イリス
渋るフェルナンドを追い出して、リューリクはクズ魔石に手を伸ばす。
「おまえたち、これはいらないんだろう」
確認するように周囲にいた精霊たちに問えば、彼らはそろって首を振った。
そのうちの何人かが髪を引いてきたので、右手で彼らを払う。
「寄るな、寄るな。今、髪はやらない。後であげるから」
それを聞いた精霊たちは嬉しそうに跳ね回る。
リューリクはクズ魔石へ手をかざすと、それらから魔力を吸い取ってゆく。自分の中の魔力を圧縮して、魔力の器ぎりぎりまで魔石から吸い取った魔力を蓄えていく。
魔力がなくなり、クズ魔石がただの石ころになったのを確認すると、リューリクは部屋の奥にある物置部屋の戸を開けた。
乱雑に置かれた荷物を動かし、自分一人が入れる空間を作ると物置部屋の戸を閉める。
室内が暗くなると、近くにいた精霊が魔力の灯りをぼんやりと灯してくれた。
「助かるよ」
その灯りを頼りに床板の一部をはがし、そこに魔力を慎重に流し込む。
すると、床板の下に描かれた魔法陣が反応し、淡く光った。
「私を連れてゆけ」
リューリクが小さく命じた次の瞬間、その姿は物置部屋からなくなっていた。
閉じていた瞼をゆっくりと開け、見慣れた景色が映るとリューリクはすぐには動かず、そうっと周囲の音を伺った。
「誰もおりませんよ」
聞きなれた声にリューリクは安堵して、その狭い場所の扉を開けて外に出た。
リューリクが移動したのは、離宮にある自室のクローゼットの中。
外に出れば、青い髪と目の女性がそこに立っていた。
「イリス!よくわかったね」
パッと抱きついたリューリクをイリスは優しく抱きとめた。
「精霊たちが騒いでおりましたので」
リューリクより頭二つほど背の高いイリスを見上げて、謝罪する。
「遅くなってごめんね。何か変わりは?」
「誰も訪れませんし、侵入の形跡もございません」
「それは良かった。魔力は今渡しても?」
「構いませんが、枯渇はしておりませんよ」
「イリスに倒れられるとわたしが困るんだから」
白く美しいイリスの手を取り、訓練で傷だらけになった自分の手とはまるで違うと思いながら、リューリクは魔力をイリスに注いでゆく。
自身の魔力が2割を切ったところでやめて、イリスの手をきゅっと握った。
「無理をしたね。もっと注いでやりたいけど、これ以上は魔術学院に帰れなくなるから……」
「充分すぎます。私の魔力の器が大きすぎるだけで、なにもこれを全て満たす必要はないのです」
魔力譲渡の度、何度も聞く言葉に頷きながらも、リューリクは小さく唇を噛んだ。
リューリクの魔力の器は常人よりも大きいが、人並外れた大きさではない。
いつもここへ来る前にクズ魔石の魔力をかき集め自身の器を満たしてくるが、イリスの器を満たせたことは一度もないのだ。
「リューリク様のおかげで細かいことは精霊たちがやってくれますし、私が使用する魔力は必要最低限ですよ」
周囲に寄ってきた精霊たちにリューリクは気づくと、自身の魔力をわずかにばらまいて彼らに与えた。
「イリス、髪を切ってほしいの。少し伸びた」
イリスは首元で揺れる銀糸の髪を見て、眉をひそめた。
「充分短くございますよ」
「次がいつ帰ってこられるかわからないし、精霊たちに対価をやらないと。だから、お願い」
イリスが丁寧に髪を櫛で整え、美しい銀糸に刃を入れていく。
切り落とされた髪を精霊たちが奪い合うのを見て、リューリクは彼らに釘をさす。
「この宮を維持してくれている礼だからね。多くもらった奴はその分働いてもらうよ。私は君たちの姿が視えるし声も聞こえる。ずるした奴はすぐにわかるぞー」
それを聞いた何人かの精霊が抱えた髪の束をそうっと減らすのを見て、リューリクはくすくすと笑った。
「こちらの花は、母君のお部屋にお飾りしてよろしいですか?」
ドレッサーに置いた青い花を指したイリスにリューリクは慌てて否定をした。
「あ、違うの。それはイリスに」
「私にですか?」
「イリスみたいに綺麗な青だなって。こういうの好きじゃなかった?」
イリスはするすると手の中で流れる銀糸を遊ばせながら、少し間をおいて答えた。
「いえ。花は好きです」
「よかった!」
「切り終えましたよ」
鏡で長さを確認したリューリクはえー、と不満げな声をあげた。
「長さ変わってないよ?」
「内側を多く梳きました。あまり大きく変えるとよろしくないかと」
「ほんとだ。頭が軽い!」
リューリクは頭を軽く振って笑顔でイリスを振り返った。
「よく、お似合いでございますよ」
「ありがとう!母上に見せてくるよ」
タッと部屋を駆けだしていったリューリクを、イリスはこてりと首を傾げて見送った。
「なぜ、ああも嬉しそうなのか、私にはわかりません」
―答えなど、返ってはこないでしょうに。
イリスの言葉は、リューリクに与えられた質素な部屋に溶けて消えた。
母の部屋はリューリクの部屋から離れている。
その距離がもどかしくて、切りそろえたばかりの髪をなびかせながらリューリクは行儀悪く離宮の廊下を駆けていた。
―いいじゃない。それを咎める者など、誰もいやしないのだから。
母に与えられた部屋は豪華で広いが、精霊避けの陣が敷かれているためリューリクに引っ付きまわっていた精霊たちも母の部屋の中には入ってこれない。
ノックをして、返事を待たずにリューリクは母の部屋に入る。
「母上!」
ベットの上で身を起こしている母の姿を見て、リューリクの声色が明るくなる。
「今日は天気が良いですね」
ぼうっと窓の方を見たままの母に構わず、リューリクは話し続ける。
「窓の方へ寄ってみますか。イリスが庭を整えてくれています。花も見頃で、美しいのですよ」
記憶よりも細くなった母の両の手を下からすくい取り、少し引いてみるも反応はない。
「見てください!イリスが髪を切ってくれたのです。上手でしょう?これなら決して、母上のご心配なさるようなことは起こりません」
ちらとも自分を見ない母の様子に、リューリクは心の隅がきゅっとなりながらも、それに気づかぬふりをする。
「足がお速くございます、リューリク様」
遅れてやってきたイリスは母の背に手を添えると、「お立ちになりますか」と尋ねた。
「ううん、気分でないみたい」
母の手を握り、顔色をうかがう。
「今日は少し、遠いみたいね」
するりと母の傍を離れて、しまい込んでいた薬屋から買ったものをテーブルに置く。
「頼まれていた薬草、ここに置くね。そろそろ帰るよ」
「随分、急がれるのですね」
「今からだと門限に間に合いそうなんだ」
壊れた母を、王は捨てた。
あれほど重厚だった監視の目も随分と減って、騎士や侍女たちの多くが姿を消した。
僅かに残った彼らのことも、リューリクは母から遠ざけた。
母を診る医者など来ない。
物知りなイリスの知恵を借りて、母を生かす術を探り続けてどれほどか。
リューリクを取り巻く精霊たちは、「これが代償だ」と囁いていた。
いっそ、死なせてもらえれば楽だったのかもしれない。
母にとっては、この状況は生きるよりも辛いことであるかもしれないと、何度思ったか。
リューリクを助けるために、母は精霊術を使った。
自らを代償として行使する、禁忌とされる術を使った。
精霊たちが母から取り上げたのは、母の心だ。
母に与えられた離宮から、人は消えた。
けれど、自由な出入りを許されたわけではない。
外部へと繋がる通路には兵が常駐し、魔術学院へ出されてしまったリューリクが忍び込むのは安易ではない。
困ったリューリクに、魔術の長けたイリスがくれたのは、離宮と外とを移動できる魔術陣。
「人の世では失われてしまったものです。決して、誰にも気づかれませぬよう」
そうして秘密を一つ、リューリクに与えてくれたのだ。
門限に間に合ったリューリクは、何食わぬ顔をして寮の自室へ戻った。
「お、今夜は帰ってきたんだね」
同室のヘンリーの問いに当たり前だろと返す。
「外出したと聞いたから、てっきり今夜は帰ってこないかと」
「やだな。門限破りがバレたら、僕の生活態度だと退学待ったなしだよ」
魔術で身体を綺麗にし、リューリクは自分の寝台にごろりと転がる。
「いつ見ても便利なものだな」
関心して言うヘンリーに、軽く笑って答える。
「時短だ時短。きちんと湯に浸かるのが、ほんとは一番いいんだから」
性別を偽っているリューリクは、当然のことながら共同風呂など行けないし、その他性差がわかるような場所や行事にも注意を払っている。
それらを切り抜けるための魔術の構築や行使は惜しまないし、それほど複雑ではないものは請われれば多少の金銭と引き換えに教えてもいる。
特に身体を綺麗にする魔術は好評で、よい小遣い稼ぎになっているのだ。
「そう言えば、オクタイア先生にお前のこと聞かれたんだけど……。再講義か?」
ニヤリと悪い顔をするヘンリーに、リューリクはひらひらと手を振った。
「やめてくれ。どれだけ底辺の成績を彷徨おうとも、再講義は受けないというのが僕の信条なんだ」
この話は終わりだと、リューリクは寝返りを打って壁の方を向いた。
―オクタイア。
嫌な名前だ。
魔術学院では、魔術具の講義を担当している。
実力ある上級魔術師で、伯爵の身分を持つ。
そして月に一度、リューリクにとある魔術具を渡しにくるのだ。
アルタリア国の成人王族には、王宮への魔力提供の義務があるらしい。
それを知ったのは、母から王の関心が離れてすぐの頃だった。
本来は成人王族の義務でありながら、魔力が足りないと名前だけ王族のリューリクのもとに話が回ってきたらしい。
魔術具を一つ渡されて、それを満たせと。
月に一度、魔力が満たされた魔術具と空の魔術具を取り替えて、王宮はリューリクから魔力を奪っていく。
その魔術具の受け取りを魔術学院で行うのが、オクタイア先生だ。
魔力は回復するものだが、回復速度には限度がある。
月に一度、指定された魔術具を満たせば、リューリクの魔力はおよそ半分を失う。
一度にではなく、その提出期限に間に合うように魔術具に魔力を流していくのだが、そうすると魔力の半分が常にない状態になってしまうのだ。
魔術学院に入学してからは、学業に支障をきたすから譲渡する魔力量を減らしたいと交渉したが、魔力回復薬を使えばよかろうと一笑に付された。
魔力回復薬は便利な薬だ。
飲めば魔力がたちどころに回復し、自分が持つ魔力以上のことが可能になる。
重ねての使用は身体への副作用があるためご法度だが、そこを見極めながら魔力回復薬を上手に使える者が優れた魔術師でもあるらしい。
だが、リューリクは魔力回復薬を使えない。
薬からは忌避したくなるような存在感が感じられ、無理に飲めば激痛にのたうちまわることになる。
身体が無理だと、強い拒否を示すのだ。
魔力回復薬が使えないとわかった時、リューリクは魔術学院で、魔力不足になるわけにはいかないと考えた。
そうなれば魔力回復薬を与えられ、教師や生徒にリューリクが魔力回復薬を使えないことが知られてしまう。
知られてしまえば、なぜ使えないのかといらぬ関心を引くことは目に見えている。
それらを踏まえ、自分の中の魔力の量を見極めながら、リューリクはイリスへの魔力譲渡を慎重に行わねばならない。
細い、綱渡りのような感覚だった。
色々なことを試していって、その中で。
廃棄されるようなクズ魔石から僅かながら魔力を吸収し、回復することができると気づいた。
それから下町へ行くたび、クズ魔石を買い集めては魔力の足しにしている。
だが、どれだけ集めたところでクズ魔石による魔力の補充はないよりまし、という程度。
リューリクの自由にできる金銭は多くない。
金銭をかけず、かつリューリクに許された僅かな時間も削らず、効率よく魔力を回復する方法は、今はそれしかない。
成長と共に魔力の器が育ち、自分の持つ魔力量が増えることが一番だが、そうなれば王宮から要求される魔力量も増えるのだろうなとリューリクは頭の隅で考えていた。
魔術学院に入れられてから、明確な「終わり」は近づいているのが目に見えるようになった。
卒業までの3年間。
それが、リューリクに与えられた期限であった。
母に課された枷を取って、私は母を自由にしたい。
そして、叶うのならば。
精霊たちから母の心を取り戻したいと、願うのだ。




