俺様
一方で、ヒロトの相手をしているのは、頭にバンダナキャップを巻いた筋肉質な男だ。
「俺様は竜胆マヒト――法そのものだ」
「ほ、法……そのもの……?」
「難しいことじゃない。俺様の気分に隷属することが、お前にとって最も賢明だ」
この男の思考回路は、極めて単純明快だ。無論、彼が自分軸に凝り固まった人間であることは火を見るよりも明らかである。それでもヒロトには、彼のことが理解できない。人間性において、単純であることと理解できることは別の話なのだ。
「お、俺が、お前に、し、従わなかったら?」
「その場合、お前をぶん殴ることがより痛快になる。俺様は相手を思い通りにすることも好きだし、思い通りにならない奴に罰を与えるのも好きだからな」
「ばっ……罰だと! お前は、何様の、つ、つもりなんだ!」
質問を続けてもなお、ヒロトには眼前の男のことがわからない。一方で、マヒトは臨戦態勢である。
「は? 俺様の気を損ねたら痛い目を見るのは当然だろ。それが正しい」
そう言い放った彼は、アッパーカットを繰り出した。その拳は銀色に輝き、鉄のような素材と化していた。ヒロトが驚いたのも束の間、マヒトは鋼鉄と化した肘を前方へと突き出す。その肘打ちは、ヒロトのみぞおちを深く抉った。
「なっ……なんなんだ、お前!」
ヒロトは困惑しつつも、目の前の標的に殴りかかる。その拳は爆発を起こしていくが、マヒトには通用していない。竜胆マヒトという男は、自らの肉体を、文字通り鋼に変えられるのだ。
「同じことを何度も質問するのか……要領が悪いんだな」
「お、お前の、言ってる内容じゃ、なくて、お前が、り、理解できない!」
「つまりお前は、俺様に殴られるべきだということか!」
そんな暴論を口にしたマヒトは、鋼鉄の拳を突き出した。殴り飛ばされたヒロトは、後方の壁に叩きつけられる。今目の前にいる相手は支離滅裂でありながら、かなりの強敵だ。
「お、お前は、ひ、人の気持ちを、考えないのか!」
「愚問だな。俺様の人生において、俺様以外の何が大事なんだ?」
「俺にも、ほ、他の皆にも、それぞれの、人生が、あるんだぞ!」
満身創痍の体を奮い立たせ、ヒロトは声を張り上げた。彼は何度もマヒトを殴りつけ、爆炎を振りまいていく。それでも彼は、まるで善戦できていない有り様だ。眼前の鋼の肉体が全くの無傷である一方で、彼の拳は内出血で変色していた。
そこでマヒトは提案する。
「ここで撤退してくれないか? 俺様がお前を倒すより、お前が自主的に勝利を諦めてくれた方が気持ちいいことに気づいたんだ」
どこまでいっても、この男は己の快楽を重視していた。無論、彼の発言はヒロトの怒りを買う。
「だ、誰が……お前の、思い通りに、なるか!」
「そうか、残念だ。俺様は立場を知らしめるために相手を殴りたいわけであって、相手を倒したいわけではないのだが……」
「何が、立場を……知らしめる、だ! お、お前は、自己中で、醜い!」
無論、今のヒロトの感情は、怒りだけではない。この時、彼は小刻みに震えていた。この時、彼は命の危機を感じていた。相手がどんなに間違っていようと、もはや何も関係ない。圧倒的な力を前に、正しさとは無力なものなのだ。
「俺様が中心であることは普遍的だ。俺様の気分が全てだと仮定してみろ。何も矛盾しないし、何も間違っていない」
「何もかも、お、おかしいんだよ! それは!」
「俺様に合わせることが普通で、それ以外がおかしい。つまりおかしいのはお前だ」
言うならば、マヒトは決して弁が立つわけではない。ただ、彼には常識的な価値観が通用しないだけなのだ。
「こ、言葉が通じるのに、それ以外、何も、通じない……」
そう呟いたヒロトは、引きつったような苦笑いを浮かべていた。




