魔術学院
「りー、うく」
言葉を覚えたばかりの弟は、私のことをそう呼んだ。
母の呼び方を真似たのだろう。
「リューリク」と、私を守るための名で弟は私を呼んだ。
兄とも姉とも名乗れぬ私は、それを拒絶しなかった。
弟と二人、母へ与えられた宮の庭で散策をしている時だった。
「どうした」
「ん!」
差しだされた弟の小さな手に握りしめられていたのは、赤く色づいた葉。
よほど強く握りしめていたのか、その葉は力なくへたってしまっている。
「くれるのか?」
弟は大きく頷いて、それをずいっと差し出した。
「ありがとう」
微笑んで受け取れば、弟はケラケラと喜んだ。
今年3つになる弟は私によく懐き、私の姿を見れば庭の散歩を必ずねだった。
その度に、私は母の脚に嵌められた重たい鉄の枷を思い躊躇する。
あれは、母が私に会うために負ったものだ。
私に会いたいと願った母を、足に鎖を着けることで王は許可をした。
「あのね、あのね!」
私にまとわりつく弟のことを、嫌いにはなれなかった。
あの男と同じ赤銅色の瞳が私を見ても、ただ愛らしいと思うだけであった。
15になった年、あの男は私を魔術学院へと放り込んだ。
そこは国で最も権威のある魔術師の養成機関で、魔術師を管理する魔術師協会からも正式な認可を受けている。
故に、そこで卒業資格を得ることができれば、中級以上の魔術師の身分を保証される。
魔術学院の入学年齢は10歳。
入学のために身分は求められず、魔力量と魔術への理解度が基準を満たせば誰でも良いと門戸は広い。
15歳からは、専門分野を学びたいことや目指したい職に合わせて講義内容がより細分化された選択式になり、その学年から編入学を希望する一定層もいる。
その多くは、高価な学費を節約したい平民で、その頃に編入学する生徒は『編入組』と指をさされることも少なくなかった。
その年からの学生には、国が学費を補助してくれるのだ。
私の出自は隠され、ただのリューリクとして魔術学院では過ごすようにと伝えられた。
そこでは寮生活を強いられ、私は宮を離れて暮らさなくてはならなくなったため、母とは離れることになる。
入学前に行われた魔力量の調査結果は入学を許される最低量だったらしく、軍所属を目指すために必要な訓練を学ぶ講義を選ぶことを指示された。
私はめいいっぱい、そこでの学習や訓練での評価基準に気を張った。
優秀だなんて、間違っても思われてはいけない。
使える便利な駒になるわけにはいかない。
学力も実技も、平均以下になるようにしていた。
試験の際は程よく手を抜き、何を問われても「わからない」とヘラヘラ笑った。
軍所属に必要な訓練に至っては、志願者は男性ばかり。その中で女である私に勝ち目など、ほぼないに等しいため下手な演技をする必要もなかった。
加えてサボり癖だ。
教官たちの間で、私は早々に評判の良くない生徒となった。
魔術学院は平民であっても王宮仕えの魔術師や軍部への所属の道が開ける場所だ。
身分制度が色濃いアルタリア国で、平民や下級貴族であっても学院で実力を示せば認められ、出世によっては土地や高位の身分も与えられる。
そんな中、家名もない平民で、私のように成績も態度も良くない生徒は珍しいらしく浮いてしまうが、下手に環境に馴染み、利用価値を見つけられてしまう方が困るというのが考えだった。
走り込みの訓練を、私はいつものように抜け出し、空き教室で手紙を書いていた。
寮は訓練中の出入りが許されておらず、また他人との相部屋のためあまり落ち着かない。
だから何か一人で作業をしたい時は、人気のないこういった場所やタイミングを選んでいた。
「字、綺麗なんだな」
声に驚いて、咄嗟に手紙を隠して顔を上げれば同室のヘンリーがそこに立っていた。
ヘンリーは平民の出身で、リューリクと同じ編入組かつ軍所属のための講義も一緒だ。
それで親しみを感じてか、よく声をかけてくる。
聞いてもいないのにヘンリーが自らの身の上話を隙あらば寮の自室で語ってくるため、リューリクは彼のことをよく知っている。
裏表のない人間なのだろう。
食べきれないとリューリクが残す学食を食べてもくれる、心優しい奴だ。
「走り込みの訓練はどうしたんだ?」
へらりと笑って問えば、ヘンリーは終わったと短く答えた。
そういえば同期の中で一番足の速いのがヘンリーだったなと、リューリクは思い出す。
「誰への手紙?」
多少読まれてしまっているだろうから下手な誤魔化しは通じないだろうと、隠さずに答えた。
「弟」
「へぇー、お前んとこの弟、字が読めるのか。うちの弟たちは全然だめだからなー。手紙書いても誰も読めねぇんだ」
感心したようにヘンリーは言った。
この国では、平民のほとんどが文字を読めない。
それ故、平民で魔術学院に入った者はまず文字を学ぶ。
平民であるヘンリーもその口で、持ち前の運動能力の高さで実技は常に上位だが学力試験ではいつも苦しみ、常に底辺を彷徨っている。
「そんな綺麗な字を書けるなら、記録係とかいいかもな。平民同士だと実技の記録つけても、きったねー字ばっかで全然読めねーの」
立ち上がって教室を出れば、ヘンリーも私の後をついてくる。
「なにか?」
笑みを浮かべて問えば、ヘンリーは歩調を少し早めて私の隣へ並んだ。
「どこ行くのかなーって」
「訓練どーするの」
走り込みの訓練の後も、他の訓練が山ほど詰め込まれていたはずだ。
早くノルマが終わった場合には、多少抜けても支障はないだろうが……。
「俺もサボっちゃおうかなー」
軽い調子で言ったヘンリーに、リューリクは足を止めた。
「軍での出世を目指すなら、私のようなバカな真似は決してしないことだ」
平民であれば特に、日頃の訓練態度が出世に響く。
私は出来損ないでいたいから、こうしてくだらないことを繰り返している。
ちょうど窓が開いていたので、私はそこから外へ出た。
塀をつたって建物の屋根まで登りきる。
「ちょ、え……!?」
ヘンリーは窓へ駆け寄り、リューリクが屋根の上を歩いて行くのを呆然と見上げた。
魔術学院へ放り込まれて三月もすれば、講義をサボってばかりで成績もよくないリューリクは所謂、落ちこぼれの烙印を教師陣から頂戴した。
そんなリューリクへと積極的に声をかける者は魔術学院にいなかった。
「リューリク!今日は講義に参加するのか?」
……僅かな変わり者を除いては。
食べ終わった食器を片付けているリューリクへと声をかけてきたのは、訓練生の中でも一際背の高い男だ。そして、落ちこぼれとして遠巻きにされているリューリクに時折声をかけてくる変わり者の一人だ。
名をイヴァンと言う。
人とあまり会わないように、一番早い朝の時間を選んで食事をしているのになぜ、というため息を呑み込んで、リューリクは人当たりの良い笑みを浮かべた。
「やぁ、イヴァン。もちろん参加するさ」
「それなら俺とペア組まないか。今日は魔術陣の講義だろ?」
リューリクは笑みを浮かべたまま首を傾げた。
「なぜ、私と?」
「だってお前、いっつも綺麗な陣描いてるだろ。俺苦手でさ。コツとか教えてほしいなぁーって」
もちろんリューリクは、その講義においても下の方を彷徨っていた。それ故、なぜイヴァンが講義のペアにわざわざ自分を選ぶのかがわからなかった。
「僕、魔術の成績よくないよ」
「そんなの構わねーって。陣が綺麗な奴と組みたいんだ」
その後始まった魔術陣の講義の時間に、イヴァンは言葉通りリューリクのもとへとやって来た。
「俺の陣、見てほしいんだ」
そう言ったイヴァンの陣は子供の落書きのように読み取りづらいもので、それを見たリューリクの眉間には皺が寄った。
「術が思い通りにならなくってさ。誰に聞いても陣が悪いって言うんだけど、そこを教えてくれって頼んだら汚すぎてどこから言ったらいいのかわからんってみんな逃げるんだ」
魔術の使用には魔術陣が必要だ。
陣が安定すれば、それに伴い魔術も安定する。
安定した陣を描くために必要なのは、陣に一定の魔力を注ぎ続ける正確な魔力操作と、使用する魔術陣が持つ特性の把握だ。
「魔力操作が下手だね」
陣がうまく書けない主な理由はそれだろう。
「陣、描きづらいんでしょ?」
リューリクが問えば、イヴァンはそうなんだよ……と、肩を落として答えた。
気付いた修正点はいくつかあったが、一番の問題であろう点だけをリューリクは伝えることにした。
「均一に魔力を放出する練習をすれば、陣も描きやすくなると思う」
「それってどうやるんだ?」
この国で魔術の素養のある者は、身分に関わりなく国の各地に点在する教会で魔力操作について学ぶ。
それは表立っては魔力を暴走させる事故を防ぐためであるが、恐らくは優れた魔力量を持つ人間を国が把握しておくためだろうとリューリクは考えている。
均一に魔力を放出する方法は、魔術を行使するうえで必要不可欠なため、教会で真っ先に教わるはずのもの。
リューリクは尋ねた。
「教会で教わらなかった?」
「俺、魔力少なくてさ。陣を描くほどの魔力ないからって教会では実践したことなかったんだよね。成長して魔力が増えたのか、陣は描けるようになったんだけど、このありさまさ」
ふわりふわりとイヴァンの周りを漂う精霊たちの様子を見たリューリクは、イヴァンが陣を描けなかった理由は魔力の少なさではないだろうと考えた。
魔力を好む精霊は、自然と魔力の多い人間へと寄っていく。
幼少期についてはわからないが、今は精霊たちが近寄る程度には魔力を持っているはずだ。
それに、陣を描いていた時のイヴァンの身体の魔力の巡りが悪かった。
おそらく、幼少の時に魔力操作をきちんと行わなかったので身体の魔力を通す線、魔力回路がうまく通っていないのだろう。
「独学でずっと描いてたの?」
「まあね。どうしても諦めきれなくてさ。誰も本気にしてくれないから、こっそり練習してたんだよ。でも、なんとか描けるようになった陣はこのあり様さ。魔力量は足りてるからって、とりあえず入学許可は出たんだけど、ちょっとやばいなって」
イヴァンは編入組の平民だ。
数少ない平民仲間だとヘンリーが言っていたので知っている。
貴族や10の頃から魔術学院で学んだ者は、魔術について幼少の頃より専門の教師や学院で学んでいる。故に、教会で基礎のみを学んだ平民たちとは違い、このような初歩的な訓練で躓いている様子はない。
リューリクはその貴族の一人に、イヴァンのことを投げることにした。
「フェルナンドって知ってる?」
その名を聞いたイヴァンはぎょっとした顔をして、声を潜めて言った。
「成績トップのお貴族様だろ!知っているに決まっている」
「魔力の均一な流し方を知りたいって聞いたらいい。面倒見いいから教えてくれるよ」
フェルナンドは高位貴族の三男で、温厚な性格だ。
平民のイヴァンにも快く対応してくれるはず。
今回の魔術陣の講義は二人一組でペアを組み、互いに魔術を撃ち合って相殺させ合うという内容だった。相殺させるためには、相手の魔術の威力と特性を瞬時に見極め、それに見合った自身の魔術を素早く打ち出す能力が求められる。だがイヴァンの場合、魔術を打ち出すことがやっとの状態のため、まずは安定して魔術を打ち出せるようにする訓練が必要だった。
編入組の平民にはそういったイヴァンと同じ状態の者も多く、四苦八苦している様子があちこちで見かけられた。
「やぁ、フェルナンド」
リューリクはペアも作らず暇を持て余している様子のフェルナンドに近づき、声をかけた。
「なんだい、リューリク。また証拠偽装の手伝いかな」
リューリクは笑って首を振った。
「ちがうちがう。魔力を身体に流す感覚を教えてほしくてさ」
フェルナンドはリューリクの後ろについてきていたイヴァンを見つけて、「彼にかい?」と言った。
イヴァンは貴族であるフェルナンドを前に緊張していたが、彼の親し気な様子に目を丸くして驚いている。
「ほら、そういう細かいこと。君は得意だろう」
フェルナンドは少し考えてから頷いた。
「では城下に来ていると噂の、旅の踊り子と上手い食事で手を打ってやろう」
「高くつきすぎじゃないか?」
「彼が問題なく魔術を扱えるようになるまできちんと教えるよ?」
「仕方ないな」
リューリクはイヴァンを振り返った。
「教えてくれるってさ。よかったな、イヴァン」
フェルナンドとイヴァンは互いに軽く挨拶をするとさっそく、フェルナンドはイヴァンに魔術を使ってみるようにと言った。
イヴァンの不格好な魔術陣や、上手く流れていない魔力を視たフェルナンドは頷いた。
「なるほどね」
フェルナンドは珍しい魔力を視る目を持っている。
リューリクの思った通り、一目見ただけで問題点がわかったようだった。
「ちょっと手を貸して」
フェルナンドはイヴァンの左手を取ると、右手から魔力を細い糸のように放出するイメージを持つようにと言った。
「今から僕の魔力を君の身体の魔力回路に流すから、君は拒絶せずにそれを受け入れてほしい」
魔力を他者へ流す行為は、繊細な魔力制御を求められる高度なことだ。
通常、他者の魔力は反発してしまうもので、無理に魔力を合わせるような行為は強い痛みを与える。
ごく少量で、かつ短時間。
自分の魔力の特性を抑え、完璧に制御することのできる者でなければ、迂闊に行って良いものではない。
リューリクの目には、イヴァンの身体の中でとどまっていた魔力の流れがフェルナンドの魔力に押されて動き始めるのが見てとれた。
イヴァン自身も自分の体の中の魔力の流れを感じるのか、わっと驚きの声をあげている。
フェルナンドはイヴァンから手を放し、「そのまま魔術陣を描いてごらん」と言った。
そうしてイヴァンの描いた魔術陣はまだ歪ではあるが、先ほどよりもはるかに陣としての形をしていた。
イヴァンは驚きに目を見開いて、自身の両手をじっと見つめた。
「今まで感じたことのなかった感覚だ……。これが魔力ってやつなのか」
杖を使わずに描いた魔術陣はすぐさま霧散してしまったが、感覚として充分なものをイヴァンは得られたのだろう。
魔術とは、一以上の魔力を持った者が杖を使って魔力で魔術陣を描き、呪文を唱えることで発動する。
魔術陣は杖なしでも描くことはできるが、魔力が安定せず術が発動する前に霧散してしまう。
一部、杖なしでも魔術を使える者は存在するが、それはごく一握りの才を持った者で、多くは自分にとって相性の良い杖を使っている。
だが杖は高級品のため、平民の多くは教会で支給された初歩的な杖を使い続ける。
リューリクは杖を持たなかった。
離宮に閉じ込められていたため、教会になど行ったこともない。
リューリクに魔術を教えてくれた人も杖を持たなかったため、魔術学院へ入学した際に杖というものを一般的には使うのだと、はじめて知った。
リューリクは精霊たちに頼んで似たような見た目の木の枝を拾ってきてもらい、それを簡易に加工したものを杖と称して持ち歩いている。
魔術陣の講義終了後、イヴァンはリューリクに礼を言った。
フェルナンドという貴族と成績下位であるリューリクに交流があったことに驚きながらも、魔術を使えたという感覚を純粋に喜んでいるようだった。
リューリクはよかったなと頷いて返した。




