4 子守唄か、罠の旋律か
ユリアン視点です。
図書室の重い扉を閉め、ユリアンは一人、夜の静寂が支配する廊下へと踏み出した。
背後からは、微かに万年筆の走る音が聞こえてくる。何も知らずに、安堵と共に課題を再開した妹の、規則正しいリズム。
「偶然、ね……」
ユリアンは歩きながら、眼鏡の奥の瞳を鋭く細めた。
彼の脳裏には、先ほどアリアの机の上で見た「解答」が、鮮明な魔力の残響として焼き付いている。
ユリアンがペンで囲った箇所。それは、この世界の魔法理論では「非効率」とされる数式の配置だった。魔力を増幅させるためには、もっと荒々しく、力強い記号を並べるのが正解だ。
だが、アリアが書き換えたそれは、まるで精密な銀時計の歯車を噛み合わせたような、異常なまでの静謐さを保っていた。
「理論を無視して、ただ"美しさ"だけで魔法を構築したというのか。……音が聞こえないはずの、君が」
ユリアンの口角が、無意識に吊り上がる。
彼は知っている。この美しさは、天性の感覚を持つ「指揮者」が、魂で音を配置した時にしか生まれない代物だ。 この世界の理論とは違う、異質な音楽。
(隠しているね、アリア。君は、僕が思っているよりもずっと深く、この世界の"音"に触れてしまっている)
怯えたように震えていた彼女の指先を思い出す。
彼女は自分の才能を、何よりも恐ろしい「呪い」だと思い込んでいるようだ。だから、僕にさえ嘘を吐いて、繭の中に閉じこもろうとしている。
「いいよ、今はまだ泳がせてあげよう」
ユリアンは眼鏡のブリッジを押し上げ、冷徹な魔導学者の瞳で夜の闇を見つめた。
逃がすつもりは毛頭ない。
明日からの授業。その次の日の放課後。
少しずつ、彼女が隠し持っている"正解"を暴き、その薄皮を剥いでいく。
追い詰められ、逃げ場を失った彼女が、最後に僕の前でどんな音を奏でてくれるのか。
「楽しみだよ、僕の小さな神童。君のその完璧な嘘が、いつ不協和音を上げて崩れるのか……」
ユリアンのゆったりとした足音が、闇の中で一際鋭く響いた。
それは、妹を守るための「子守唄」か、あるいは獲物を捕らえるための「罠の旋律」か。
彼自身にも、まだその答えは分からなかった。




