リューリク
ー母のかけた祝福が、いまだに私を守っている。
月の美しい晩、母は愛らしい男の赤子を産んだ。
父を殺し、胴と離した頭を野ざらしにした憎い男の赤子だ。
母の部屋から閉め出されていたリューリクは、宮の探索中に見つけた母の部屋に接する秘密の抜け穴の中で、その産声を聞いていた。
母が産んだのならば、半分は自分と血の繋がる存在。
けれどリューリクは、素直に喜ばしいとは思えなかった。
風の精霊たちが運んでくる、出産の手伝いにやってきていた産婆や侍女たちが口々に言う「おめでとうございます」という声が、耳をすり抜けてゆく。
それ以上祝いの言葉を聞きたくなくて、リューリクは急いでその場を離れた。
けれども精霊たちが声を届けるものだから、その赤子の性別が男だということを知った。
「もういい!もういいってば!!」
かけるようにして庭へと出て、がむしゃらに走って見つけた草むらの影へとしゃがみ込む。
両耳をぎゅっと手で塞いで、形容しがたい感情を抑え込むように唇を強く噛む。
泣いてはいけないと、身体を縮めて小さくなった。
リューリクは、母にかけられた呪縛を知っている。
母の部屋に刻まれた精霊避けの陣。
護衛という名の監視の目。
リューリク自身の存在。
そして、先ほど産まれたばかりの赤子。
母に自由はない。
何をしたのか、話したのか。
母の全てがあの男へと伝わってしまう。
そしてそれは、リューリクとて同じこと。
母ほどではないが、宮の使用人や護衛たちはリューリクの言動についても常に意識しているのだ。
目立つことをすれば、リューリクに残されたわずかな自由も失ってしまう。
わかっていたが、こうして夜中に部屋を抜け出して、母の様子を伺いに行った。
ー夜中、精霊たちが騒ぐから。
頼んでもいないのに、慌ただしい使用人たちの声を届けに来た。
産まれると、わかった瞬間身体は動いていたのだ。
それから日が昇るまで。
ずっと、頭の中には赤子の産声が響いていた。
リューリクは唇を強く噛み締めて、身を縮めて。
その泣き声が止むまで、しゃがみこんだ草むらの影から動けなかった。
明るみだした空に気づいて、リューリクはのろのろとした足取りで何食わぬ顔をして与えられた部屋へと戻った。
そしてその日の夜。
リューリクは、またひっそりと部屋を抜け出し母の部屋へと向かった。
昨日も使った抜け穴の中で耳を澄ませば、母の子守唄が聞こえてきた。
それは、リューリクも幼い頃に唄ってもらっていたものだ。
我慢できなくなって、僅かに空いた隙間から母の部屋を覗き見た。
見えたものに、リューリクは目を見開いた。
母はその赤子を腕に抱き、笑っていたのだ。
赤子が産まれてから、リューリクは母の歌う子守唄を聞きに、毎夜遅くに母の部屋に接する秘密の抜け穴へと忍び込んだ。
リューリクは母との面会すらも許されぬというのに、憎い男の子は赤子という理由だけで母の腕に抱かれている。
その事実に少々腹立たしさを感じながらも、リューリクは毎夜通い続けた。
母の歌を聴いていなければ、リューリクは平常心を保っていられる自信がなかったから。
赤子の首が座る頃、リューリクは母との面会が許された。
母の出産以来、会うことのなかった母との久しぶりの再会に、リューリクは喜びと同時に緊張を伴ってその扉を開いた。
「リューリク、あなたの弟よ」
少し痩せたように見える母から差しだされたその赤子を戸惑いながらも受け取ると、温かさがじんわりと赤子に触れている部分から伝わった。
腕に伝わる確かな重みと、赤子特有の甘い匂い。
私を見上げる瞳の色は、あの男と同じ赤銅色。
あれほど憎い男の子であるのに、リューリクはその赤子を殺したいとは思えなかった。
「かわいらしいですね」
慣れぬ手つきで赤子を抱くリューリクを見て、母はふわりと笑った。
「リューリク。あなたの子も、いつかこの母に抱かせてちょうだい」
複雑な立場にあるリューリクにとって、それはあり得ぬ未来だと思ったが、母の望みを否定したくはなかった。
「いくらなんでも、わたくしには早すぎますよ、母上」
だから、そう言って誤魔化した。
母が笑っていられるなら、この赤子の父が誰であろうと構わないと、そう思った。
リューリクは大陸の北東部にある小さな国。そこの王家の長子として産まれた。
国は小さいが女性王族に時折現れる不思議な力と、その国の特殊な成り立ちから、周辺国からは『精霊に愛された国』と呼ばれていた。
ーだからだろうか。
魔術大国として広く知られるアルタリア国が、同じユトカ同盟に所属する我が国へ軍を伴って侵略してきたのは。
母は先代王の一人娘で、公爵子息であった父はその母に婿入りをし王配となった。
王族特有の銀の髪と緑色の瞳を持ち、大層美しかった母は、適齢期には他国の王族から山のように縁談が届いていたらしい。
けれど、母は古くからの幼馴染でもある父を選んだという。
「だって、彼しか考えられなかったんですもの」
なぜ父を選んだのか。
そう尋ねたリューリクに、母は幸せそうに顔をほころばせて言った。
母は、父を愛していた。
我が国の女性王族には、時折精霊の力を持つ者が生まれる。
それ故、王家に生まれた子どもは15になるまでその性別がわからないよう、皆男として育てられるのが通例だった。
女性王族として生まれたリューリクは、本来の名前とは別に父母から「リューリク」と男の名をもらい、人前ではその名で呼ばれていた。
女の子らしいものとは縁遠い暮らしではあったが、リューリクはそれほど嫌ではなかった。
王宮の奥宮では女の姿も、女の遊びも強く制限されることはなく。
なにより父母に愛され、大切に育てられていたのだから。
15になるまで、王宮から出てはいけない。
リューリクに課せられた制限は、それだけだった。
リューリクが10の頃。
同盟国との会議へ行った父が戻らぬと、母が不安そうにしていたのを覚えている。
4年に一度、大陸中のユトカ同盟に加盟する国の重鎮が集まるというそれに、母は一度も参加したことがない。
母が他国の王族に取られてしまうのではと心配した父が、「国の代表が一人いればいいだけだから」と行かせなかったのだ。
歴史は古く、精霊の曰くつきのある国ではあったが、大陸列強の国々と比べると吹けば飛ぶような国力の我が国では、母を守り切れないと案じていたのだろう。
母も私も、会議へ行く父を心配性だと笑いながら、見送った。
他国の、婚姻済みの。
それも子のいる王族を無理に欲しがる国などないと思っていた。
父は母が大好きなんだと、子ども心にむずがゆいような心地で考えていた。
帰国予定よりも2日遅れて、父は帰ってきた。
胴をなくし、物言わぬ首だけの姿となって、帰ってきた。
父の首を槍に掲げ持って来たのは、アルタリア国の王だと名乗る男だった。
男は視界に収まりきらぬほどの兵を引き連れ、女王である母とその子であるリューリクの引き渡しを求めた。
さすれば誰も殺さぬと、圧倒的な兵力を見せつけながら言ったという。
母の行動は早かった。
国の後事を信頼する大臣に託すと、いつものように王宮の奥宮で遊んでいたリューリクを呼んだ。
「ははうえっ!」
何も知らない私は、笑顔で母へと駆け寄った。
「今日はお早いのですね!ちちうえは帰られましたか?」
母は、駆け寄った私を痛いほど強く抱きしめた。
「リューリク」
母が呼ぶ自分の名前に、私は戸惑った。
それは、公式行事の際に呼ばれる外の名前だ。生活区域である王宮の奥宮で、これほど近い距離にいる時に、母がその名を呼んだことは一度もなかったというのに。
「ははうえ?」
「あなたは今この時からリューリクよ。この母が良いと言うまで、男であるリューリク」
それからのことを、リューリクはあまり覚えていない。
確かなのは、それから母が二度とリューリクの本当の名を呼ばなくなったことだった。
母は精霊の力を持たなかった。
精霊の姿を見ることはなかったし、超常的な何かを起こしたりもできなかった。
けれどなぜか、アルタリア国の王は母を欲した。
特別な力が目的でないなら、精霊の力に関する女性王族の血だろうか。
それとも、母の人並み外れた美しさだろうか。




