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6 バレて⋯ない?

 授業が終わり、講堂には興奮冷めやらぬ生徒たちの喧騒が渦巻いていた。



(……早く、早くここを出なくちゃ)



 私は逃げるように荷物をまとめ、鞄を抱え込んだ。


 心臓が、耳の奥でうるさいほどに脈打っている。さっき、お兄様の奏でる「歪んだ音」に抗えず、無意識に指を動かしてしまった。


 もし、あの運指を見られていたら。

 音が聞こえないはずの私が、お兄様のトラップに完璧に反応していたと知られたら――。



 その時、私の視界に、白いコートの裾が翻った。


 息が止まる。見上げると、そこには教壇から降りてきたユリアンお兄様が立っていた。


「……っ」


 声にならない悲鳴が喉に張り付く。周囲の生徒たちの視線が一斉にこちらに向くのを感じて、私は全身を硬直させた。


 お兄様は、怯える私を安心させるように、ふわりと穏やかな笑みを浮かべた。そして、手元に持っていた一冊のノートとペンを、私の机の上にスッと置いた。

 サラサラと、流麗な文字がノートの白紙を埋めていく。



[久しぶりの講義で少し緊張したよ。最後列の君の席まで、僕の指揮はちゃんと届いていたかな?]



 心臓が跳ね上がった。


(指揮……! やっぱり、私があの時タクトを追うように指を動かしていたのを、見られていたんだ……!)


 頭のてっぺんから血の気が引いていく。


 お兄様は眼鏡の奥の瞳を細め、私の反応を待っている。その視線は、優しく微笑んでいるようにも、獲物を観察しているようにも見えた。


 震える手でお兄様が置いた万年筆を握り、私はノートの次の行に、消え入りそうな文字を書いた。


[はい。とても……綺麗でした]


 本当は、一箇所だけ致命的に歪んでいた。けれど、それを指摘することは、私が「音」を理解していると白状するようなものだ。私はただの無能な置物として、感動したフリをするしかなかった。



 お兄様は私の書いた文字をじっと見つめると、ふっと満足そうに表情を緩めた。


 そして、私の震える指先を包み込むようにして、そっと万年筆を抜き取った。一瞬だけ触れたお兄様の指先は、記憶にあるよりもずっと熱くて、私は思わず肩を跳ねさせてしまう。


そんな私の動揺を面白がるように、お兄様は最後のメッセージを書き加えた。


[ありがとう、アリア。君にそう言ってもらえると嬉しいよ。魔法のことで分からないことがあれば、いつでも僕のところへおいで]


 ノートがパタンと閉じられる。


 お兄様は最後に私の頭をポンと優しく撫でると、そのまま私の耳元に顔を寄せ、内緒話でもするような距離感で微笑んだ。


「きゃあ……っ!」

「いいな、アリア様……」


 周囲の女子生徒たちから、羨望と黄色い悲鳴が混ざった「熱い振動」が伝わってくる。音が聞こえない私でさえ、空気がピンク色に染まったのが分かるほどだった。


 お兄様はそんな騒ぎを気にする様子もなく、優雅な足取りで講堂を去っていった。



(……あれ?)



 嵐が過ぎ去った後のような静けさの中で、私は呆然とノートを見つめていた。


 追及されなかった。怒られもしなかった。お兄様は、私が音楽に感動して、ただ無意識に手を動かしていただけだと思ってくれたのだろうか。



(良かった……! バレてない、んだよね……?)



 張り詰めていた緊張が一気に解け、私は机に突っ伏したいほどの深い安堵に包まれていた。



 けれど、去っていったお兄様の背中が、どことなく楽しげに揺れていたことに、この時の私はまだ気づいていなかった。

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