密謀と耳打ち
宮相の邸を辞し、自邸に戻った翌日、私は総教会堂へ向かった。山上の聖女に会うためだけではない。山の麓の町に暮らす、聖女に次ぐ地位を持つ女性司教の一人に会うためだった。
確実を期すため、わざと狭い裏路地と水路を迂回し、ヒルヴァ司教の屋敷に入った。現存する最年長の聖職者であり、齢八十と伝えられている。
衛兵に面会の許可を求め、武装を解いてから屋敷の中へ通された。
「おや、セナトール伯爵ではないか。人を寄越さず自ら参られるとは。老身に何用かな」
ヒルヴァ司教は深紅の法衣に身を包み、椅子に静かに座していた。顔中の皺と弾力を失った肌が、いかに齢を重ねたかを物語っている。だが眼差しはなお炯々として、声にも張りがあった。
「自ら足を運んだのですから、どんな用件かはおわかりでしょう」
「老身がかね。ふふ、聖女陛下の金糸雀に飽きて、ようやく副王の婿に収まる決心でもついたか」
「何ですかその滅茶苦茶な喩えは。司教閣下、俺は危険を冒してここに来たんです。暗喩を楽しむ余裕はない。それと、人間関係を陰で語られるのは好みじゃない」
腕を組み、苛立ちの姿勢を見せた。
「セナトール伯爵はせっかちだの。イミタート人の"副王"マイオルの娘との件は、帝都の貴族の間ではとうに知れ渡っておる。老身はほんの冗談を言うたまでよ」
「あいにく俺にはユーモアのセンスがない。冗談は通じない。侮辱されたと感じた。何か補償がなければ」
腕を解いてヒルヴァ司教に手を差し出した。何か寄越せと示すように。
「老いたの。若い者の流儀について行けなくなったか。場を和ませる話題を探そうとしただけじゃが。では、これで許してもらえるかな」
ヒルヴァ司教が懐から取り出したのは、精緻に包装され、金糸と宝石で封をされた巻物だった。
「聖タク時代に古ルンス文献を書き写したもの。プミリオ王の手抄本の一つじゃ。聖遺物ほどではないが、それに準ずる品ぞ」
「まあ、それならいいでしょう」
手を伸ばして手抄本を受け取り、裏返す動作で自分の懐にしまった。この上なく自然に。
「ふふ、セナトール伯爵は手慣れたものじゃの。普段から贈り物を受け取り慣れておるのであろう」
「つまり俺に価値があるということでしょう。だから人が贈り物を持って取り入りに来る」
「腐敗をそう堂々と語るとは、よい子とは言えぬのう」
「子ども呼ばわりされるのが何より嫌いだ。こうだらだらしていては事が進まない」
「ふふ、焦ってもまた然り。では、セナトール伯爵、考えを聞かせてもらおうかの」
「あったんですが、あなたにいろいろ脱線されて忘れました」
手抄本をしまったばかりの、何もない手をひらひらと振ってみせた。
「今度はセナトール伯爵がもたもたしておるの」
「司教のせいですよ。せっかくの厳粛な雰囲気を壊したんですから」
「そう言われても、もう出す贈り物がないのじゃがな」
「いいですよ。本題に入りましょう。聖教側はどれだけの兵力を動員できますか。計画は」
「教会がいきなり兵を連れ出すのは不自然すぎるし、情報の秘匿も難しい。兵力に関してはセナトール伯爵と宮相殿にお任せするしかあるまい。教会側は反対派の主教を集め、公議を開き、聖女の再選挙を行う」
「主教たちはいつ頃到着しますか」
「三週間後」
「兵力は整えておきます。この後、聖女にも顔を出しておきます。でないと誰かに見られた時に説明がつかないので」
「それでは巻物はしっかり隠しておくのじゃぞ。道中気をつけてな、セナトール伯爵」
——
ヒルヴァの屋敷を出た後、複雑な路地をしばらく迂回し、麓の店で買い物をしてから、ようやく山上への道を登り始めた。
「あら、アンビティ閣下! 今日は突然いらっしゃるなんて。聖女陛下きっとお喜びになりますわ」
「どうかしら、トルティア。聖女陛下はきっと緊張なさるわ。だってアンビティ伯爵が突然おいでになったら、おしゃれが間に合ってないもの」
「恥ずかしがるかもしれないわよ」
宮門に着くと、門前の衛兵たちが声をかけてきた。聖女の反応について楽しげに議論している。
「あの。君たちは俺が突然来たことを、なぜ来たのかと怪しまずにそのまま受け入れるのか」
「アンビティ閣下ったらご冗談を。わたしたちは聖教の衛兵ですけど、女の子でもありますもの。野暮なことは言いませんわ。早く中にお入りになって、聖女陛下を驚かせてあげてください」
「それと性別や風情に何の関係があるんだ。まったく」
にやにやと笑う衛兵たちに呆れて首を振り、門をくぐった。
「セナトール伯爵、ますます男前になっていらっしゃるわ。もし貞潔の誓いを立てていなかったら、わたしだって」
「声を落として。命知らずね、万が一聖女陛下のお耳に入ったら」
「ちょっと言ってみただけよ。それに、わたしだって容姿だけで人を好きになるような軽い女じゃないし」
門の中に入った後も、衛兵たちのひそひそ話は続いていた。音量の制御に明らかに失敗しており、一語一句が鮮明に耳に届いた。
だが構わず奥へ進んだ。
周囲の侍女や神官にとって、私の来訪はもはや日常の光景らしい。何の制止もなく、聖女の居室まで辿り着き、扉を押し開けた。
侍女や神官が私の出入りに慣れきっていることと、扉の向こうの光景を平静に受け止められるかどうかは、まったく別の問題だった。
扉を開けた瞬間。ヴィエルヤが、幼い頃に彼女から強引に描かされた私の肖像画を、一心不乱に見つめていた。
私は固まった。
「ヴィエルヤお姉ちゃん、あの……毎日の暇潰しって、俺の絵を見ることなのか」
「えええっ、アンビティ弟! なんで急に来るの!」
「用事があってきたんだ。お姉ちゃんはいつも自分は女神に選ばれた者だって言ってるのに、俺が来ることもわからなかったのか」
「こ、これは。お姉ちゃんだって何もかもわかるわけじゃないのよ! さっきのはただ芸術を鑑賞してただけ。芸術よ、芸術。——ていうか、アンビティ弟こそ突然来るなんて。もしかしてお姉ちゃんに会いたくなった?」
ヴィエルヤは最初、私が入ってきたのを見て狼狽し、身体で肖像画を隠そうとした。だがばれたと悟ると、開き直って冷静を装い、逆に訊いてきた。
「まさか。仮に誰かに会いに来たとしても、エダだな。俺は大事な話があるんだ」
「わぁん。お姉ちゃん悲しい。アンビティ弟はエダ妹の方が好きなの」
「ふざけてないで、本当に大事な話なんだ」
「アンビティ弟が誰を好きかより大事なことなんてあるの?」
「謀叛を企んでいる者がいる」
歩み寄り、ヴィエルヤの耳元に口を寄せた。反対派の計画と名簿を、余すところなく囁いた。




