12 銀の余韻
【第二楽章】
旧校舎の奥にある図書室。そこは、私に残された唯一の逃げ場だった。
重厚なオークの扉に手をかける。指先から伝わる古い木肌の感触は、ひどく冷たく、そして確かだ。音が消えた世界で、この「触覚」だけが、私がまだ生きていることを教えてくれる唯一の証だった。
ゆっくりと扉を押し開ける。
いつもなら、そこには埃っぽい匂いと、吸い込まれるような完璧な「無音」が待っているはずだった。聴覚を失い、魔法を捨てた私が、世界から切り離されて独りになれる、優しい繭の中。
けれど、その日の静寂は、いつもと違っていた。
(……誰か、いるの?)
空気の密度が、わずかに震えている。
視線を上げると、窓際の席に一人の青年が座っていた。
アッシュブルーの髪が、傾きかけた陽光に透けて銀色に輝いている。彼は手にした古い譜面から顔を上げると、驚いたように、けれどどこまでも穏やかなアイスグレーの瞳で私を見つめた。
逃げ出そうと足が竦んだ、その時。
彼は迷いのない足取りで私との距離を詰めると、戸惑う私の両耳を、その大きな掌でそっと包み込んだ。
――瞬間。
死んでいたはずの私の世界に、雷が落ちたような衝撃が走った。
(……なに、これ……?)
それは、鼓膜を震わせる「音」ではない。
脳の奥、魂の最も深い場所で、一度も聴いたことのないほど深く、澄んだ「チェロの重低音」が鳴り響いたのだ。
『やっと会えたね、アリア。……ずっと、君の静寂を探していたんだ』
私の心臓が、自分でも驚くほどの大きな鼓動を打つ。
数年ぶりに流れ込んできた、その鮮明で温かな「銀の残響」。
私は、自分を包み込む「声」の主を、震える瞳で見上げた。
これが、私の新たな絶望の始まりなのか、それとも――。




