講師オクタイア
次の日の講義の合間に、リューリクはオクタイアの研究室を訪れた。
「魔術具を持ってきました」
魔力で満たしたそれを、机の上に置く。
オクタイアの研究室は用途の分からない魔術具とそれらに使うらしい素材と研究資料で溢れていて、毎度訪れる度に酷い散らかりようだとリューリクは心の内で眉をしかめる。
「あぁ」
魔術具を手に取ったオクタイアは注がれた魔力量を確認し、空の魔術具を机に置いた。
「魔力回復薬は使っているのだな」
「はい」
リューリクは頷く。
「成人すれば今の倍量を求められる。魔力量を上げる訓練は欠かさぬように」
―ではまた来月。
オクタイアの研究室を後にしたリューリクは、冗談ではないと廊下を歩きながら思った。
成人の頃にはこの国から逃げ出す予定だが、今の倍なんていくらエルフの回復薬があり魔力の器が成長すると言っても、死んでしまうではないか。
魔力量は、自身が持つ魔力の器とそこに満たす魔力の濃度で決まる。
魔力の器が大きく、満たす魔力の濃度が濃いほど魔力量が多いとなり、人が自身の研鑽で魔力量を増やすとすれば、魔力の濃度を上げる方法だ。
それには繊細な魔力操作が求められ、加減を間違えれば魔力暴走を引き起こし、命を落とすこともあるので、魔力の扱いに長けた者の監視がない状態での魔力量を増やす研鑽はご法度とされている。
王侯貴族にはそれぞれの家に伝わる方法があるらしく、彼らが代々魔力量の多い魔術師を輩出し続けるのもそれが由来しているのだろう。
ひくり、と腕が引きつるような感覚がして、次いで足が思うように動かず、べしゃりとその場に身を投げ出すように床に倒れこむ。
こんなところで、とため息を吐いて。
けれどすぐには立ち上がれず、ぼんやりとリューリクは思考を回す。
今月は魔術を使用する訓練が思いのほか多く、魔力量の見通しが甘かった。
素知らぬ顔で魔術具の提出を数日延期しようと思っていたのに、同室のヘンリーの元へオクタイアが訪ねたとあって、それはできないと判断した。
無理に魔力をひねり出し、魔術具に詰め込んだまではよかったが、やはり自分にとって必要最低限な魔力量を下回ってしまったようだ。
回復薬を飲もうにも、手足に力が入らない。
幸い、倒れた廊下は人通りの少ない場所で、誰かに見つかる可能性も低いだろう。
そう、思っていたのに。
「リューリク⁉」
聞きなれた声に、ピクリと指先が動く。
―まずい。
起き上がれない今の状態を見られてしまうのは……!
そう心は焦るのに、立ち上がるための手足は言うことをきかない。
「どうした、こんなところで」
どさどさと物音がして、リューリクの肩に手を触れたのはフェルナンドだ。
「魔力が見えない……。枯渇しているのか。薬は持っているか?」
すぐにリューリクの状態に気づき、回復薬の有無を確認するフェルナンドに小さな頷きを返す。
所有する魔力量や体質によって、適切な回復薬は魔術師ごとに異なる。
それをよく知るフェルナンドは、リューリクが自身に適切な回復薬を所持しているかを尋ねたのだ。
魔術学院の生徒に与えられる、リューリクのローブの内側を探り、小瓶を見つけたフェルナンドはそれを彼の口元に近づけた。
「飲めるか」
酷い苦みのそれを飲み干す。
フェルナンドがゆっくりと傾けるので、下に残る苦みとえぐみがいつもの倍ほど酷く感じられた。
少し待つと、体内に魔力が回り始め手足に力が戻ってくる。
「助かったよ、フェルナンド」
リューリクはよろよろと立ち上がり、フェルナンドと距離を取って壁に背を預けた。
「誰かにいじめられたのか」
厳しい顔をしたフェルナンドの問いに首を振る。
「加減を間違えただけだ」
床に落ちた紙束と本がリューリクの目に入る。
「大事な資料をすまない。運ぶのを手伝おう」
フェルナンドは魔術具の制作が好きだったことを思い出す。
このあたりは教師陣の研究室が集まっていて、試験前でもなければ学生は滅多に訪れることのない場所だ。
オクタイアは優秀な魔術具制作の研究者で、恐らく彼にフェルナンドは彼に教えを請いに来たのだろう。
資料に、魔術具に関する文字が見えた。
壁から背を離し、資料に手を伸ばそうとしゃがみこむ。
「いいよ、リューリク。それほど量もないから」
それより先に、フェルナンドがさっと資料を持ち上げてしまった。
「寮まで送ろうか?」
回復薬を使ったとはいえ、顔色の悪いリューリクをフェルナンドは心配した。
「いや、研究室に行くんだろう?僕も次の講義に向かうよ」
ゆっくりと立ち上がり、なんでもないように右手をひらひらとさせる。
「わかった。昼の休憩の時にまた」
フェルナンドの姿が見えなくなって、リューリクはどさりと床に座り込んだ。
精霊たちが心配そうな顔で、小さな手で代わる代わるリューリクの頬や額に触れてくる。
「学院では寄るなと言っているだろう」
「まりょく、たりない」
「たりない、しんじゃう」
「えるふのくすり、のみすぎ」
ギュッと眉間に皺を寄せ、怖い顔をした精霊が言った。
魔術具に魔力を注ぐときに足りなくて、昨夜飲んだのと今のこれを合わせての言葉だろう。
リューリクは苦笑いをして、仕方のなかったことだと言った。
精霊は首を横に振った。
「のみすぎ、だめ。もどれなくなる」
今さら何をと、不思議に思った。
「戻すものなど、何もないだろう」
母は、精霊と二つの取引を行った。
一つは、リューリクの性別を偽るもの。
もう一つは、死の淵に立ったリューリクの命を繋ぎとめるためのもの。
性別を偽るものはとてもよくできていて、それのおかげでリューリクは何度も危機を逃れている。
触れても見ても、他者からは「男」の身体としか認識されない。
ただ、元の体格から大きく違えることはできず、標準より細身の華奢な体格として認識されているらしい。
そうは言っても、何がはずみで性別を偽っていることがバレてしまうのかわからないため、肌を露出すること、他者に触れられるようなことは避けるようにしている。
また、一定の条件下でこの効果は失われてしまうらしいが、リューリクはその条件を知らない。色々と試してみたことはあるけれど、どれも効果に変化は見られなかった。
精霊たちに尋ねてみても、「答えられない」と首を振るばかり。
母はリューリクの命を繋ぎとめる取引の時に、心を取り上げられてしまった。
リューリクが知りたいのは、こちらの取引の解除か、母の心の取り戻し方だ。




