第三話 FAIRY
悲鳴が聞こえて駆け付ければ、そこには毒々しいピンク色のジェルをかぶりへたり込んだサキコの姿があった。
ジェルトラップが仕掛けられている個所の床は金網になっており、床下に流れたジェルは自動的に洗い流されるようになっている。
作動中のパターンさえ把握していれば、見え透いた罠にかかるなんてことはないはずだ。
何故だ?トラップパターンを知らないのか?
サキコはその場から動けないのか、床に手をついたままピタリと動きを止めていた。
俺の存在に気が付くと、ガタガタと震えながら片手を俺の方に差し出した。
「ビビ?ちょっと僕のこと引っ張ってよ」
助けを求めるように、その声はひどく震えていた。
見事な演技力、というより、作りこみだなぁと感心してしまう。
「ビビ……」
「なぜ?」
「ここにいたら壊れちゃうから……助けてくれるよね?」
いつも俺を揶揄うような態度をとっていたサキコが、震えながら助けを求めている。
その姿にどこか高揚感のようなものが沸き上がり、口元がにやけそうになって手で覆う。
「あ、あ、やばい、早く……!僕ね、つなぎ目が弱いの、ジェルが中に入ったらショートしちゃう……」
粘度のある液体が丸い頭部を伝って首に迫っていたが、滑らかなシリコンの表面にはつなぎ目なんてないように見える。
きっとまた、俺を揶揄うための演出だろう。
「自分で立てばいいじゃないですか。足は無事ですよね、白衣で隠れてますし」
「や、無理立てない、怖くて立てないよ。ねえ、早くしないとまたジェルが……」
「とか言って、俺の手を引いてトラップにかけるつもりじゃないの?」
「MIMOは人間に危害加えることはできない、わざとトラップにかけるなんて出来な……あッ」
サキコが何かに気付いたように天井を見上げ、つられて俺も顔を上げた。
次の瞬間、勢いよくピンク色のジェルが噴射され、反射的に後ずさった。
サキコは、一言も声を上げることなくその場に倒れこんだ。
いやらしい水音とともにみっともなく床に突っ伏して、全身の肌には激しいノイズやグリッチを走らせる。
あーあ、壊れちゃった。
心の中で呟いて、手帳を開きサキコが破損した際の対応を調べる。
どうやら清掃部隊という人たちに連絡し、到着まで待機する必要があるみたいだ。
然るべき対応を取り、壊れたサキコと並んで清掃部隊の到着を待った。
かわいそう?恐怖していた?違う、相手はただの機械だ。
概ね、人間らしい振る舞いを学習した結果あのような感情表現を身に着けたのだろう。
感情があるように見えることと、実際に感じているのとでは違うのだ。
見えているものに引っ張られ、サキコには感情があるなんて勘違いをしていれば、今頃あのジェルを被っていたのは俺になる。
そして仕事は滞り、俺に対する評価はがた落ちというわけだ。
何が、危害を加えることはできない、だ。
害でしかないくせに。
清掃部隊は思ったより早く現れた。
何か特殊な装備を身に着けた姿を想像していたのだが、彼女たちはどう見ても普通の清掃員の格好をしていた。
「あらぁ、誰かと思ったら新入りさんじゃないの!」
「危ないから離れな、感電するよッ」
「今回もまた派手にやったわねぇ」
丸、三角、四角を思わせる体形の三人組で、彼女たちはそれぞれ、まーちゃん、さっちゃん、しーちゃんと名乗った。
三人は現場を見るなり運んできた台車に黒い大きな袋を広げ、感電防止用の長手袋を装着した。
このあと事情を聴くから待つように、との指示を受け、その間彼女たちの働きを見守ることとなった。
「全く、所長の趣味も困ったもんだ。もう少し安全な装置にできないもんかね。ねえ、まーちゃん」
「さっちゃん、あたしらは言われたことをやればいいのよ。気にしたら負けよ、負け」
ぶつくさと文句を言いながらも三人は手際よく作業を進め、サキコだったものはあっという間に袋の中に納まった。
途中、サキコの身体を丸めて持ち上げられた際、見開かれた青い瞳と目が合ってしまって顔をそむけた。
自身の耳に手を伸ばし、こみあげる何かをやり過ごす。
「さて、それじゃビビちゃん、お話聞かせてくれる?」
しーちゃんが柔らかい声で言いながら、記録用紙を持って駆け寄ってきた。あとの二人は台車を持って歩き出して行くところだった。黄色い声が遠ざかる中、しーちゃんに状況を説明する。
「サキコさんと別れた後、後ろで悲鳴が聞こえたんです。駆け寄った時には、もう壊れていました」
「そうだったの。彼とは何か話した?」
「いえ、特に何も」
しーちゃんは俺の話を記録し終わると、連絡ありがとう、と飴玉を一つ掌に置いた。
◇
「戻りました……C君、何かあったんです?」
文書管理に戻ると、何があったのかC君が真っ白に燃え尽きていた。
PC画面にはBLESSの操作盤が開かれ、現在は静止しているようだ。
「さっきBLESSに異変が起きまして。診断と対処をお任せしたんですよ」
「いやこれ、怖いですって……E1だったから自然に収まってくれたけど、操作するの怖すぎます」
「いずれは一人でも出来るようになってもらいますからね。もちろんビビさんも、タイミングがあればお教えしますよ」
田島からは特に書類を受け取っていないこと、帰り際にサキコが破損する場面に遭遇したことを司書に報告し、席に戻った。
確認してみると、先ほど異変を起こした原因はE1-03という個体のようだった。
タイミングから察するに、ジェルトラップにかかったサキコのことだろう。
つまり、E1シリーズの正体はサキコだということだ。
「ビビさん、参考までにお聞きしたいのですがいいですか?」
「はい?」
顔を上げても、司書は画面を見つめたまま話を続けた。
目を見られるのは苦手でも、こうも目が合わないといつ喋っていいのか、どこまで話したらいいのか、自分の対応は間違っていないかと不安になってしまう。
「清掃部隊の方に、サキコさんとは特に話をしていないと答えたそうですが、意図はなんです?」
「意図?というか、どうして知ってるんですか?」
「たった今報告書が上がってきたものですから」
キーボードを叩く音が止まり、司書が顔を上げた。
いきなり目が合ってしまうと、今度は途端に気まずくなり、視線を落とす。
「ええと……既に壊れていたので、話すも何もなかったんですよ」
「いえ、会話の記録もここにありますから。意図を教えてください」
「は……?」
戸惑っていると、司書は何かの記録を印刷して俺のデスクに置いた。
『自分で立てばいいじゃないですか 足は無事ですよね 白衣で隠れてますし』
『や 無理立てない 怖くて立てないよ ねえ 早くしないとまたジェルが』
『とか言って 俺の手を引いてトラップにかけるつもりじゃないの』
「なんですかこれは!」
「ラボの会話記録システムFAIRYの記録です。で、意図の方は」
司書は記録を回収し、再びデスクへと戻った。
「……虚偽の報告をしたことは謝ります。訂正します」
「その必要はないですよ。なぜ話していないと答えたのか、その理由だけお願いしますね」
司書はカタカタとキーボードを叩き、もう一度俺に目を向けた。
この距離では、彼の細い目と柔和な表情から何を考えているのか推測することも難しく、しかし俺が語るまで逃さないという意思のようなものが感じられた。
緊張した空気に気が付いたのか、C君が俺と司書を交互に見やっては眉を下げていた。
「……ただの雑談のつもりでした。報告するような内容でもなく、余計な手間をかけると考えたからです」
「うん」
司書は納得とも相槌ともとれる曖昧な返答をしてキーボードを叩いた。
「今、耳に触れているのは?」
言われるまで、左手が耳たぶをつまんでいることに気が付かなかった。
「癖です。特に意味はありません」
「うん」
カタカタカタ、カタ。
司書が俺の返答を記録につけているのは明白だった。それこそどういう意図で記録をつけているのか見当がつかない。
「嘘の報告をするのはかまいませんが、今後は意図も含めてお話しいただけると助かります」
「わかりました……」
随分とおかしな注意だ。
嘘の報告をするのに、その嘘の意図も併せて説明をしろというのか。
そもそも、あのような記録が残るのであれば質問を受けたり報告をする意味もないはずだ。
ノートを開き、疑問符を描く。
『FAIRY、虚偽報告は無効。意図を問われ記録される』
書いた文字を見ながら、左手で耳たぶに触れた。何の意味もない、考え事をする時などに出るただの癖だ。それだけだ。




