表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/5

第四話・逢坂の静寂、赫き相貌

「たとえ鬼殺の仲間であろうと、私にとっては……道を塞ぐ『ただの障害』でございます。駆除いたします」


引き抜かれた愛刀『薄緑』の刀身が、冷たい月光を浴びてぎらりと冷酷な光を放った。一ノ谷、壇ノ浦で無数の人間の血を吸いながらも不気味なほど瑞々しい若葉色を保っていたその刃。しかし今、その美しい緑の地肌には、どす黒い緑の斑点がまるで毒の毛細血管のようにべっとりと、呪いのようにこびりついていた。


義経は馬の背から音もなく滑り降りると、愛馬の尻を優しく、しかし力強く叩いて解き放った。

ここからは地を這い、宙を駆ける激闘になる。馬を連れていては足手まといになるという、極めて合理的で冷徹な判断だった。


パカパカと夜闇へ遠ざかっていく蹄の音を背に受けながら、義経は五人の精鋭たちを、氷のように冷たい双眸で見据えた。


「技すら使えない方々が、僕を止められるとでも?」


その一言には、かつて共に闇を狩った同胞への情など微塵も感じられない。ただ冷酷な事実を突きつけるための、静かな蔑みであった。

対する五人の剣士たちは、後世の時代のように体系化された「呼吸の型」こそ扱えないものの、その純粋な剣技、間合いの取り方、そして極限まで練り上げられた身体能力は、大正の世の「柱」に万に一つも引けを取らぬ、人間強度の頂点に位置する傑物たちであった。


「――打って出るぞ! 構えろ!」


先頭に立つ二十代前半ほどの剣士の鋭い号令とともに、五人の影が同時に爆ぜた。

呼吸の技を持たぬ彼らだが、その連携は一糸乱れぬ神速。二人が左右から地を這うような軌道で肉薄し、一人が完全に死角である真後ろから首筋を狙う。さらに残る二人が上空からの退路を断つように跳躍する、時間差のない五方同時不壊の陣。


ガッ!!!


すさまじい風圧とともに土煙が舞う。しかし、中心にいたはずの義経の身体は、すでにそこにはなかった。

ぬかるんだ泥の上。超人的な跳躍の際、わずかな踏み込みのブレも許さぬよう、足首に肉が食い込むほど幾重にもガチガチに縛り付けられた「止め紐」。その緊縛が義経の体幹を完璧な錨として固定し、彼は人間の骨格では不可能な「真横への直角スライド」によって、五人の同時攻撃を紙一重でかわしていた。


「なっ……!?」


「流れませんよ、僕の足は。――『風ノ技・壱、塵旋風・削ぎ』」


カァッ、と大きく吸い込まれた息が、義経の肺腑を爆発的に膨張させ、全身の脈を跳ね上げる。

地を蹴る音すら置き去りにした、凄まじい烈風の旋回。

交錯した次の瞬間、左右から肉薄した二人の剣士の胴体が、内臓ごと真横に一文字に両断されていた。彼らは自分が斬られたことすら気づかぬ絶命の顔のまま、物言わぬ肉塊となって泥に転がる。


「馬鹿な……! 一撃で二人が……!」

「怯むな! 距離を詰めて囲み続けろ! 空間を与えるな!」


剣士が叫び、残された三人が死に物狂いの猛攻を仕掛ける。技を扱えずとも、彼らの剣線は凄まじく重く、速い。風の呼吸の原型たる義経の服を切り裂き、その白い肌に微かな血線を刻んでいく。


だが、どれほど凄絶な剣戟の応酬が続こうとも、義経の足元だけは、大地に根を張った大樹のように一ミリもブレない。泥を蹴り、宙を舞い、三次元の軌道で翻弄するのは義経の側であった。


「――『風ノ技・弐、白雨・乱れ斬り』」


義経が放った新たなる技。空中からの全方位、全密度にわたる狂乱の乱撃。暴風の壁が迫るようなその一撃の前に、さらに二人の剣士が防戦一方のまま日輪刀ごと叩き割られ、首を撥ねられた。


「九郎……お前は、本当に、人なのか……!」


残されたのは、あの若者の剣士ただ一人。

周囲には、かつて共に鬼を狩り、未来を語り合おうとした同胞たちの死体が転がっている。しかし、義経の顔には、汗一つ、眉の微動一つない。ただ事務的に、害虫を間引いたかのような冷徹な無表情。


「……引き返しなさい。あなたを殺しても、無惨には近づけない。これ以上の『誤差』は不要です」


義経は薄緑にこびりついた同胞の血を、親指で静かに拭いながら告げた。

生き残った剣士は、己の限界を悟っていた。今ここで自分が意地を張って死ねば、この「源九郎義経という怪物の誕生」を御館様に伝える者がいなくなる。

剣士は溢れ出る涙を噛み締め、無念の咆哮を上げながら、夜の闇の向こうへと脱兎のごとく撤退していった。義経はその背を追うこともしなかった。彼にとっては、生き残りが一人逃げようが、鎌倉へ向かう歩みを止める理由にはならなかったからだ。



数時間後。京の都の最果て、産屋敷邸。

血塗れになり、満身創痍で帰還した剣士は、御館様の前に崩れ落ちた。


「御館様……申し訳、ございませぬ……! 九郎を止めること、叶わず……! 我ら五人、技を持たぬとはいえ皆、腕自慢でありながら……九郎の『風の技』の前に、四人が瞬く間に屠られました……。奴は、あいつはもう、人の理を完全に捨てておられます……!」


「そうか……。私の、不徳だ……。あの子を、救えなかった……」


御館様はガハッ、と激しく血を吐きながら、盲いかけた目で天井を仰いだ。

かつてこれほどまでに純粋で、それゆえに凶悪な怪物を、鬼殺の身内から生み出してしまったことへの絶望と悔恨が、その胸を激しく締め付けていた。



同じ頃、徒歩で鎌倉へと向かう義経は、京と近江の国境にあたる逢坂山の深い山道に差し掛かっていた。

東の空が白むにはまだ遠い、夜が最も深まる丑三つ時。


突如として、奇妙な現象が起きた。

それまで義経の味方であり、彼の呼吸の源であったはずの「夜風」が、ピタリと止んだのだ。

木の葉一枚動かない。虫の鳴き声すらも、一瞬にして圧殺されたような完全な静寂。世界から「空気の循環」そのものが消え失せたかのような、不気味で異様な拒絶の空間。


風の申し子である義経が、その違和感に足を止めた、まさにその瞬間だった。


「――ふ、鬼が如き強さで鬼、人問わず、無表情で斬り捨て歩む足を止めない者がいると聞いて見に来たが。お前か」


ぬるり、と。

闇そのものが肉体を持ったかのように、義経のわずか数歩先の山道に、男が立っていた。


黒い高級な小袖を纏い、波打つ漆黒の髪。そして、闇の中でも血のように妖しく発光する、人間のそれとはかけ離れた、割れた縦長の瞳孔を持つ紅い瞳。

その男がそこに現れるまで、義経の超感覚は、足音はおろか、呼吸の音、衣擦れの音すらも一切感知できていなかった。視界に入るまで、完全に「無」だったのだ。


(ッ?!)


義経の視界が恐怖に染まる。視界に入るまで全く気付かなかった。なんだこのとてつもなく凄い圧迫感は。死しか感じない。


義経の全身の細胞が、一斉に恐怖の悲鳴を上げた。

これまで戦ってきたどんな鬼とも、どんな強者とも根本から次元が違う。その男がそこに立っているというだけで、周囲の空間の重力が何倍にも跳ね上がったかのような、凄まじい威圧感。

呼吸が浅くなる。心臓が今までにない速さで脈打ち、脳の奥がパニックを起こしそうになる。五感が、本能が、目の前の存在を「鬼の王」であると告げていた。


(間違いない……こいつが、こいつこそが……鬼舞辻無惨……!!!)


どれだけ追い求めても、どれだけ血の海を泳いでも届かなかった、夜の絶望の元凶。それが今、向こうから、退屈しのぎの玩具でも見つめるような冷酷な目で、目の前に立っている。


恐怖でガタガタと震えそうになる全身の肉体を、義経は、足首の紐の食い込むような激痛によって強引にねじ伏せた。


ガキィッ!!!


反射的に、義経は『薄緑』を抜き放ち、上段へと構えた。刀身に走る黒緑の斑点が、無惨の紅い瞳に映って禍々しく揺れる。

圧倒的な死の気配に呑まれそうになりながらも、その奥底にある執念の炎を燃やし、最凶の天才剣士は始祖の化け物を真っ向から睨みつけた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ