終幕
生徒会室の扉を開けると、まず目に入ったのは、生徒会室の中央で腕を組んで怒りを顕にしているクリアストーン王子の姿だった。
王子の斜め後ろにはソレイユローズが立っていて、大粒の涙を流して泣きじゃくっているようだ。
あとはエメラルド・ガーディスが王子に付き従っているだけだ。ルビーストーン王子、サファイア・クロムウェル、オニキス・ヴェイルの姿はない。
ああ、この空気を吸うだけでも胸が痛い。
私が入室すると、王子は怒りを飲み込むように、低い声で言った。
「愚かだなヴィラネッタ、今の気分はどうだ?」
最低でございますとも。私はもはや、王子の目を見ることもできない。
大粒の涙を流しているソレイユローズがちらりと私を見る。その顔は邪悪に歪んでいる。この女は王子に何を吹き込んだのか。王子、この女の顔を見て。
しかし、次の王子の言葉で私は奈落に突き落とされる。
「ソレイユローズ、その表情はやめなさいと言ったろう。君は聖女なんだから」
私は呼吸すら忘れるほど衝撃を受けていた。王子は、ソレイユローズがどういう性格かを知っていたのだ。知っていて、私を断罪したのだ。
そうか、そういうことか。
いや、思惑とは違ったけど、これで目的は達成できたし、世界の均衡は保たれるだろうし、我がエズクロシー家も安泰ということかな。
悪役令嬢としては、最後まで毅然とした態度を取るべきね。
私が胸を張り、さて何を言おうかと思った瞬間、ソレイユローズが号泣した。
「だって、だってぇ、こんなの、こんなの酷すぎますよぉ」
いや、その、酷いことをしたのは認めるから、負け犬の遠吠えを放って格好よく終わらせるくらいは許してもらえないだろうか。
しかし、ソレイユローズは号泣しながらさらに続ける。
「あんまりですぅ。ヴィラネッタ様が可哀想すぎますぅ」
えっ、ちょっと待って、なんで私に同情してるの。私は悪役令嬢だし、何ならあなたが私を酷い状況に追い込んだ張本人じゃないの。
ソレイユローズはさらに何か言っているが、もはや聞き取れない。
クリアストーン王子は、そんなソレイユローズに優しい笑顔を見せて、宥めるように言った。
「泣くのはおよし。悪いようにはしないから」
王子は私に向き直ると、射抜くような厳しい眼差しを私に向けてきた。
「さて」
王子はそれだけ言って、しばらく何かを考えているようだった。
永遠の時が過ぎたかと思える数秒後、王子は盛大に溜息をつき、その場にへたり込んでしまった。
「王子!?」
まさか王子の体調に異変が!?
慌てて駆け寄ると、王子の体が小刻みに震えている。
エメラルド、あなた王子の護衛でしょう、何か反応するなり、医者を呼ぶなりしなさいよ。
しかし、エメラルドには緊張感は皆無で、やれやれといった風に肩をすくめている。
「愚かだなヴィラネッタ」
その声が王子のものであると気づくのに時間がかかった。
「王子?」
王子が顔を上げる。そこには冷静沈着な氷の王子の顔はなく、涙でぐしゃぐしゃになった美しい顔があった。
「本当に愚かだなヴィラネッタ。一人でずっと抱え込んでいたなんて」
ちょっと待って、王子が何を言っているのか分からない。
エメラルドを見る。彼は我関せずといった表情で明後日のほうを見ている。
ソレイユローズを見る。彼女は両手で涙を拭いながら、絞り出すような声で言った。
「ヴィラネッタ様ぁ、もう悪役令嬢なんていいですぅ」
何ですって?
いや待て、ソレイユローズの口から悪役令嬢という言葉が出てきてはいけない。
私が混乱していると、王子はすっくと立ち上がり、私に背を向けた。懐からハンカチを取り出し、涙を拭いているようだ。
王子は振り返ると、厳しい表情を私に向けてきた。ああ、でも、目の周りと鼻がめっちゃ赤いですよ王子。
「ヴィラネッタ、お前が悪役令嬢として、重すぎる役目を負わされていたということは、ソレイユローズから聞いた。お前との婚約は破棄しないし、もちろん追放もしない」
ああ、なるほど、そういうことだったのか。
「ええええええ!?」
どっどどど、どういうことですか!?
混乱する私に、王子から追撃が来た。
「それだけではない。聖女というものがこの世界でどういった役割を担うのか、そのための条件が何なのかも、全てソレイユローズから聞いた」
私の頭の中が真白になりそうだ。
ソレイユローズが、儀式の詳細を知っている?
ソレイユローズを見ると、彼女はこくりと頷いた。
「ヴィラネッタ様、私は転生者です」
てんせいしゃ?
聖女じゃなくて?
「私もヴィラネッタと同じ反応をしたよ」
王子が爽やかな笑顔で言う。鼻が赤いですよ王子。
ソレイユローズの話は、にわかには信じがたいものだった。
「実は私は別の世界の人間で、小さな会社の庶務だったんです」
かいしゃ?
「自分で言うのもなんですが、見た目も地味で、二十七歳なのに恋愛もしたことなくて、お洒落も縁がなくて、ハイヒールも履いたことがなくて、あっ、関係ない話でしたね。ある日、交通事故に遭ってしまって、気づいたらこの世界に転生していたんです」
こうつうじこ?
てんせい?
「その私が遊んでいたゲームが『ジュエルストン王国物語』だったんですけど」
ゲーム?
ものがたり?
「私、悪役令嬢のヴィラネッタ様のことが大好きで大好きで。でも、物語の展開の都合で、ヴィラネッタ様はいつも断罪されてしまうし、本当にこのゲーム嫌いなんですけど、ヴィラネッタ様の姿も声も大好き過ぎて、何回も周回プレイしちゃうんですよねぇ」
ソレイユローズの美しい顔が邪悪に歪む。
「ソレイユローズ、その顔は怖いからやめなさい」
王子が嗜めるようにソレイユローズに言う。
えっ、ソレイユローズのこの邪悪な顔って、もしかして?
「やだ、また私、変な顔をしてましたか。ヴィラネッタ様のことを考えると、にやけてしまって。そんなに酷い顔をしてます?」
ソレイユローズは両手で顔を覆って恥ずかしがっている。嘘だろ。
照れてしまったソレイユローズに代わり、王子が説明を続ける。
「ソレイユローズの話は信じがたいものだったが、ジュエルストン王国の内部事情など、決して王家以外の者が知り得ないことを知っているとあっては、信じざるを得なかった」
なるほど、理解が追いつかない。
「ソレイユローズがこの世界のことを知っているのはともかくとして、私としては、なぜ急にこんなに事態が変わったのか、訳が分からないのですが」
私としては、こつこつと悪役令嬢を続けてきたつもりだったが、あまりに急な展開で訳が分からない。
ソレイユローズが説明を再開してくれた。
「ヴィラネッタ様推しの私としては、何とかしてヴィラネッタ様のハッピーエンドが見たかったので、何度も何度も周回プレイしていたのですが。あっ、周回プレイというのは、この物語を何度もやり直すってことです」
よく分からないけど、聖女すごいな。
「でも、今回のヴィラネッタ様は、入学イベントの時から様子がおかしくて」
「えっ、私、何かおかしかったかしら?」
「はい。めちゃくちゃ変でした」
ソレイユローズは邪悪な笑みを浮かべる。いや、これ、嬉しいのか。ソレイユローズは自分が邪悪な笑みを浮かべていることに気づくと、自らの顔を揉みほぐし、今度はちゃんと嬉しそうな表情をした。
「悪役令嬢のヴィラネッタ様と入学初日に出会って、平民がこの学園に通うなど許されない、無駄な努力をしてますわねって言われるイベントなんですけど、なぜか、よく勉強してきましたねって褒めていただいて」
お待ちなさい。もしかしてソレイユローズには「貴族ことば」が通じていなかったってこと?
「ソレイユローズ、あなたは『貴族ことば』をどういう風に受け取っていたんですの?」
「どうと言われましても。試しに何か言っていただけますか?」
そうね。初対面の時に使った「貴族ことば」でいいかしら。
「よう勉強しはったんやなあ(無駄な努力してるなお前)」
ソレイユローズは神妙な顔をして言った。
「よく勉強してきましたねって聞こえますね。たぶん、この世界の言語が私の世界の言語に翻訳されるときに、独特な言い回しは直訳されてしまうのでしょう」
何ですって。私は王子を見る。
「私には、古い貴族語に聞こえるな。古い貴族語は詳しくないが、ソレイユローズが言うように、よく勉強してきたなという意味だろう?」
何てこと。エメラルドを見る。
「俺には古い貴族語はよく分からんが、急にそんな話し方をされたら少し驚くかもな」
貴族にも通じてないじゃん!!
じゃあ、私が積み重ねてきた「貴族ことば」って、嫌味じゃなくて褒め言葉になってたってこと?
「ヴィラネッタ様が事あるごとに褒めたり励ましたりしてくださったので、とても嬉しかったのですが」
ソレイユローズは表情を曇らせた。
「これはきっとヴィラネッタ様のハッピーエンドルートなのではと思ってたのに、そうではないと知ってしまったんです」
なるほど、思い当たることがある。
「お茶会のときかしら?」
「はい。お茶会のとき、ヴィラネッタ様のお屋敷で迷子になって、書斎で見てしまったのです。『貴族ことば』という本が開いてあって、ヴィラネッタ様が言葉通りのことを仰ってないと気づきました。ちょっとショックでした」
なるほどね。
「もしかして『極秘』の棚もご覧になって?」
いや、確認するまでもないけど。
ソレイユローズは頷いて話を続けた。
「はい。失礼とは思いましたが、過去の悪役令嬢の皆さんの日誌を読みました。悪役令嬢に、あんな裏設定があるなんて知りませんでした」
裏設定ってなんだ?
王子が重々しく口を開いた。
「エズクロシー家が何百年も悪役令嬢の重責を負わされてきたということ、知らなかったとは言え、王家を代表して謝罪したい」
王子が私に向かって深々と頭を下げる。
「頭を上げてください王子!!」
王族に頭を下げさせるなど、こっちが恐縮してしまいますわ。
「いや、世界の維持などという重大事は、王家や教会が総力を挙げて成すべきことだ。エズクロシー家に過度の負担を強いるようなやり方は避けねばならぬ」
そうは申しましても、聖女が王家の血を引く者と結ばれて儀式を成功させないといけないわけで。
ソレイユローズが、クリアストーン王子と結ばれる。うっ、胸が痛い。
王子が呆れたように溜息をつく。
「愚かだなヴィラネッタ。何を考えているか分かるぞ。さっきも言ったろう。お前との婚約を破棄するつもりはない。何しろ私はお前のことを愛――」
「えっ、でも、それでは儀式が。世界が」
妙な沈黙が流れる。
もしかして私、今とても大切なことを聞きそびれてしまったのかしら?
王子が咳払いをして言った。
「儀式のことは問題ないだろう。何しろあいつは一度思ったことはとことん貫き通す男だからな」
話が見えないのですけど。
ソレイユローズが恥ずかしそうにおずおずと言った。
「ヴィラネッタ様、実は私、第二王子のルビーストーン様と、お付き合いさせていただいてます」
何ですって!?
「あいつ、ルビーストーンは、この生徒会室で初めて会ったときにソレイユローズに一目惚れしたらしい。ソレイユローズの墓参りに従者の振りをして随行するくらいだから、よっぽど本気なんだろう」
えっ、何をおっしゃっているのか。
「ヴィラネッタ様は気付いてらっしゃらなかったようですが、若い従者のラップさんは、ルビーストーン王子です」
何ですって!?
いや、思い返せば、頑なに面具を取らなかったし、怪しさが爆発していたような気がする。
あの見事な剣技、肋肉の下拵え、そうか、あれはルビーストーン王子か。
「だから、その、なんだ」
王子にしては歯切れが悪い様子に、一同の視線が集まった。
「私は、ヴィラネッタとの婚約を破棄するつもりはない」
耳まで真っ赤です王子。
いやいや、話がまとまったみたいになってますけど、さっき大勢の前で婚約破棄しちゃったじゃん!!
「でも、さっき大勢の前で婚約破棄と」
王子は得意げな顔で答えた。
「ん、ああ、あれは大成功だったな」
大成功って。
「ものすごい拍手でしたねぇ」
ソレイユローズまで得意顔だ。
すると、王子が少し意地悪な笑みを浮かべて言った。
「あれは生徒会主催の無告知演技というやつだ」
「無告知?」
何ですかそれは。私の疑問に答えたのはソレイユローズだ。
「私のいた世界でゲリラライブとかサプライズパフォーマンスと呼ばれるものです。路上などで告知なしに演奏や演技をすることです」
「じゃあ、あれは全部演技?」
「学園中の生徒はそう思ってるだろうな。そして、今度の文化祭で生徒会主催で実施する舞台の告知だと思い込んでいるはずだ」
王子が茶目っ気たっぷりに笑っている。
「いや、いくら何でも、階段を転がり落ちるなんて、ソレイユローズに何て無茶をさせるんですか」
するとソレイユローズが嬉しそうに言う。
「ヴィラネッタ様、ご心配ありがとうございます。結界魔法で入念に防御していましたから問題ありませんよ」
ソレイユローズは懐から聖魔石を取り出して見せた。ソレイユローズの亡き母の薔薇畑から回収した聖魔石だ。つまり、まだ彼女の亡き母の神聖エネルギーが込められている。なるほど、怪我ひとつなくて当然だ。
真実を知ったことで、私の足の力は抜けてしまった。思わずその場にへたり込む。
「何でそんな回りくどいことするんですの」
思わず愚痴のひとつも言いたくなるが、ソレイユローズがその理由を教えてくれた。
「それは、この物語のキーイベントが、悪役令嬢の断罪だからです。ヴィラネッタ様が断罪されないと、物語が先に進まないのです」
うう、キーイベントって何だよ。理屈は理解したけど、ちょっとあんまりじゃないかな。
「中庭で、王子にあんなのが婚約者だなんて虫酸が走るって言われて、どれだけ悲しかったと思ってるんですかぁ」
私が半べそをかきながら訴えると、王子は少したじろいたようだ。
「あれは、ちょっとだけ、お前に意地悪をしたくなったのだ」
「意地悪を?」
なぜ?
王子はしまったという顔をしていたが、やがて観念したように言った。
「いや、その、なんだ、私と聖女を結びつけようとお前が画策していることを知ってだな。ヴィラネッタにそんなことをされたら、私だって悲しいに決まっているだろう」
半ば切れ気味にそう言った王子は耳まで真っ赤だ。
「惚れた女にそんなことされたら、意地悪のひとつもしたくなるよな」
エメラルドが笑いながら補足してくれた。
その意味をようやく理解した私は、全身が歓喜に震えていることに気づいた。
「ほんま堪忍え(勘弁してよ)」
私はそう言って、王子の胸に飛び込んだのだった。
とまあ、何だかハッピーな感じになったわけだけど、問題が解決したのかはまだ分からないわけで。
悪役令嬢の私が断罪されなければならないってのが、儀式を成功させるための絶対的な条件なのだとしたら、あの茶番で回避できたのかは分からない。
私が追放されるところまで必要なんだとしたら、条件を満たせてない可能性もある。
あと、聖女ソレイユローズが無事に第二王子と結ばれて、民衆の支持を得ながら儀式を成功させなきゃいけないけど、こっちはソレイユローズのことだから心配はいらないかな。
書斎の扉がノックされた。
「ヴィラネッタお嬢様、お客様がお見えです」
扉越しの従者の声に、私は答える。
「ありがとう。すぐに行くわ」
私は「貴族ことば」と書かれた本を閉じ、書斎をあとにしたのだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。




