある意味、破綻していると言える。
何と言ったらいいのかわからず、俺は神妙な顔をしてやり過ごそうと試みる。
そのせいだろうか、所長は俺を見てくつくつと笑い出した。
「何がおかしいんですか」
「いや、これが君の観測結果なのだろう。だが、主観的な推測が多い。評価としては、『もう少し頑張りましょう』といったところだ」
反論しようと口を開くと、手で口を塞がれてしまった。
口元に、冷えたボールペンが当たっていた。
「いいか、世界とはそもそも、こういうことにしよう、という決まりごとの上に成り立っている。公理とも呼ばれるそれは、もちろん真理ではない。この違いがわかるか?」
所長の手を振りほどき、睨みつける。
「……なら所長は、MIMOに心があると、彼らが感情を持っていると考えているんですか?」
「いや、違う。わからないんだ。わからないから、研究を続けているんだよ」
わからない、と言った所長の表情はフッと柔らかく、微笑んでさえ見えた。
だが、俺にはその結論に到達することの方がわからない。
「君は感情があることとそう見えることは別だと言ったね。裏を返せば、感情がないように見えることと、実際にあることもまた別だ。そうは思わないか?」
「相手はただの計算機ですよ」
「だが、君が言う人間同士であっても、他者に感情を証明する術はない。あると仮定して信じることで人類は社会を発展させてきた。なら、MIMOはどうだ?体は機械だ、本体はサーバー上の存在だ。彼らは言葉を操る。人間の五感に相当するセンサーが使用されている。自律して行動し、人間とコミュニケーションが可能で、危機的状況では君に助けを求めていた」
「人間らしい振る舞いを覚えただけのことです」
「かもな。だがそれを、やはり君は証明できない」
「お忙しい中、ありがとうございました。失礼します」
これでハッキリと理解した。所長は、真理だの公理だの、そんな言葉で事実から目をそらしているだけだ。
そもそも、世界が公理を選ぶにはそれ相応の理由と、根拠がなくてはならない。
であれば、その公理を疑っては世界そのものが崩れかねないじゃないか。
感情の有無は証明できない?
違う。機械は感情を持たない、計算は感情ではない。これは疑いようのない真理のはずだ。
苛立ちを込めて掴んだ左耳が痛く、熱くなっていた。




